( ・д・)/--=≡(((卍です。

とっても勝手なことを書きます。


とっても勝手だけど、

届いて欲しい人に、

その真意が届けば


とても嬉しい。


この内容は、唯一人の人に向けて発信しています。




「子どもが、行きたい高校があるんです。体調さえ良ければ

学力的には受かるんです。子どもはその学校に行きたくて

とても頑張っているんです」




子どもは、親の付属物ではないけれど、親には、子どもの

何もかもを守る義務があると思います。



その義務を果たす為には、



「頑張らなければ行けない学校には、行くな」



言わなければ、ならない辛いときが、あると思う。


子どもに決めさせる、理想だし、子どもの人権を尊重してる。


でも、まだたったの中学三年生。

まだ、ほんの小さな、中学三年生。

身体は大きくなったって、たったそれだけしか生きていない。

頑張ることが正しいんだと信じて真っ直ぐに生きてきた。




止めてあげないと、死んでしまったら、高校なんて行けない。


子どもの人生を、どういう形で奪うのかの違いに過ぎなくなる。



人生なんて、どう転ぶか分からない。


今まで元気に走り回っていた可愛い我が子が、次の瞬間に

もう息をしていないことだってあると思う。



今、まさにその瞬間を迎えようとしているんじゃないかという

不安が、遠く離れていても、伝わって来る。



大人を、先生たちを、信じようとして頑張っている。

先生たちに、言われたように、やったのに、やったらまだ

次々に、要求は高くなる。


一時間、我慢できたから、二時間だって同じでしょ?


頑張って、我慢して戦って来た。

見てただけだって、辛く辛く辛く、ただ辛いだけの時間を

たった一人で、頑張って来た。


今度、たったの五分としても、もう恐怖心が沸き上がる。




たった五分、たった五分。

一年だって、たったの五分の集合体。

人間の一生だって、たったの集合体。



頑張るの行き着く先が、行きたい高校だと思っているから

頑張っている。


諦めさせるのは忍びない。負けを認めるようで可哀想。




何処で、発想の転換を図れるだろうか。

そこが、親と子の、心の絆、ではないだろうか。



あのときボクは本当はね、…。



何年か経って、健康も取り戻した彼が言う、


あのとき、ボクは本当はね、お母さん。




何年か経って、…間違っても、彼の写真に向かって、



「あのとき本当は、お母さんはね、…」


そんなことが無いように、遠く離れた地から、勇気を

送ります。



「親が決める勇気」



決め付ける、押し付ける。

子どもから嫌われるかもしれない。

恨まれるかもしれない。

ボクの人生を返せっ、と罵られるかもしれない。


でも良かった。元気に生きてる。

こんなに元気に、私に向かって口答えをして来る。

こんなに元気に、文句ばかり言って、それでも、私の

作った食事を美味しそうに食べてくれる。


どうぞ、彼の努力を挫くことなく、しかし、身体も心も

殺すことなく、健やかな成長を、


今、親が決める勇気も行使して、


私たちにも、夢見させて下さい。


どうぞ、…このままだと命にも関わるということを、


迷う心に突き立てて、言ってあげなければならない

言葉を、


発する勇気を、


持って下さい、お母さんっ。