不機嫌な母と一緒に近所の脳神経外科クリニックへ行った。


画像検査の後、私一人が診察室に呼ばれ母の近況についての質問を受けた。その後、母も一緒に診察室に入り長谷川式スケールを行ったが結果は「正常の範囲内」とのことだった。認知症以外の病気であってほしいと思っていた私はホッとしたが、その後言い渡された診断名は



若年性アルツハイマー型認知症


だった。
認知症は生活に障害が現れる病気で家族など周囲の情報提供が重要になるという説明とともに、半年前の画像データと今回のものを比較して脳の萎縮が進んでいることを指摘された。


なんと、母は以前にもこの病院を受診していたのだ。


上司に度々受診を促されるも病院に行かなかった母を見かねて、業務時間にクリニックへ行くようにすすめられたようだ。その際は検査で明らかな異常は見つからなかったが、物忘れや居眠りを度々上司から指摘されるという母の話を聞いた医師は家族同伴での再受診を勧めた。「問題なし」という診断書を職場に提出したかった母は、それがもらえないと分かり受診放棄したということだった。



その経緯を知り、そんな前から母は1人悩み苦しんでいたのかという驚きと、もっと早く気付き支えてあげられなかったのかという後悔と、これからどうなるんだろうという不安と、認知症が進むとどのようになるかということを知っているが故の悲しみ等、様々な感情が押し寄せてきた。


私が混乱の中にいる時、
「どうしたら治りますか?」と心細そうに尋ねた母に対する医師の対応は、冷たいものだった。



「認知症は治りません。……」

その後も淡々と病状は進行していくこと、定期的受診が必要なことを説明された。



その応えは医療情報の伝達ではあったが、不安に寄り添う配慮はなく、母の希望の光を一瞬で消し去っているようだった。


「なんでそんなこと言うんですか。」
母は怒り、それ以降その病院に行くことはなかった。




(私は数年後に障害年金申請のための初診日証明書をもらいに再びそのクリニックへ行った。その時の医師の印象は特段冷たくはなかった。告知の場において、医師の言動が患者や患者家族に与える影響の大きさについて考えさせられる機会だった。)