11/4(日)『ツール・ド・ヨーロッパ スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパ一周の旅』 講演会
2年前の2010年夏、ぼくは8月2日から10月2日まで、2カ月間の西ヨーロッパ自転車旅に出ました。「いつか自転車で、ヨーロッパの美しい自然の中を走りたい」という高校時代からの夢の実現を支えてくれたのは、多くの応援者・協力者の存在でした。ぼくは旅の資金を、すべてスポンサーで集めると決意したのです。
当時ぼくは、大学3年から4年になるという時期で、就職活動の真っただ中でした。4月1日に内定をいただくと、すぐに企画書の作成に取りかかりました。企画書の意味すらよくわかりませんでしたが、商学部の図書館に行って、「企画書の書き方」というようなタイトルの本を3冊ほど借りてきて、見よう見まねで作りました。それを兄や社会人の方に見ていただき、アドバイスをいただいて、再度書き直すという作業を、1カ月ほど繰り返しました。そうしてでき上がったのが、こちらの企画書です。
5月から、この企画書を持って、飛び込み営業を開始しました。色んな企業や人を訪ねて、協賛のお願いをして回りました。嬉しいことや、辛いこと、たくさん経験しました。
詳しいことは講演の中で話したいと思いますが、その5月から7月の3カ月間で、様々な奇跡が起きました。こんなことってあるの・・・?と自分でも思うくらい、良き人に巡り合い、感動的な言葉があり、そして夢は少しずつ、実現へと動いていきました。
ぼくは3カ月間で、15社の企業協賛と約300名の個人協賛を集め、旅の資金を生み出しました。この講演の中で、この協賛者の方々への感謝の気持ちを、このとき出会ったエピソードを話しながら、表現したいと思っています。本当に、「日本って捨てたもんじゃないな」と思うような、前向きで希望が持てる出来事が、たくさんあったのです。思い返すだけでも、うるうるしてしまいます。
今回、本田健さんとともに活動している、友人の玉城君から、講演会の依頼を受けました。人前で話すのが苦手なので、良い機会だと思って、引き受けさせていただくことにしました。ちょうど2年前に立教大学観光学部のシンポジウムで講演をさせていただき、そのときのスライドが残っているので、同じような話ができると思います。あのときも、多くの人が感動をしていただけて、本当にうれしかったです。
自分の成功体験というよりは、「日本にも、こんなに素晴らしい人がいるんだよ」ということ、そして「世界って、こんなに広くて、自由なんだよ」ということを、自分の経験を通して、自分の率直な言葉で伝えられたらなと思います。
海外に興味のある方や、これから挑戦をしたい人、どうやってスポンサーを集めたの?ということに興味がある方、どなたでも結構です。お待ちしております。
講演会 『ツール・ド・ヨーロッパ スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパ一周の旅』
日時:2012年11月4日 19時~21時(18時半受付開始)
場所:国立オリンピック記念青少年総合センター
http://www.facebook.com/#!/events/540675945959542/
上記facebookページから、参加受付をしております。会場は80名までなので、お早めに予約をお願いします。ご友人など誘って、ぜひ来てください。参加予約のやり方がわからない場合は、直接お越しいただいても大丈夫です。よろしくお願いいたします。
連載が終わって
昨年の12月から書いていた、自転車雑誌『GreenMobility(グリーンモビリティ)』 での連載が終わりました。
編集長の坂本さんにお話をいただいて、最初は1回切りの掲載の予定でしたが、お話をするうちに、「これだけネタや写真があれば、連載で出来る」と言っていただけ、全6回の連載を書かせていただけることになりました。
ツール・ド・ヨーロッパ(ヨーロッパ自転車旅)の間、毎日ブログを更新し、その一日を振り返っていましたが、この雑誌連載では2ヵ月間の旅を6回で紹介する必要があったので、全体を大雑把に分けました。
1、旅立ち・ドイツ編
2、オランダ・ベルギー編
3、ポルトガル・スペイン編
4、南フランス・イタリア編
5、イタリア・スイス編
6、再び・・・ドイツ編
という風に。
時間が経って旅を振り返ることができたのには、また違う良さがありました。自分が置かれていた状況を冷静に見ることができました。しかし不思議なのは、これだけ冷静に、俯瞰的に旅を見つめ直しても、「あのときああしておけば良かった」と思うことがなかったこと。それだけ、奇跡的な旅だったと思う。偶然と直感を頼りにコースを決めていった。旅の中で出会った人たち、そのタイミング。ぼくは大きな流れの中に否応なく存在していて、しかもそれはどんな綿密な計画よりも完全なものだった。フランスで起きた落車という大きな怪我でさえもが、今の僕にとっては必要なものだった。(あの事故がきっかけで、ぼくはエベレスト登山家の栗城史多さんと出会うことになった。)
社会人になり、ブログを書く習慣が減ってから、もともと文章を書くのが苦手なぼくにとっては2000字の原稿を書くことは結構な苦労でした。それも、多くの人に見られる文章とあっては尚更。それでも、形として残る文章は、しっかりと書きたい。締め切り前は土日にカフェに籠って、ああでもないこうでもないと、何度も書き直していました。
大変だったけど、最後まで書き切ることができて本当に良かった。全ての記事を並べてみると感慨深い。これも応援してくれた皆さんのお陰です。また、この雑誌を通してぼくのことを知ってくださった方もいらっしゃいました。嬉しかったです。
改めて思いました。旅をして、それについての文章を書くというのは、素晴らしいことです。もっと腕を磨いて、迫力があって、知的好奇心を誘い、それでいて風のように流れる文章を将来書きたいです。
ツール・ド・ヨーロッパに関することは、これで終わりです。読者の皆様、GreenMobilityでお世話になった坂本さん、大崎さん、前田さん、本当にありがとうございました。
連載6(最終回) 再び…ドイツ編
『Green Mobility』 Vol.17
「どこまでも道は続いてゆく ~中村洋太のヨーロッパ2000km ダイアリー~」
最終章 再び・・・ドイツ編
2010年夏、単身ヨーロッパへ自転車の旅に出た中村洋太。旅のレポートはいよいよ最終章を迎える。ドイツ・フランクフルトをスタートしてから約50日を経て、9ヶ国を渡り、総距離は2000㎞に到達。だがこの長い旅路は、単なる距離と時間の集計ではなかった。再び戻ったドイツは、スタートの時のドイツとは違っていた。彼が自転車に載せて運んできた、見えない荷物とは果たして……。
スイスのバーゼルから国境を越え、75km先のフライブルクへ向けて田舎道を進んだ。50日ぶりに戻ってきたドイツ……やはり、一度走ったことのある自転車道は落ち着くものだ。ぼくは久しぶりにリラックスして走ることができた。この旅で、同じヨーロッパでも国ごとに自転車のルールが微妙に異なることを知った。「この道は走ってもいいのだろうか」と、新しい国に入るたびに緊張したものだ。スイスでは、標識がわからないために高速道路に入ってしまい、警察に止められて注意されたことも……。
途中、自転車道が急に途切れ、行き方がわからなくなってしまった。小道に逸れ、入り組んだ小さな村で更に迷っていると、後ろからサイクリングをしているドイツ人の親子がやってきたので声をかけた。困っているとき、こうした「流れ」が必ず訪れることも、この旅で発見したことだ。
「どこへ行くんですか?」
「フライブルクさ」
「そうですか……。バーイ!」
ぼくは笑顔で手を振った。そして、距離を置いてこっそり後をつけた。彼らがフライブルクまで導いてくれる……ずいぶんと旅慣れたものだ。
それから6日後、最後の経由地であるシュテンダールに着いた。ゴールのベルリンまで130km、旅はいよいよ残すところ1日となった――。
「今年の夏は、自転車でヨーロッパを走る」。振り返れば、そう決意した2010年の1月31日からこの道は続いていた。資金もなく自転車もない、まったく無からのスタートだった。
ちょうどそのころ、新聞で「若者の海外旅行離れ」という記事を読んだ。20代の若者が、海外に興味を持たなくなってきているというのだ。海外を知るということは、日本を知ることでもあるのに……自分に何かできることはないだろうかと考えた。そして「ぼく自身が自転車で海外を走り、その感動と旅の素晴らしさをブログという手段で同世代の人間に伝えていけば、わずかでも海外に行きたくなる若者が増えるかもしれない」。ぼくはこの想いを企画書にまとめ、企業に飛び込み営業をかけ続けた。旅の資金は全て、スポンサーから集めると決めたからだ。門前払いを食らったこともあれば、「無理に決まっているじゃないか」と批判を受けたこともあった。それでも自分の夢を諦めることはできなかった。その結果、「私の分まで旅をしてきてください」「旅のブログ楽しみにしています」、徐々に協賛者は集まってきた。学食のおばちゃんから誰もが知る大企業まで、たくさんの人が応援してくれた。そして15社からの物資提供と、300名の個人協賛を頂き、旅は実現。応援してくれた人たちの名前で作った日の丸を掲げ、ぼくは日本を飛び立った。
――朝8時、シュテンダールの街を出ると、一週間ぶりの青空が見えた。もう余力を残す必要はない。無心で、最後の自転車旅を楽しんだ。時にはゆっくりと景色を眺めながら、時には速く、風を感じながら……。
朝起きて、荷物を背負い自転車で走り、夕方は街を観光し、そしてブログを書いて寝る。そんな生活を繰り返してきた。カラダは限界に近づくも、夢だったヨーロッパの自転車旅は毎日が新鮮で、想像以上に楽しかった。たくさんの景色と人との出会いが、胸を揺さぶった。淋しい気持ちが半分、ようやく終わるという安堵感が半分。複雑な心境に、ぼくは人気のない道中で叫び声をあげた。泣いても笑ってもこれが最後の走り。これまで応援してくれた人、出会ってきた人たちへの感謝を込めて、精一杯走った。
午後5時。ベルリン市内に入った。ゴール地点と決めていたブランデンブルク門には、ベルリンに住む兄他、数人が祝福に駆け付けてくれた。用意してくれた小さなゴールテープをくぐり、中村洋太の「ヨーロッパ2000kmの旅」は幕を閉じた。
どこまでも道は続いてゆく
それから1年が経ち、ぼくは社会人になった。振り返ってみると、思い出すのはいつでも、人との出会いだ。「俺も君のスポンサーになるよ」と、10ユーロを差し出してくれたドイツ人のおじさん。言葉がわからず空腹で困っていたぼくに、パンを恵んでくれたスペインの田舎のおばちゃん。折り紙のプレゼントを喜んでくれたフィゲラスの子供たち。スペインで出会ったステファノとの、イタリアでの再会。「俺の作った自転車で日本からやってきた!」と感動してくれたBASSOの社長。たくさんの名前の知らない人たちとの触れ合いが、ぼくの旅だった。ぼくはたくさんの人の想いと一緒に走っていた。
道が続く限り、人との出会いがある。様々なことを教えてくれた自転車旅は、ぼくにとってまさに人生そのものだった。これからも、ぼくの挑戦は終わらない。また新たな出会いと奇跡と感動の旅を求めて……
そう、どこまでも道は続いてゆくのだから。
(完)
神の誘い
最近どうも調子が悪く、考え方も前向きになれなかった。この悪循環から抜け出すには、やはりランニングだろうと思った。
大学時代は、毎日のようにランニングをしていた。5km走ってから学校に行くとか、当たり前の生活だった。そして汗をかくことで様々なことに対して前向きになれたり、挑戦心が沸き起こる効果があることも身をもって知っていた。それを忘れていた。
昨日、久しぶりに夜のランニングに出た。1時間くらいゆっくり走って汗をかこうと思った。しかし、不思議な出来事が起きた。
荒川に沿って土手を走っていると、突然後ろから声をかけられた。振り返ると、自転車に乗った謎のおばさんが。どことなく小汚く、ホームレスの人のようにも見える。
「亀戸はどっちだ?」
かめいど?地名は聞いたことがある。しかし、どこかはわからない。
「亀戸ですか?亀有じゃなくて?」
「亀戸だ」
はて、iPhoneがあればすぐにわかるのだが、あいにく持ち合わせていない。
「ちょっと亀戸の場所はわからないですね~。どこから来たんですか?」
「大宮だ」
は?
「大宮?何10kmもあったでしょう?」
「あぁ」
こんな、近所のスーパーに行くような格好で・・・普通のママチャリだし・・・
「どうしてここまで来たんですか?」
「今日は足立区の花火があった」
意味がよく分からない
「花火きれいでした?」 ←この質問はいらなかった
「きれいだったよ」
「今日は大宮に帰らないんですか?」
「もう21時だし無理だよ。亀戸に行きてえんだ」
「亀戸に行けば泊まれるんですか?」
「うん、昔住んでた家があるんだ」
「そうですか。亀戸ってどこなんでしょうね・・・」
「さっきからだーれも教えてくれないんだ。」
それは教えてくれないんじゃなくて、単にこの辺の人が亀戸を知らないだけだ。
ところで、ぼくは先日、仕事でチェコに行った。
クトナーホラという町の世界遺産の教会に寄ったとき、ガイドさんが壁画の解説でこんなことを話していたのを思い出した。
「・・・、この○○さんが背負って助けてあげたのが、実は□□の姿をしたキリストだったのです。」
ぼくはこの目の前の意味のわからないおばさんがぶつぶつと言っているのを聞きながら、ふと思った。
(もしかして、この人は迷子のおばさんの姿をしたキリストなのではないか。いや、きっとそうだ。)
助けよう。
「亀戸って、近くに何があったか覚えてませんか?」
「うーん、錦糸町の近くだったかな~」
「錦糸町・・・。南だな」
そして奇妙な旅は始まった。もう22時になる。
「よし、じゃあ連れて行きますよ。亀戸。ついてきて下さい」
ぼくはランニングを再開、おばさんも自転車を漕ぎ始めた。しかし、ぼくも亀戸がどこなのかわからない。
荒川を南下すること20分。犬の散歩中のおじさんに聞く。
「亀戸ってどこかわかりますか?」
「わからないねぇ」
「ここはどこですか?近くに駅はありますか?」
「ここは四ツ木だよ。駅は向こう」
四ツ木の駅を見つけ、駅員さんに聞いた。そして亀戸の場所がわかった。総武線、錦糸町の隣の駅だ。ここからまだ5km以上先だ。
「おばちゃん、あっちです。行きましょう。」
荒川を渡り、スカイツリーの方へ走っていく。数ヶ月ぶりのランニングでこんなに走るとは思わなかった。しかし、何故か心地良い。
「走らせちゃって悪いねぇ。だーれも道教えてくれないからさ、助かったよ」
自転車で大宮から来たという人をほっとくわけにはいかない。同じ自転車の旅人として。それに、地図を持たないで、しかも場所のわからないところへ行こうとしている感覚が懐かしかった。不思議と疲れない。このおばちゃんが、忘れていた旅心を思い出させてくれた。
「出身はどこですか?」
「山口県の宇部ってとこ」
「宇部ですか。前に自転車で行きましたよ」
「何時間かかった?」
「12日です」
「・・・・・」
警察官や、ランニング中のお兄さんに道を聞きながら、ようやく亀戸までやってきた。
「着きましたね!」
「いや~走らせて悪かったね~。助かったよ。」
「じゃあ、気をつけて帰ってくださいね」
「ちょっと、これ持ってって」
と、何やらかばんの中から取り出そうとしている。
(何かお礼に?や、やはり、キリストだったのか?)
ぼくは何かすごいものを貰えるのだろうかと期待したが、
手渡されたのは、創価学会の発行する新聞。
「これ読んでくれよ。救われるからさ~」
残念ながらキリストではなく、別の神様だったようです。














