東日本大震災に伴う東電の原発事故、そしてそれとは全然関係ないものの4月下旬の堀江元ライブドア社長実刑確定のニュースを見ていて、とある一つの言葉で共通化できるとぼやーと感じていた。それは、

「想定外」爆弾

である。

 東電は免責されるべく、津波を想定外だったと声高に主張しているし、
 堀江氏もかつてはニッポン放送株問題でのフジテレ ビ側の動きを「想定内」とうそぶき、2005年ユーキャン流行語年間大賞を「想定内(外)」で受賞している。また、絶頂期には「ソテーガイ」というバンドで日本レコード大賞新人賞獲得を目指すという、想定外の動きをも見せていた(すぐ頓挫したのは想定内であったが)。まさに、想定外を地で行く男である。


東電と堀江氏のニュースを聞いていたときは、ただ何となく想定外で共通しているなぁと感じていただけであり、想定外について何かブログで表現しようとしても、なんとなくうまく構想できなかった。しかし、最近の日経ビジネス6月6日号を見ていて、非常に良い記事があったので今日はこれを引用することにより頭の整理をさせてもらおうと思う。

記事は、セコム創業者の飯田亮氏が今般の震災影響でセキュリティサービスが機能不全に陥ったことを回顧して、想定外という言葉について語られている。少し長いが、非常に示唆に富む内容なので以下に引用させて頂く:


「想定外っていうのは本当に嫌な言葉だね。例えば、うちにシステムがうまくいかないときはすべて想定外だよ。想定外と言ってしまったらうちのビジネスは成立しません。世の中、想定外という言葉は使ってはいけないんですよ。そうすると、免罪符をもらったように、何もかもが終わりになっちゃう。
 経営というのは、想定外をつぶしていく作業です。「そこまでやってできなきゃ仕方がない」と淡白に考えるか、想定外をつぶすためにエネルギーを注ぎ込むのか、それが企業の成否を分ける。
 その時に必要なのは想像力だよね。今回の震災を見ていても、社会全体が想像力を失っているように見える。想像力を超えたところまでを考えないで、途中でもって思考停止してしまう。」
引用元:日経ビジネス6月6日号P95「渦中ひと」



想定外というのは、何ら言い訳にならないということだ。もっとも、東電は想定していながらも費用対効果や収益性を最優先し、結果として無視されていたリスクが発生してしまったということであるから、想定外ですらない。もっとひどい、想定内の中での不作為・怠慢に過ぎない。想定外と主張するのは恥を知るべきだ。

キーワードは想像力にあると思う。自社のみならず顧客やステークホルダーにとって何がリスクなのか、潜在的に存在しているリスクを可視化する想像力が求められる。