東日本大震災において、日本で長く語り継がれた安全神話の明暗がはっきり分かれた。「安全神話」とGoogleで検索すると、最上位に出てくる二つについて対照しながらコメントしたい。

明は東日本旅客鉄道(JR東日本)、暗はもちろん原発(東京電力)である。

未曾有の大震災により両社は壊滅的な被害を受けたものの、JR東日本は、猛烈なスピードで快走する新幹線をおそるべき精度で制御し安全にストップさせ、そしておそるべき早さで路線の復旧を成し遂げた。一方の東電は言うまでもない状況になっている。

いずれも首都圏のインフラ関係企業として、安定志向の学生のみならず人気のある企業であった。共通項としては、特定地域の社会インフラを先端的技術で維持し、膨大な需要に応え続けたことが挙げられる。一方、最大にして致命的な相違点となったものが、独占かどうか、という点にあったと思う。

経済学によれば、独占は自由競争よりも参加者全体の効用が低下すると教えられる。それゆえ、日本だけではなく世界各国はその経済活動の停滞を防ぐべく、公正取引委員会のようなお上の組織を有し、独占や寡占という非競争活動を防止するためくまなくチェックするのである。誰かが利するのを規制するというよりは、全体最適の観点から。

JR東日本は明確に独占企業体ではない。人が物理的に移動する手段を提供する交通事業者にとっては、その競争相手は電車、バス、自家用車、飛行機など多種多様であり、常に厳しい競争にさらされている。この競争の存在自体が、JRの足腰を鍛え安全神話にかげりを見せない最大の理由ではないかと思う。競争があれば消費者の目は自然にその値段やサービスの質に厳しく注がれ、企業へのガバナンスが有効に機能する。JR東日本を、日本のもっとも優れた会社の一つであると推すビジネスマンは少なくない。

東電は残念ながら、競争という荒波にも、消費者からの厳しい目線にも、鍛えられる機会がなかった。逆に、独占企業体として本来不要な広告活動に莫大な費用を消費し、マスコミを懐柔し、消費者のマインドをコントロールすることに成功してきた。そしてこの状況は東電のみならず、他の全電力会社に同様に当てはまる。


ちょっと脈絡がなくなってきたのでまとめるとすると、要は民間会社なり何らかの組織なり、それぞれの主体が提供する商品やサービスの質というのは、真の競争に勝ち抜いてきたものであるかどうか、ということが重要であると思う。安全神話とはかなり離れた帰結になってしまったが。

我々も、日常的に利用しているなんらかのサービス(例えばクリーニング店だったり、私鉄だったり)が、まっとうな競争にさらされているか、消費者の声を聞く体制になっているか、という点にも注意を払いたい。