1887年に留学した新渡戸稲造は、その所作や物言いから「日本の宗教は何か」と問われ、本人はキリスト教教徒であったが、日本の宗教と問われると返答に困った。「宗教がないとしたら そのモラルはどう培われたのか」と問われ、新渡戸は「古来より伝わる武士道の教え」と答えた。

 大体ではあるが室町時代から江戸時代まで続いた武士の歴史の中で、多分 武士たちは「拙者らは武士道を歩んでいる」という

意識はなかったと思いますが、新渡戸は「武士道」と名付けました。

 ヨーロッパには「騎士道」があったので、それに寄せたのかとも考えられます。日本はその昔から明文化はされてませんが、信教の自由は ずっとあったと思います。神道・仏教の他にも多種多様な新興宗教や、「鰯の頭も信心から」の如く自分が信じれば

何でも宗教になる国柄であります。他の沢山の国々は一神教であり、他の宗教を認めない風潮があり、その宗教の教えでモラルを培うため、宗教以外でモラルを培う事に疑問を持ったのだと思います。

 そして、ヨーロッパの「騎士道」の中に「レディファースト」は明文化されてはいませんが、騎士はいつでも敵がいる前提であります。道を歩いていても、馬車の乗り降りにも、建物の出入りにも、敵が潜んでいるかもしれない為、自分を守るために女性を盾の代わりにした。そして食事の毒見のためにも、女性に先に食べさせたのが「レディファースト」の起源だと思います。

 日本では、男尊女卑とも捉えられるかもしれませんが、男が先です。道を行くのも、建物の出入りも男が先頭です。そして、食に箸をつけるのも、一番風呂も男です、そして殿様の毒見も男がします。この価値観は、「俺は偉いんだ」「俺の後についてこい」ではなく、降りかかる全ての物事の先頭に立ちそれに対峙する気構えの成せる技かと思います。

 

 諺にあります「三歩下がって師の影を踏まず」も元々は「三歩下げて師の影を踏ませず」だったのではないかと思います。弟子に厄介ごとが降りかからぬよう、師が先頭にに立って振り払っていた諺だと思います。

 

 ヨーロッパの「モラル」と日本の「道徳」の違いについては、次のように考えます。

 ルールを守りマナーのある人がモラリスト(モラルのある人)と言われます。しかし、日本の「道徳」「規律」を守り「礼節」を重んじるのは、極々当たり前のことでありその上で人として如何に生きるかという事が説かれています。

 

 新渡戸稲造は「武士道」とは死ぬことと見つけたり と書き記しております。

 如何に 死ぬるかは、如何に 生き抜いたか だと思います。

 日本独特の「レディファースト」が基準になってくれればいいなあと思っています。