こんにちは、心理カウンセラーの吉兼立雄です。
初めての方のために僕のことを少し書きたいと思います。
小さい頃から両親は共働きでおばあちゃんに預けられていました。
小学生からはずっと「鍵っ子」家に帰っても誰もいない、ご飯も洗濯も自分でできることはやりました。
親にとってはいい子だったんでしょうね。
家庭に不満があったわけじゃないけれど、ずっとどうしたら両親が振り向いてくれるのか、どうしたら褒めてもらえるのか、無意識に考えているような子供でした。
中学生のとき「いじめ」にあいました。
理由はニキビが人より多かった、たったそれだけのことです。
毎日学校に行きたくなかったけど、我慢して3年間通った。
「自律訓練法」の本を買って、ワサワサした心を落ち着かせようと勉強してましたがそのころはうまくできなかったですね。
親に心配かけたくない一心でした。
高校を卒業して就職、建設会社で大工をやっていました。
この世界もまた先輩の命令は絶対という理不尽なものでしたね。
その会社も倒産し、原因が経理がずさんだったことから働きながら日商簿記一級の資格を取得しました。
そして会社の中で経営企画・人事・総務・経理・営業・研修講師・業務改善など、社長業以外はほとんどのことをやりました。
30歳のときに結婚をするのだけれど、その人には深い心の闇がありました。
僕は解決しようと心療内科の先生のもとに通い毎月のように相談して実際にいろいろな方法で心の闇をなくそうと試みました、そしていつしか仕事と家庭の両方でストレスを溜めこんでうつ病になりました。
半年間の休職はとても辛いものでしたね。
パートナーの心の闇は小さくなるどころか、どんどん大きくなっていった。
そして僕や子供に対する言葉の暴力(DV)として現れました。
だから今、僕が大切にしているのは「言葉の力と大切さ」なんです。
リストラと家庭崩壊の中、自殺する寸前で思いとどまったのは僕が尊敬している日本メンタルヘルス協会の衛藤信之先生との3年前の出逢いを思いだしたから。
それからずっと心理学を学び続けています。
僕はパートナーを助けてあげられなかった、子供達にも我慢をさせてきた。
そんな後悔と、同じような人が1人でも笑顔になれるように心理カウンセラーという道を選び、衛藤先生が僕に居場所を与えてくれたように、僕も居場所を与えられるようになると決めたんです。
家族一人ひとりが自立した、依存し合わない存在になれたら、もっと楽しい家族になれると思っています。
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