続き。
入院3日目の日曜日に私は意識不明になった。
毎日面会に来てくれていた母曰く、
発疹で赤くなっていた肌が黒焦げみたいになっていったらしい。
昨日、入院前から続いていた高熱がやっと下がって、
入院もしたし後は快方に向かう…と思っていた母は、
意識を失って日に日に黒くなっていく私を見てどん底だったらしい。
そりゃそうだよな。
意識はないけど翌日月曜日からなんちゃらパルス療法だか免疫グロブリンだかの治療を始めた…らしい。
そして入院5日目の火曜日、
入院前に病院に行った日からちょうど1週間、
私は危篤だったらしい。
先生も看護師さんもいろいろと覚悟をしつつも最善の治療をしてくれた…らしい。
(ここらへんは後から母や看護師さんから聞いた話なので、
どうしても他人事のような書き方になってしまう…)
入院6日目あたりまで意識がなく、
多分入院7日目あたりに意識が戻った…ような。
だから4〜5日くらい意識不明だったってことになるね。
それでも母は毎日面会に来てくれていて、
日に日に黒くなり私の姿じゃなくなっていくのを目の当たりにしていたらしい。
黒くなった肌は溶けたかのようにもう人相なんてわからない状態だったって。
母は相当辛かったろうなぁ。
ちなみに火曜日に危篤だったってことは、
意識が戻ったあと、ドクターからポップに聞かされました。
「いやー、危なかったね!火曜日が峠だったからね!良かったねー!」と。
私としては、普通に寝て覚めたような感覚だから、
このドクターのセリフにびっくり。
そして
ドクター「免疫グロブリン、効いたね!高額だけど!もうちょっとやっとこうね!」
のセリフを聞いて、内心「高額…ひぇー!」でした。
意識不明になってからは声がいつも通りには出せなくて、
声が少し高くなりか細い感じでした。
そんなソプラノウィスパーボイスで、
母に何度もありがとうと言いました。
そして声の他にもう一つ、
意識が戻ってから気づいた点が。
目が見えない。
正確には、目が開かない。
まぶたがくっついてて開かない。
意識が戻り喜んでいた母に
「目が開かないみたい(ソプラノウィスパーで)」と伝えたとき、
母が泣き崩れたのを覚えてる(見えてないから崩れたかは知らないけど)