I'm a MANABist〜学び力で人生を豊かに〜

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日々の出来事からのMANABIを毎日配信!
課題があるから成長できる✨
自分のネガティブは誰かのポジティブのために生かす
熊本KIZUKI塾19期、21期、22期生
フルマラソンsub4挑戦中

自分の班の子達の行動が

あまりに理解できず

苦しさの方が多い中で

何とか全員完歩は

達成することができました。




あとは

サークルを辞めるだけでした。


ところが…




キャンプ後の日常に戻り

冷静になった頭で

自分の班の子達のことを

振り返ってみたときに


キャンプ真っ只中にいた時と

味方・捉え方=【解釈】が

変わってきたのです。



キャンプ中は

自分の小学生時代と比べて


「何でこんなことするんだ?」

「何でこれができないんだ?」


と考えていたのですが

そもそも

自分の物差しだけで

測ることがおかしい

思えたんです。


そして


「これが今の小学生の現実だ」


どういうわけか

真正面から受け入れることが

できてしまいました。




さらに


「きっと親は一生懸命に

我が子を育てているし

子どもに期待もしている。


でなきゃ

こんなハードな徒歩キャンプに

お金を払ってまで参加させない。


本人たちも一生懸命に

育とうとしているハズ。」


と考えたときに


「では、自分にできることは?」


と自分に矢印を

向けることができ


「親の次に

現代っ子たちの自立に

関われる立場は…?」


という問いに

行き着きました。


そこまで考えると

答えは明白でした。



「学校の先生じゃん!」




実は

一番なりたくなかった職業が

学校の先生だったので

何とも皮肉なものでしたが


そのような経緯で

教師を目指すことに

なったのでした。



(完)

今日は前回からの続きになります。



凄まじい洗礼を受けた

徒歩キャンプデビュー戦。


どんな洗礼だったか?


受け持った班の構成が

まさに

【オールスターズ】

だったんです。



まず班長。

大きな声が出せなくて

リーダーシップ壊滅w

#きっと優し過ぎただけ



次に副班長。

こちらが大エースww


キャンプ中に

学生リーダーも子どもも

お互いのTシャツに

寄せ書きをする文化があり


「がんばろうね」とか

「絶対完歩しよう」とか

みんな大体その方向で

メッセージを書くのですが


うちの大エースは

先輩リーダーのTシャツに

あろうことか「〇ね」と…


今考えると

明らかに特性強めの

お子さんだったわけですが

まだ当時は知識も浅く

指導→やらかし→指導→…

を繰り返すしか

ありませんでした😔



他にも

ご飯を食べるスピードが

全ての子の中で毎回

ダントツに遅い子や


誰彼構わず

喧嘩をふっかける子


箸や靴下などの

セットで管理すべき物の内

毎日何かしら一つ失くす子など


「どちらの星から来られました?」


と尋ねたくなるほど

理解に苦しむ子達が集まった

とってもステキな班を

任されていたわけです。





ちなみに班構成は

事前の申込書で分かる情報を元に

バランス良く組まれていますが

実際の特徴や人間関係の影響は

当日になってみないと分かりません。


つまり

僕の班はいくつもの偶然が重なった

キセキの班だったのです!笑


だから

誰も悪くないのですが

キャンプ中はそんな風に

前向きに考える余裕もなく


ついに

歩き始めて3日目の朝

気付くと歩きながら目から

汗が溢れ落ちていました(笑)

#まだ行程の半分


そして

「この夏のキャンプが終わったら

サークルを辞めよう」

心の中で固く誓ったのでした。


(後編につづく)

先日の凸凹夏まつり講話で

話そうと思ってたものの

暑過ぎて泣く泣くカットした

【凸凹さんとの出逢い】の話。



前職で教師になったのも

今の仕事に行き着いたのも

愛すべき凸凹さん達に

出逢ってしまったからで


今回の記事から3回に渡って

教師を目指すきっかけとなった

大学一年時の思い出について

書いてみようと思います。



一浪して入った大学で

サークル選びをしていて


ある日

募集用掲示板の前で

高校の後輩とばったり

遭遇したことが始まりでした。



その後輩は

どこに入るか既に決めていて

逆に行く当てのなかった僕は

「見るだけ見てみるか」と

強い動機や目的も無いまま

彼に付いて行くことに。


そのまま

成り行きで入ったのが

子どもキャンプサークル

【Campers】でした。



九州では結構有名な

【参勤交代徒歩の旅】という

夏休みに熊本城まで

数日歩いて旅するキャンプ

を運営している団体で


子どもが得意かどうかは

正直分かりませんでしたが


「同じ人間なのだから

話せば言うことを

聞いてくれるだろう」


と甘く考えており


案の定

最初に参加した

100kmの徒歩キャンプで

凄まじい洗礼を

受けることになりました…


(中編に続く)

発達の凸凹について

今日は違った角度から

論じてみます。


その名も

【進化論的凸凹論】🐒




ダーウィンの唱えた

進化論的に考えれば

生物界には多様な種が

確率に従って生まれます。


生まれた種に

良いも悪いもなく

親の遺伝子が偶然的に

組み合わさった結果

〝ただ生まれてくる〟

に過ぎません。


つまり

同種の生き物の中で

多様な特徴が現れるのも

確率論的に当然なのです。



また

地球の歴史を振り返ると

ある種の生物が

生き残った理由は

戦闘力が高かったからでも

環境に適応したからでもなく


あくまで偶然的に

【環境との相性が良かった】

からに過ぎず


生き残れなかった生物と

生き残った生物との間で

生まれた時点では

価値に上下は無いんです。


もっと言えば

それぞれの個体に

良い悪いといった

〝意味〟も無いんです。




カテゴリー分けしたり

ストーリー化したりしないと

人間が理解しづらいから

後付けで価値の有無を

その時代の人間集団が

決めててきただけなんです。



だから

現代の基準でいう障害が

有ろうが無かろうが

各人の価値は等しいと言えるし

そもそも良いも悪いも無いのです。



つまり

やっぱり解釈は自由で

どんな時代に生まれようが

意味は自分で与えたら

いいんだと思います。



だって

みんなで勝手に意味付けした結果が

今の人間社会の価値観なのですから。



逆に考えると

「自分の命の価値は?」

「自分が生きる意味は?」

と考えたときに

どこかに答えがあるわけじゃなく

自分で答えを決めなきゃならない

ということでもあります。



話があちこち飛びましたが…


生物学的・進化論的に見れば

凸凹の有無に良し悪しは無く

現代社会に至るまでに

人類が辿ってきた時代の中で

多数派による意味付けによって

優劣があるように見えているだけ


という結論でした!

今日の記事では

【凸凹夏まつり】の講話で

飛び入りコラボしていただいた

浦本真衣さんをご紹介します♪





浦本さんは

ご自身の経験を元に

【自分の強みを提示できる】

カードの普及活動に

取り組んでおられます。




事前に自分の強みを書き

就職活動等の場面で

自分の得意なことを

口頭で伝えるのが難しい場合に

相手に渡すためのカードで


ドナーカードのように

コミュニケーションが

難しい場面において

自分の意思を伝えるのに

便利だな〜と思いました🪪




また

〝何でもかんでも

できるわけじゃないので

強み以外のことについては

求め過ぎないでほしい〟

というメッセージも

やんわり入っていて


まさに

うちの職場でやってる

【人の凸凹を生かせる環境づくり】

を社会全体に広げようと

積極的に行政と連携したり

今回のようなイベントに

参加したりされています!




さらに!

浦本さんは

栄養士×イラストレーター

としての専門性を生かして

食育絵本も手掛けるという

マルチな才能の持ち主です🥦



今後のご活躍に

期待すると共に

負けてられないな〜と

火を付けていただきました🔥


浦本さん

ありがとうございました!