だって逝った人が心楽しく過ごしていたら…親や友人達が泣いてばかりいたらイヤになってしまうでは。と思うのです。泣くというのは自分の浄化だと感じます。私の体験から。つまり自分の為に泣いているのです。自分が置いていかれた…とか自分が可哀想とか…いわゆる自己中心なのです。勿論、若くして亡くなれば、もっと人生があっただろうに…不憫だと思い泣くかもしれませんが、それもその人の勝手な思いです。それよりも今まで一生懸命生きた事を賞賛し、ねぎらい、尊敬の気持ちを抱く事の方が大切だと、つくづくこの頃、思い至るようになりました。
今年に入ってからもバスの事故や病気などで、どれだけの人が亡くなった事でしょう~そして家族の悲嘆はいかばかりかと。経験済みの私は痛いほどわかります。でもかれこれ八年以上経った今、いろいろな思いが交錯します。何年経っても悲しみは消える事はない…これも真実です、私もそうです。しかし、この頃こう考えるのです。もし、違う次元で息子が生きているとしたら…遺族が悲しむ事は亡くなった方へ失礼ではないかと。先に逝ってしまう事は悪い事なのでしょうか。
あまり知られていない話として、作家の林真理子さんが皇后陛下の毎日を語っていました。ほとんど神事をして過ごしいらっしゃるとか~それも国民の平安を祈願しているとのこと。国民は皇室内で散歩をしたり何かの研究したりしている姿しか知らないのでノンビリ過ごしているように思ってしまいがちですが、かなりお忙がしそうですよー神に祈ったから国民が幸せになるか~!と悪態をつく人もいるかもしれません。でも日本が何千年も続けてきた日本が日本であるべき姿の気が致します。それは伝統…というだけでなく私は何かが生きていると思うのです、