自称ACの人の逆ギレブログを読んで、そのみっともなさに地獄の釜の蓋が開いてしまった。
アメブロの断減薬クラスタ内では顔が広いブロガーさんのようだったが、書いてる記事はふらふらしていて幼く、一貫性が感じられず、他人事ながら大丈夫か? と生暖かく見ていたのだけれど。
やはりこうなったか。
周囲のすべてに悪態ついて、さっさと逃げたか。
手に取るようにその行動が理解できる。
なぜなら私がかつてそうだったから。
……大変、もう心底恥ずかしいことではあるけれど、私が断薬するきっかけの一つになったあるリアルコミュニティでの揉め事を思い出した。
私は当事者中の当事者、しかも、かの方の立場だったのだ。
承認欲求のギラギラを、キラキラした輝きと勘違いする。病的に我の強い人間の元に下ることで、自身の存在理由を見いだそうとしていた。
確かに最初はお互い欲しいもののバランスが釣り合っているから、ギブアンドテイク。
憧れの存在と仲良くなれた、と勘違いしてしまう。
ただ、相手はそもそもこちらのことなど最初から見てやしない(なにより実は自分自身も相手の本心はどうでもいいのだが)。
やがて、そう遠からず相手に「飽きられる」。
悲しいことに、アダルトチルドレンはそういう気配にとても敏感だ。
あとはなりふり構わず、たとえそれが良心や道徳、自身の本心に反していたとしても、相手を繋ぎ止めようとしてしまう。
相手に気に入られてこその自分の存在。
去られてしまえば、自分自身が空っぽで薄っぺらなつまらない存在であることを認めざるを得ないから。だから、より強烈な「我」を持った相手の影に隠れたがる。
おしなべて我執の人は、他人のために指一本動かすのも煩わしいので、しがみつくアダルトチルドレンをそれはもう、非情なくらいに打ち棄てていく。
いきなり放り出されたアダルトチルドレンは、激しく混乱し、傷つき、絶望する。
比喩ではなく、一切の救いのない地獄だった。
生きていることすら呪いで、耐え難い苦痛だった。
ある日とうとう心身が動かなくなり、2ヵ月くらい完全に寝たきりになっていた。
離脱症状で全身がおかしく、一睡も出来なかったか、ひたすら回復を願いサナギのようにじっと床に伏せていた。
その間、心が訴えかけるすべてのことに耳を傾けていた。
どれだけ自分は自身を毀損していたか。
命を磨り減らし、心を潰し、価値ないものと決めつけてきたのか。
果たして、かつて憧れていた人達は、私に何を与えてくれたろうか。足蹴にされてもまだ与え続けたが、そこに喜びはあったろうか。
生き直そう。心からそう思ったのだ。
今度こそ自分自身の人生を生きよう、と誓ったのだ。
その後、何とか電車に乗れるまでに身体が回復した時に真っ先に向かったのはあるセラピストの元だった。
現在に至るまで10回以上のセッションを行って、ようやく、私は「私」を造り上げることができた。
本来の私は、どうやらなかなか前向きでタフなようで、あまり他人の評価に左右されない人間のようだ。
そういう過程があったため、件の方がある意味では気になっていたし良い方向に進めばな、と思ってはいたが。
まぁ、もうこれ以上snsで裁きは止めよう。不毛だから。
何より、かつての「我執の人」に近づいてしまう。
こんな記事を書いた理由は、件の方たちに傷つけられた方達に、少しでも彼女らの行動理由の分析にお役立ちできれば、と感じたからです。
誹謗中傷の意図はなく、アダルトチルドレンであること自体を責めているわけではありません。