巡礼・物見遊山の旅

巡礼・物見遊山の旅

諸行無常の徒然なる日々と巡礼の旅日記

いよいよ西国巡礼の旅の最後の日を迎えた。

自らのブログで振り返ると、2016年5月8日~9日に、33番札所の華厳寺からすたーとしたので、7年余り(空白期間が5年)を要したことになる。もう少し早くできたかもしれないが、いつまでという目標もなかったので致し方ない。

7時前にバイキング形式の朝食をとる。早いと思ったが、レストラン内はかなりの人がおられた。1泊朝食付きで6,480円というリーズナブル料金なので、メニューが豊富とは言えないが、味は十分であった。安い宿泊施設が満杯になるというのは、裏を返すと国民生活水準が低迷しており、賃金水準が韓国にも抜かれ、世界主要国30か国中21位まで落ちてきた実態を反映しているのかもしれない。自らもその一員となっているが…。

7時半にホテルを出発し、30番札所宝厳寺を目指して車を走らせる。

国道24号線から京都方面に向かい、ナビは京都市内を通らないコースを紹介しているのか、宇治市内から府道36号線だと思うが、対面交通も困難な細い道を縫うように走らせ、国道1号線に出て、国道161号線へ通る。比叡山ドライブウエイあたりで渋滞になり、10時45分発の今津港発竹生島フェリーに間に合うかどうか気になりながらのドライブであったが、どうにか間に合うことができた。

発着場所は狭いが、冷房が効いているので所せましの状態ですでに大勢の人が待機しておられた。夏休み最後の土曜日ということもあるのか家族連れも多い。

竹生島へのフェリー乗り場は、今津港と長浜港があり、往復便や今津と長浜とつなぐ便があるが、今回は車で来たので、往復便大人2,700円を支払う。

30分で竹生島に到着する。竹生島は周囲2kmの花崗岩でできた島で船の発着場所以外は岩で囲まれて人を寄せ付けないような神秘的な姿を見せている。

「神を斎(いつくし)き祀る島」という意味の「斎島(いつくしま)」が島名の起源といわれているそうだ聖武天皇の勅願により、行基が島に渡り、弁財天と千手観音を祀ったのが興りとされている。日本仏教の開祖といわれる最澄や空海もこの地を訪れているそうだ。

船着き場のすぐ右手には「琵琶湖周航の歌」碑が立っている。調べによると、、この歌は京都大学ボート部が琵琶湖で就航中に部員の詞からできたといわれる。6番まであり、多くの人にうたわれてきたが、加藤登紀子さんのカバーで一気に知れ渡ることになった。

167の石段を上りきると、宝厳寺の本堂にたどり着く。行基が刻んだとされる本尊の弁財天は高さが25㎝と小さく、千手観音と同じく、60年ごとに開帳されるという。格子の奥に鎮座される本尊に向かい読経祈願して本堂を後にした。

本堂南の石段を上がると、三重塔、宝物殿があるので、もう二度と当寺には来れないかもしれないので、見学することにした。宝物殿には1mを超える弁財天座像をはじめ、貴重な資料や刀剣等が展示されていた。

石段を下り、初めに上ってきた石段の右手奥になる観音堂も拝観させていただき、33カ所最後の参拝寺 宝厳寺を後に、竹生島を12時30分離れた。

空白期間があまりに長く、初期に訪問した札所の記憶も薄れたので、西国巡礼を完了した感慨も特に出てこないのが残念であるが、一つの節目を終えたことには違いないと思いながら、帰り道の車を走らせた。