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丸亀町商店街は、地方の商店街として早くから、先進的な取り組みをしてきました。1972年には、モータリゼーションの時代を見据えて、町営駐車場の建設をするため、駐車場用地の取得に当たり「丸亀町不動産株式会社」を設立しました。町営駐車場の建設に限らず、将来的に不動産の取得を行う場合に備えてすばやく対応するため、意思決定が役員会で行える株式会社の形式としました。丸亀町では早い段階から地域の土地を有効にマネージメントする必要性を認識し、そのための試みを行ってきたのです。 一方で、アーケードのリニューアル、路面のカラー舗装、販促イベント、カード事業、清掃などのマネージメント事業はもちろん、ポケットパークやコミュニティ施設の建設など、商店街で考えられることはすべて取り組み、いずれも水準以上の成果をあげてきました。このような、時代を先駆ける取り組みが、現在の再開発事業の土壌づくりになったとも言えます。 1988年、丸亀町商店街は生誕400年祭を開催しました。時はバブルの絶頂期。高松の中央商店街の通行量も現在(2006年、再開発ビルオープン前)の2倍近くもあった頃でした。一方、全国的には中心市街地周辺での駅前再開発や郊外のショッピングセンター建設が次々と表面化し始め、高松においても地元スーパーによる郊外への大型店出店も始まっていました。108日間に及ぶ400年祭が大盛況の最中、「この賑わいがこれからの100年も続き、次の500年祭を迎えることができるのだろうか? 丸亀町はいろんな取り組みをしてきたが、100年先を見据えた時、もっと抜本的な改革が必要なのではないか?」という懸念が、振興組合理事長より投じられました。これが、この再開発事業の出発点となります。 盛大に400年祭が催されたものの、商店街の通行量には減少の兆しが見え始めていたのです。アーケード建て替え、路面のカラー舗装、個店のリニューアル、駐車場の増設だけでは、ショッピングセンターのように、回遊しながらゆっくり時間を過ごせる快適で魅力的な空間や施設になっているとは言えず、丸亀町はこのまま放置すれば競争社会で生き残ることができず衰退するという危機感が組合員にも生まれ始めました。 (【参考】高松の中心市街地の課題) 平成2年「丸亀町開発委員会」発足 そこで、青年会が中心となって再開発委員会を発足させ、他府県の商店街などの視察や調査を繰り返し、将来の丸亀町商店街のあり方について真剣に議論を重ね、レポートをまとめました。 丸亀町の課題から導き出されたことは、一定の共同化によってより合理的な土地利用を行い、ある程度の規模の商業床と魅力的な都市空間をつくり出す必要性、そして、商店街全体をひとつのショッピングセンターと見立て全体のレイアウトを考える中で、業種の偏りを正し適切にマネージメントすることの必要性でした。中小商業者が生き残るには、一軒一軒の個別の努力とともに、自分の土地を合理的に利用し集積のパワーを生み出していこうという結論に至りました。そして、都市計画としての位置付けを明確にし土地の権利調整を行うために、都市再開発法に基づく市街地再開発事業を実施することを、高松市の提案のもと決定しました。 昭和40年代の丸亀町当時は最新だった鉄筋のアーケード 丸亀町は歴史的にも空間的にも高松の中心であり、市民にとっても重要なメインストリート。ここが衰退することは、高松市民が都市生活の核を失うことも意味します。本再開発事業は、単に丸亀町商店街だけの問題ではなく、高松の都市政策の上でも必要と判断されました。そこで、商店街のリーダーに、都市計画の専門家や学識経験者などが加わり、本格的な調査研究体制が組まれ再開発に向けての歩みがスタートしました。 そんな動きの一方で、時代の流れと共に高松も他のエリアと同様、周辺部での開発や郊外型ショッピングセンターの展開が加速的に進みます。400年祭で感じた懸念は1990年代後半になって誰の目にも明らかな現実となり、高松でも集客力のある拠点が分散し、商店街の通行量は大幅に減少をはじめ、売り上げも急速に落ち始めました。商店街には空き店舗さえ見られるようになりました。 この再開発は丸亀町商店街にとってまさに起死回生の事業です。2006年、丸亀町商店街は飛躍の時を迎えます。「人が住み、人が集うまち」を目指すこの再開発事業は、高松の中心市街地が活力溢れる街に生まれ変わるターニングポイントです。この再開発事業により、丸亀町は大きく変わろうとしています。 【参考】高松の中心市街地の課題

われわれが新聞を読んだり、テレビを見たりして得られるものは、知識にすぎない。その知識が情報になるかどうかは、そこに何かをしようという目的がある時だ。売り上げを上げたいとか、在庫を減らしたいとか、そこに明確な目的があると知識は情報になる。

情報には、言葉による情報と数字による情報の2つがある。どちらも大事だが、経営に特に必要な情報は数字の情報だ。

ある人から、前日、急に売れたので、「よく売れています」という答えが返ってきた。また、別の人は、同じ商品であっても、他のよく売れている商品と比較して、この商品は、「あまり売れていません」という答えになったりもする。答える人の判断で表現が異なる。それでは適正な売り場の管理はできない。

もしここで、はっきりと「この商品は導入されてから100個売れています。一日平均5個売れています」と答えられると、誰でも同じ判断ができるはずだ。


戦略と戦術を数字で結び付けていくととが大事。

戦略とは、ある目的に対する全体的な見方、長期的な見方である。戦術とはそれを達成するための具体的な方法の事。

小売業に例えるなら、戦略は、どのような消費者を対象に消費者を対象にして、そのような商品を、そのようなサービスで提供していくのかということになる。

戦術は、それを具体化するために、どのような店舗を作り、そのように品揃えをし、それくらいの人を使って売っていくのかということになる。

「戦術あって、戦略なし」という言葉がある。目先のことだけにとらわれていて、対応の仕方に一貫性がないことを戒めること叔母として使われている。

繁栄店のやり方をうまくまねていても、すぐ競合店にまねをされてしまう。経営を行う上で重要なことはそのような店にしたいのかという戦略を明確にし、そのための具体的な方法である戦術を、競合他社がまねできないところまで進化させていくことだ。

そして、戦略から戦術までの一貫した流れをつくる上で欠かせないのが、先にのべた数字だ。言葉だけで戦略を語っても、絵に描いたもちになる。言葉だけで戦術を語ることは、地図を持たずに旅に出ることと同じだ。


車内販売カリスマ新幹線ガール 茂木久美子



山形新幹線に茂木が乗務していると、列車内を弁当、飲み物の販売をするため、まわっていると、おじいちゃん4人とおばあちゃん4人が和気あいあいでおしゃべりをしていた。この8人は茂木を呼びとめビールを注文した。茂木は「お客様。まだ空いてない缶ビールがいっぱいあるべ。それ飲んでからでもいいべした。」といった。それに対して「いいから置いてけ」と言われた。

茂木はお客様目線で見て、営業したい気持ちを抑え言ったのだと思う。これら売れる営業のコツですね。

そして、よく見ると、このおじいちゃん、おばあちゃんは実は兄弟姉妹だった。その兄弟姉妹からおにぎりを茂木はもらった。そのおにぎり5個をみると、茂木はびっくり。

昔は兄弟でみんな同じ食卓を囲んでいたが、今では、それぞれ違う家族を持ってそれぞれの人生を歩んできて、別々の味と型のおにぎりを持ち寄って、みんなで集まって食べていた。

おもわず、茂木の目からは涙がボロボロと流れてきて、おにぎりを食べたそうだ。