私は、昭和四十五年の都立高校受験を迎えていました。この年の都立高校試験は『学校群制度』導入初年度でした。私は当時の区内でも成績の優秀な大規模中学校においても学力試験などでも常にトップシングルにありました。しかし、前年の夏休み宿題で、数学の宿題は期限後に提出したので、校長室に1時間の正座をさせられました。
美術の宿題では2点の作品提出を求められていました。2品の作品を作成しましたが、級友の求めが有り、1点は彼に譲りました。この作品が区内の作品展で入賞してしまいました。学内で人気なり、彼と私は美術教師に趣き真実を伝えました。私には5点評価中の3とされました。その後、担任教師からは3の評価をあるようでは、内申書が悪いので、希望の高校への受験はさせられられないと言われました。私は当時好意を持っていた異性の同級生の進学校(商業高校)への受験を希望したいと言いました。すると、教師は『学校の進学の実績が大事なので、普通科の一番ランク下で受験するように』と言われました。当時の私は、学校での教育とは子供の可能性を引き出してくれるものと信じていたのでそのまま従いました。都立高校受験は簡単でした。
所属した部活の顧問から『あれほど優秀な入試成績なのになんで、この学校に来たんだと言われた』ので、評価3があったから受験させてもらえなかったのというと、『そんなばかな話はない。』と言われてしましました。進学した高校では、教師の出題は間違っていたり、体育では体調が悪いと言っては半分以上の時間が自習とされるなど、まともに学習のモチベーチョン上げることは見られていませんでした。
学校は、子供の将来を開くための大事な場所です。十分時間が経過していると思い、2人の私の娘を私と同じ中学校に通わせましたが、同級生から着替えの写真を撮らればら撒かれるなどの酷いいじめが有りました。今でも娘たちはトラウマがあるように感じます。小学校時代の私は絵描きか学校の先生になるのが希望でした。
今の学校が労働条件などで大変に苦労しているのはよくわかっています。
子供達の未来を開くことのできる先生方を応援しています。