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鷹野つぎ歌碑

浜松市西区村櫛町
設置年 昭和57年(1982)12月
設置者 静岡県西部振興センター(解散)
管理者 浜松市西区

 浜松市出身の女流作家・鷹野つぎの歌碑が浜名湖の村櫛半島にあるということがわかり尋ねてきた。場所は半島先端部の海水浴場の脇である。
 浜名湖周遊のサイクリング道路の完成に合わせて、他の13人の句碑・歌碑と共に、道路沿いの14箇所に建立されたようだが、鷹野の歌碑は残念なことに雑草と雑木が繁茂し、目立たなくなっていた。

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今日をなほ遠州灘の大濤(おおなみ)は
 われの生地にとどろきてあらむ

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鷹野つぎ
明治23年(1890)ー 昭和18年(1943)
旧姓は岸 浜松高女、静岡高女研究科に学ぶ
 浜松高女の校長田辺友三郎(童謡「モモタロウ」の作詞者)の影響をうけ、文学に関心をもつ。卒業後、信州松原湖畔小海町出身で、文学仲間の新聞記者鷹野弥三郎と結婚。
 島崎藤村に師事し、小説『悲しき配分』などを著わす。自然主義文学的な手法で家庭を描いた短編が多い。
 私生活では6人の愛児が早逝し、自らも結核に苦しみ、昭和18年3月19日東京中野区沼袋の自宅で死去。享年54
 出身校の後身の浜松市立高校に「文学碑」(昭和48年建立)、夫の出身地の小海町松原湖畔に「文章碑」(昭和61年建立)がある。
 没後75年の今年2月、浜松時代を回想した随筆『四季と子供』『娘と時代』が翻刻出版された。
 2冊セット1000円(問合せ先、浜松市中区役所振興課:053-457-2210)3月 2日までに完売したもよう。

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 http://www.ytg.janis.or.jp/~kurio/images/photo03.jpg 松原湖畔の「文章碑」