二俣街道に面する工場西側(左側の歩道の下は暗渠になっている)2012年7月
工場西側の二俣街道から南をのぞむ (昭和5年頃)
正門付近(当時、正門は工場の西側、二俣街道沿いにあった)昭和初期
日本楽器製造付近の空撮(書き加えた白線は現在の二俣街道の新道)昭和初期
日本楽器製造本社工場
現・ヤマハ㈱本社工場
浜松市中区中沢町10-1(旧中沢町250番地)
写真①2012年の現況
②『浜松市史』4巻付録より
③④『浜松市民の80年』静岡新聞社平成3年
本社工場に残る最も古い工場建屋「一号館」の外観(北側から)
昭和11年頃に清水建設によって本社工場の北東隅に建設され、戦災でほぼ壊滅状態になった際も焼け残り、現在は研究開発部門が使用しているという。
日本楽器株式会社浜松本社工場全景
手前が一号館、右手が本社ビル
正門前の水路は現在暗渠になっている