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広州・沙面


広州・白天鵝賓館からの俯瞰
沙面はもともとは珠江の一部分である白鵝潭と呼ばれる水辺にあった砂州(別名拾翠洲)のことで、1856年のアロー号事件・第二次阿片戦争後に租界として設定され、以来、列強諸国の領事館などが集中した地域として知られている。
面積約0.23k㎡の島内に約150棟の洋風建築が立ち並んでいるが、当初は沙面への出入りは東西の二ヶ所の橋に限られていた。沙面の建設費は五分の四は英国が、東側五分の一はフランスが負担したため東側の橋はフランスが、西側の橋は英国が建設し管理していたという。
今は南側を埋め立てて建てられた白天鵝賓館の側からも出入りできる。