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写真:1937年(昭和12年)の中村與資平氏
出典:中村與資平著「住居」より

中村與資平年譜(含関係事項)
1880年M13 2月8日 静岡県長上郡天王新田村(現浜松市天王町)で父貞一郎、母せきの長男として誕生
1888 M21 9月1日 東海道本線浜松駅開業
1889 M22 下堀学校(現浜松市立与進小) 卒業(満9歳)
  7月    東海道本線全通
1893 M26 浜松高等小学校(現浜松市立元城小) 卒業(13歳)
1894 M27 〔日清戦争〕(~95)
1895 M28 浜松電灯合資会社設立
1898 M31 同郷の竹山純平、東京帝大を卒業し、第一銀行に就職する
1899 M32 静岡県浜松尋常中学校(現浜松北高)卒業、三高入学 (19歳)
1901 M34 山陽鉄道神戸-馬関(下関)間開通
1902 M35 三高卒業、東京帝大入学(22歳)      浜松電灯株式会社設立
1903 M36 6月 竹山純平韓国へ出張、帰国後渋沢栄一に韓国事情を報告。
     8月 田代家の三女きしと結婚(23歳)
1904 M37 〔日露戦争〕(~05)竹山純平、戦費調達のため銀行団の一員として戦地に派遣される。
1905 M38 東京帝大工科大学建築学科卒業(24期)、同大学院入学
     卒業設計:「An Anatomical School」(解剖学校)
http://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?&key=102210261474&APage=531
     辰野葛西建築設計事務所に入所(25歳)
      韓国京釜線開通、関釜定期連絡船(壱岐丸)就航 
1906 M39 竹山純平、第一銀行京城支店副支配人に就任
      渋沢栄一訪韓、京城支店予定地視察
1907 M40秋 韓国へ渡航、視察(27歳)
   12月 第一銀行臨時建築部工務長として韓国へ赴任
1908 M41 3月 長女雪枝誕生(~77)
  11月   京城支店工事着工
1909 M42 7月11日 京城支店定礎式に伊藤博文出席
  10月26日 伊藤博文暗殺
  10月29日 韓国銀行設立
1910 M43 浜松の竹山邸着工 〔韓国併合〕
     長男邦一誕生(~1989)
1911 M44 韓国銀行、朝鮮銀行に改称。朝鮮銀行釜山支店竣工。
1912 M45 1月 朝鮮銀行本店竣工
  4月 中村建築設計事務所開設         (京城市黄金町)
  10月 竹山邸棟上式
  12月 自宅竣工(京城市蓬来町4丁目)    (32歳)
1913 T2 3月 竹山謙三死去(享年64歳)、 竹山純平帰国 竹山邸竣工
1914 T3 6月 第一次世界大戦(~1918)
1916 T5 次男兼二誕生(~1944)
1917 T6 3月4日 京城日報に「欧州戦争と我が建築」執筆
 『美術的建築』を出版。序文は辰野金吾 http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/61520630.html
 大連市に出張所と工事部を開設(山縣通り100)
 ロシア革命。アントン・フェラー入所
1919 T8 月25日 野金吾死去。三一運動おこる。
  6月 大連市建築規則による一級主任技術者に無試験で認定     
1920 T9 12月25日 京城の事務所火災で焼失。太平町に移転
1921 T10 3月25日 米欧旅行に出発(アントン・フェラー同行)
   19カ国90余都市をまわる
   旅行記を『満洲建築協会雑誌』に連載
1922 T11 2月11日 米欧旅行から帰国(42歳)
  3月8日 朝鮮建築会副会長に選出される
  4月 東京溜池に中村工務所開設
     京城事務所は岩崎徳松が担当し、大連事務所は中村宗像建築事務所とする
  6月 久留弘文が独立し、高岡久留工務所(大連)を開設
1923 T12 3月 次女和子誕生
   9月1日 関東大震災のため事務所を高円寺の自宅に移転
1924 T13 実践女子専門学校で住居の講義を担当(約20年間)
   5月20日 岩崎徳松死去により京城事務所閉鎖
1926 T15 設計部を新宿第百ビルに移転
1928 S3 設計部を丸の内・昭和ビルに移転
     相坂幸治(1911-77)入所、1944まで在籍
    高円寺の自宅竣工(44歳)
1929  S4 9月4日   渡満
1930  S5 中村家の家督を相続(50歳)
1931  S6 私家版『米欧旅行記』上下2巻を作成http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/25242696.html
   『洋風建築設計者の虎の巻』を出版(『美術的建築』の復刻版)
1933 S8 設計部を丸の内・三菱仲14号館(元の26号館)12号3Fに移転
      http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/28401106.html
   児童科学教育協会設立
1934 S9 工事部を閉鎖(54歳)
   設計部を高円寺に移転
   中村與資平建築事務所に名称変更
   6月30日   母せき死去
   12月28日   父貞一郎死去
1937 S12 『住居』を出版 http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/61521825.html
1942 S17 日本大学で都市計画の講義を担当
     竹山純平死去
1944 S19 6月 事務所を閉鎖し、浜松に疎開(64歳)
   9月13日次男兼二ビルマで戦死(享年29歳)
1945 S201月26日 妻きし死去(享年60歳)
1947 S22 元所員の相坂幸治が浜松に開設した相坂建築事務所の顧問に就任(67歳)
1949 S24 浜松の雑誌『地方文化』に「米欧旅行記」を連載(米国編のみ)
1952 S27 静岡県教育委員会委員に当選(72歳)
   竹山邸主屋、旧二俣町の宗建寺に移築
1956 S31 静岡県教育委員会委員に再選し、副委員長に就任(76歳)
  次男兼二の記念碑建立(浜松市天王町)
1962 S37 浜松市公会堂が児童会館に改装
1963 S38 10月 下田歌子追悼文集『竹のゆかり』に「下田先生を憶う」を寄稿(27回忌)
         執筆年不詳
1963 S38 12月21日 死去(享年83歳・戒名 観月院誠実資公居士)

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1978年 12月18日 天道教中央大教堂、ソウル特別市有形文化財36号に指定
1981年 旧朝鮮銀行本館 韓国史跡280号に指定
〃  中央学校(西館・東館)韓国史跡第282,283号に指定
1989  H1 4月25日 中村與資平展開催 (於:浜松市立中央図書館)
      ~5月21日
1989  H1 10月 中村與資平展開催 (於:静岡市)
 同記念誌『ドームをぬける蒼い風』出版
1996 H8 静岡市役所  登録有形文化財
1998 H10 浜松銀行集会所 登録有形文化財
〃    静岡銀行本店  登録有形文化財
〃    豊橋市公会堂  登録有形文化財
2001 H13 静岡県庁舎   登録有形文化財
    旧朝鮮銀行大連支店 中国国務院・全国重点文物保護単位
2002 H14 豊橋市公会堂  愛知まちなみ建築賞(愛知県主催)
   旧朝鮮銀行大連支店 大連市・第一次重点保護建築
2003 H15 旧遠州銀行本店 浜松市都市景観賞
2005 H17 同 浜松市有形文化財   
2009 H21 12月5日 旧浜松銀行集会所に「中村與資平資料室」開設
2010 2月 絵本『中村與資平物語』発行(浜松市東区)
http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/60509768.html 
(敬称略)