権利の上に眠る者は保護に値いしないという格言がある。
この格言を言い換えれば、ボランティア活動のお誘いを断る勇気のない人は渋々参加せざるをえないということだろう。
上司や先輩から、「社会福祉法人として地域に貢献したいので、夜店の手伝いをできませんか?深夜のソフトボールに参加しませんか?人手が足りないんです。お願いします。」と言われたとする。
内心では「(参加したくないなあ。)」と思いつつもその誘いを断ることができず、渋々受け入れる労働者がいる。
渋々だが慈善活動に参加することを決めた以上、いつまでも落ち込まないでなにか得ることはないかと前向きに検討すべきだろう。
参加して良かったこととしては、
・上司・先輩の顔を立てることができたということ。
・地域に貢献できたということ。
・参加することで普段関わることの無い人間たちと関わることができるということ。
参加して悪かったこととしては、
・プライベートの時間が慈善活動のため犠牲になってしまうということだろう。
本来、参加と不参加の判断はその”良かったこと”と”悪かったこと”を天秤にかけて決めるべきだろう。
私の場合、夜店の手伝いもソフトボールもそこでの新しい人間関係にも興味関心がないので断る。
盆踊り講習会については、リズム感が鍛えれるし、全身を使って音楽を表現する踊りにも興味あるし、音楽を楽しんでいる盆踊りを踊る人たちと関われることができるので楽しみでもある。良い運動にもなりそうだ。そのために私のプライベートの時間(ピアノとギターのレッスンと読書)を削ってもよいと思ったので参加することにした。
ボランティア活動のお誘いは嫌なら断ればいい。断ることで角が立ち人間関係がギクシャクするというのは対等の人間関係が築かれていない証左だろう。
そういった隷属的な関係の使用者と労働者であり続けることを望むのなら渋々参加も仕方がない。
私はそういう神経を持ち合わせていないので、そういう渋々参加をする労働者を見かけると、「これが社畜というものか」と不憫に思う。そんな自由を愛する人間から意見を言わせてもらえば、上司・先輩からそういったお誘いがあれば、「その活動は労働ですか?それとも、ボランティアですか?」と上司・先輩にきいて、「ボランティアです。」と返答されたら、上記のようなメリットとデメリットを天秤にかけ、「参加します」もしくは「不参加します。」と言えばいいと思う。
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