前回小平迄の道程を書いてから、随分と時間が経ってしまいました。
どうも年を取ってくると集中力が続かないようで。。。。。
このままでは、年内に多摩湖まで到着しなくなりそうなので、改めて出発です。
小平駅を過ぎしばらく行くと、踏切が出現します。
小平迄は西武新宿線と並行して歩いてきましたが、西武新宿線は小平から久米川、東村山、所沢へと自転車道とは離れ北上して行きます。 そして、小平駅から西武拝島線が分岐しており、
この踏切は拝島線の踏切となります。
この近辺の西武線は、新宿線、拝島線、国分寺線、多摩湖線の4路線が交錯した地域となっています。 西武鉄道の成り立ちにかかわっているようで、YouTubeにも色々動画がUPされています。
踏切を超え少し進むと、萩山駅の北口へ到達します。 この駅は拝島線と多摩湖線の接続駅となっています。
数年前までは、拝島・多摩湖行の電車が運行されており、この萩山駅で拝島方面と多摩湖方面へ分かれて運行していました。(逆に拝島方面からと多摩湖方面からの西武新宿行きが、この駅で連結運行されてもおりました。)
萩山駅の動画もありました。
萩山駅を過ぎさらに進むと「野火止用水」に出会います。
この用水は、江戸時代に玉川上水が分水されたもので、埼玉県の新座市を通り新河岸川へと続いた用水です。
徳川幕府の老中松平伊豆守信綱によって開鑿されたため「伊豆殿堀」ともよばれていたそうです。
多摩地区には、この野火止用水や千川上水それらから分岐した用水等々、今でも結構残っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%81%AB%E6%AD%A2%E7%94%A8%E6%B0%B4
そして、この用水を渡ってすぐ多摩湖線の八坂駅へ到着します。
この駅は、丁度府中街道の脇に位置しています。
私が高校時代の府中街道は、2車線しかなかったのですが、今は片側2車線の4車線の道路へと変貌しておりました。 道路脇にはお地蔵様も。
若い頃、酔っぱらって拝島・多摩湖行(当時は、拝島・西武遊園地行きだったかも?)
最終に乗り、乗り過ごして気が付いたのが、この八坂駅。 帰ろうにも既に折り返しの電車は無く、府中街道を北上し、新青梅街道を東へトボトボと家まで帰って行った記憶があります。
まったく、バカなことをやっておりました。w
萩山、八坂と多摩湖自転車歩行者道は、多摩湖線沿いに目的地まで続いて行きます。
そして、2つ目の踏切。西武国分寺線の踏切を渡ります。
ほんとに、路線が交錯していることがわかります。
澄み切りを渡り、東村山中央公園沿いに道は続きます。
そして、新青梅街道の下をくぐり抜けて、空堀川を渡ります。
この空堀川は、このまま新青梅街道沿いに進み久米川辺りで北上していくのですが、高校時代
通学時にこの川沿いを使っていた頃は、水はほとんど流れておらず、その名の通り涸れ川だった記憶があります。
但し、今は河川整備がなされ、水も結構流れているようです。
川を渡ってすぐ右側に、東京都水道局東村山浄水場が広がっております。
中を覗こうと思ったのですが、金網で良く見えませんでした。
さらに多摩湖線沿いに進むと、着きました。!!
多摩湖線の武蔵大和駅です。 ほぼ終着点となります。
この交差点を渡り、坂道を登って行くと狭山公園、そして多摩湖です。
目的地に到着です!!
白いドームは、西武球団の本拠地ベルーナドームです。 遠く、雲取山をはじめとする奥多摩の
山々くっきりと見えていました。
堰堤の下です。 紅葉しはじめといったところですかね。(11月11日)
多摩湖の詳しい情報はこちらから。
約3時間程の行程でした。
丁度昼過ぎだったので、どこかで昼食と思ったのですが、駅の周りはほとんど住宅。
それに遊園地だけ。 食堂は一軒見つかりませんでした。
仕方がないので、多摩湖駅から萩山、小平経由で電車で帰ることに。
ちなみに、この多摩湖駅ですが、多摩湖線だけではなく西武遊園地入口経由西武球場前駅
へ至るレオライナーの発着駅でもあります。
ということで、今回のぶら歩記は終了です。
追記:
高校時代に、冬の体育行事として10K走をこの多摩湖周辺の道でやりました。
なんと着替えを、近くにある西武園競輪場で行い、スタートとゴールもこの競輪場でした。
都立高校の体育行事が、何故埼玉県にある競輪場でできたのか?謎ですね。
また、西武園競輪場へのアクセスとして、多摩湖駅の少し先に西武園駅があります。
西武新宿線東村山駅から単線1駅の路線だったような。
この西武園駅の側に、高校時代の同級生S君の家があり、卒業後良く遊びに行っておりました。
当時S君とYさんの3人で、当時はやっていたフォーク音楽のグループを組んでいたこともあり、
2年程練習やらで通っていました。
その際、春でしょうか。 花見をかねて堰堤下の狭山公園へ行って練習したのですが、
その時歌ったこの曲が、50年以上も経った今でも記憶に残っています。
Here Comes The Sun
では、では・・・・・・・・・・・





















