日本国憲法施行から70年、改憲の動きも現実化している。

現憲法は理想的で現実にそぐわず、戦力不保持を明記しているが自衛権が不明確とか、日本の自然や伝統の尊重や知る権利なども記載すべきとか、私学助成が違憲になってしまうとか、問題も指摘されている。

指摘はもっともな面もあるが、では改憲かというと、改憲は危険の方が大きい。改憲案も出ていて、現憲法は日本語としても美しくないと石原慎太郎などが言っているが、彼の文章などより憲法の文の方が美しいと私は思う。例えば恵沢という言葉など、憲法前文くらしか、一般になじみのない言葉であるが、意味はわかるし、この言葉を含む文も、どの改憲案より美しいと思う。

現憲法はおしつけられたものだから自主憲法を制定すべきという意見もある。私は当時のことを実際には知らないが、必ずしもおしつけれらたものではなく、戦後の日本人に肯定的に受け入れられてきたものと考える。敗戦で虚心に良いものを求める日本だったからこそ、制定され施行できたものだったとも思う。そう思うようになったのは、東日本大震災で、日本人の多くが大規模な原発事故も経験し、自分たちの生活や社会や文明のあり方なども反省し、原発などない、物質的に豊かでなくても平和に助け合って暮らしていける社会のあり方や自分たちの生き方を真剣に考え、希求したからである。

今はもうほとんど、そうしたことが忘れ去られ、物的経済的豊かさや便利さなどが追求されるようになってしまったが、震災直後の、

不便さの中で多くの人が優しさや思いやりを持って助けあおうとし、あの時なら原発ゼロを決めることもできのではと思うと、現憲法も戦後のそういう状況だったからこそ、人々や様々な組織が自分の都合や欲求ばかりを出さず、良いものができたのではないか、と思うのである。

安倍首相は自らを「戦う政治家」と称している。
「戦う」ことを、重要な、かっこいいことと思っているようである。
だからか、自分に批判的な人やメディアなどに対して、必要以上に攻撃的になったりするところがある。
しかし、民主主義の時代、平和主義の日本の政治家は、戦うのでなく、
平和的に、目的を実現していくことが重要なのではないか。
戦う方がかっこよく見える面もあるが、それで一時的に快感などが得られても、必ずしも日本の平和や国民の安全や利益が守られる訳ではなく、傷つく人や犠牲者が出たり、怨恨や憎しみなどが残りがちである。
自分の見栄など捨て、粘り強く、様々な手段で交渉するなりし、目的を実現して行く方が、良いのではないか。
安倍氏と気が合うという、百田尚樹氏や櫻井よし子さんなども、同様の傾向が見られる。
これらの人は、美しい日本への愛や日本人としての誇りを重視し、日本を卑下したり貶めたりするような人やメディアなどに対して批判的・攻撃的で、特に朝日新聞などが嫌いのようである。
私も美しい日本、郷土日本の自然や文化、日本人などに愛着があるし、礼節や秩序や助け合い、奥ゆかしさなどが自然に身に付いていて、品格や芸術性や知性も高く、異文化の包容力などもある日本や日本人の良さも誇りに思っているが、これらの人には、そうした日本人の奥ゆかしさ、品格や包容力などが感じられない。
安倍氏や櫻井さんなどは原発や経済成長や、そうしたもので得られる豊かさなども必要と言うが、
鎌倉時代の僧である道元は、「道を学ぶ者は、貧乏でなくてはならぬ。財産のある者は、怒りと恥辱の難が必ずやって来る。財産があれば、奪ってやろうという者が出て来るし、こちらは取られまいとして、相手のやり方に怒ったり、口論になり、争いや戦いが起こったりするのだ。貧しくて、欲ばらなければ、怒ることも、恥辱を受けることもなく、安楽で自由なのだ。人を殺すことはあっても、人に殺されまいなどと思うから、自分自身も苦しく、用心もせねばならぬ。人が自分を殺そうとしても、自分は仕返しはしないのいだと心を決めていれば、何の用心の必要もなく、盗賊におそわれても、何もこわがることもない。安らかな気持ちでいられるのだ。」と言っている。私は安倍氏などよりも道元に、強さや品格を感じる。ただ、そうしたものは道元や日本人だけでなく、カントなど他の外国人にも、感じるし、愛国心に限らず、愛や独善や偏執は危険である。
これは正に憲法の精神で、現政権や改憲を主張する学者などは、集団的自衛権も、どの国も持っているのに、行使できないのはおかしいと言うが、持っていても、あえて行使しないと決めていることに意義があるのである。こうした精神は現憲法に特殊なものではなく、日本に昔から存在し、道元なども主張する考え方でもあるのである。保守で日本の良さを守ろうと主張している人たちは、こうしたことをどう考えるのであろうか。
集団的自衛権を行使できるように、政権はかなり無理なことを推し進めている。
安倍首相や自民党としては本来は憲法を改正して、やりたいのだが、
民主的に憲法改正の手続きを踏んでいたのでは改正できる見込みも立たないので、
日本の自衛のための限定容認ということで、憲法解釈の変更で、やってしまおうとしている。
政権や与党は、世界情勢の変化を理由に挙げているが、、実際は中国や北朝鮮などから日本を守るにも、アメリカの力に依存し、そのアメリカが求めているから、ということだろう。
戦後70年、日本の平和が守られてきたのは、平和主義の憲法があったからなのか、アメリカの抑止力があったからなのか、議論のあるところだが、日本の平和主義が評価されているのは事実である。
中東などで多くの外国人が誘拐されたり拘束されたりしても、平和主義の日本の国民だからということ解放されたりする例も多い。今年は不幸にも日本人が殺害されたが、安倍首相が慎重な発言をしていれば、解放された可能性もある。今後、集団的自衛権で日本がアメリカと一体と見なされれば、日本がテロなどの標的になる危険性は更に高まる。アメリカの抑止力はアメリカの力を恐れる相手には有効だが、アメリカ憎しで命も捨てて自爆テロもしてくるような相手には、有効でないどころかテロなどの口実を与えることにもなる。
安倍首相や政権は今回の集団的自衛権の容認や安保関連の法整備で日本や日本人が戦争やテロに巻き込まれるリスクはゼロに近いくらいに減少すると言っているが、テロの危険は増えるのではないか。中国などに対する抑止力はあるにしても、中国の脅威があるのは尖閣諸島くらいで、日本人の住む日本本土や沖縄などに、中国などが世界からの非難や孤立を覚悟で侵攻してくることなど、まずなく、逆に、テロなら東京など日本の中枢や日本人の多い所が狙われる危険が多くなる。
こうしたことも考えた場合、安倍首相や政権のやろうとしていることは、民主主義の面でも、平和主義の面でも、現実の日本や国民の安全や利益の面でも、問題があり、危険であると、言わざるをえない。

高校野球で、投手の故障回避等のために、タイブレイク制や投球制限などが検討されているという。

オリンピックで野球を再度競技種目に入れるためにも、試合時間短縮なども検討課題だという。

私は野球は好きで、好きなチームの試合なら時間が長くても、というよりできれば長く試合を見ていたいが、

確かに野球は試合時間が長くなりがちだし、予定が立ちにくいし、投手の負担が大きく故障の回避や予防なども大きな課題と言える。

そこで、野球は9回でなく7回を原則とし、延長は9回まで、9回までに勝敗が決まらなければ10回からはタイブレイク、とするのが良いと考える。

現在の多くの野球ファンは現在のルールやあり方での野球に魅力があってファンになっているので、現在のルールやあり方を変えるのには抵抗があるのはよくわかる。が、そうしたものにとらわれず、合理的に考えれば、上記のようにするのも一つの方法なのではないか。



安倍政権が集団的自衛権を行使できるように憲法解釈を変更した。

日本の権利が拡大し、多くの国で平和や安全を守るのだから良いように言う人もいるが、

むしろ日本が戦争に巻き込まれたりテロに襲われたりする危険を高めるのではないか。

戦後日本は海外で武力行使をせず、平和的に世界に貢献することで、多くの国や人々から信頼され評価もされて来たし、それで平和や繁栄を維持して来た。

アメリカなどは海外でも武力も行使し、他国や世界の諸地域に介入し、

自国に都合の良い制度や文化などを普及させて来た。

それは各国の人々を古い因習などから解放し、自由や民主主義を普及させた面もあるが、

各地域の自然や文化や民族の伝統や尊厳などを破壊して来た面もあり、

多くの民族や人々などから怨まれ憎まれ、テロなどを生み出すことにもなっている。

今回の憲法解釈の変更は、そうしたアメリカと一蓮托生になるという面が強く、

安倍首相がそうではないと言っても、そう思う人がいれば、日本もアメリカ同様、テロなどの危険にさらされることになる。

安倍首相は今回の憲法解釈の変更は戦争抑止力を高めるもので、日本が戦争しないということは変わらないと言っているが、

安倍首相は原発の問題でも、前の在任時に、共産党の議員から、電源喪失など、まさに東日本大震災で現実になった事態について指摘されていたのに、

そんなことにはならないから大丈夫と強弁していたし、全く信用できない。

安倍首相が共産党の議員から指摘されていた点についてきちんと対策していれば、

そもそも原発などという何かあった場合に甚大な被害を及ぼすものがなければ、

東日本大震災でも原発事故は回避でき、現在のような深刻な事態にはならずにすんでいたのに、

政府や安倍首相の罪はとてつもなく大きいと言わざるをえない。

今回のことでも、後で深刻な事態になってから、反省などしても、取り返しはできない。