これは2009年1月初旬、東京都三鷹市で実際に起こった事件である。多少長くなるが、是非最後までお読みいただきたい。あるいは今後の人生の、なんらかの教訓になるかもしれない。

今年始めの東京に着いた僕は、郵便受けに何気なく投函されていた数枚の美容室のチラシを見て、年始からぼさぼさだった自分の頭髪のことを考えた。美容室は一度きめたらそこばかりいく習慣がある。僕は定期的に和歌山と東京を行き来しているが、散髪はいつも和歌山の決まったところでしかしたことがなかった。東京で美容室に行く、というのが上京2年を目前にして経験なかったのである。しかし、年始に東京にきて、この頭ではいささか幸先が悪い。僕は初めて都会の美容室に足を運ぶことにした。

まず目に留まったチラシは、髪をカールさせた美人がカメラ目線でにっこり微笑む駅前の美容室A。カットがなんと2,100円というではないか。安い。和歌山でもこの二倍は出している。しかもパーマが3,675円だという。これはもはや価格破壊だ。カットとパーマで10,000円くらいを想定していた僕は、年始の出費が抑えられることを内心喜んだ。
が、甘い話にトゲがあるのは世の常。以前、「パーマ安いところみつけたんよ」と喜び勇んで家を出た母親が、トータルテンボスの藤田 になって帰ってきたことがあった。「かるくあてるてゆうたのに・・・もう二度といかんわ」といった悲しそうな母の声が忘れられない。

そんなわけで僕は保険に同じく駅近くの美容室Bのチラシも持って家を出たのであった。Bの店は価格は平均的であったが、オープン○周年ということでカットもパーマも割り引いているという話だ。こういうのを利用しない手はない。
しかし、年末の出費の痛手が未だ胸に残る身としてはAの魅力(主に価格)は捨てがたかった。まずは足がAに赴く。
ところがチラシの地図を片手に歩くも、なかなか見つけられない。あっれー?この辺のはずなのだが。地図を見て街をみて、を繰り返していると、やがて発見した。その店は何度も前を通っていたのに気付かずにいるほどの小さな佇まいだった。大丈夫かな、と思い中を覗き込むと、背の高いイケメンがハサミを手にしているのが見えた。助手らしき小さな女性もいる。チラシのイメージ通り、若者むけの店なんだろうか、と思ったのは最初だけで、すぐ3、4人居る客の年齢層が50~60代であることに気付いた。しかもその内の2人の頭はまさにトータルテンボス藤田のそれであった。ヤバい!この店はなにかヤバい!そう本能的に感じた僕は、何事もなかったように足を美容室Bに向けたのであった。

美容室Bは、店内明るくインテリアも今風で洒落た店であった。入るとなにやら住所やら要望やらを記載してくださいと用紙とペンを渡された。要望といっても、とりあえずカッコよくしてくださいくらいしかないな、と思い、そのまま「カッコよくしてください」と書いた。きっとイタい客が来たと思われたことだろう。今になってようやく反省している。
それを出してしばらく待っていると、「榎本さん、こんにちは!それでは本日担当させていただくKと申します!」と24歳くらいの女性が元気良く挨拶してきたので、「どうも、よろしくお願いします」と返した。元気のいい女性でよかった。東京事務所にいると日常的に人と話すことがほとんど無い。楽しく会話できたらいい気分転換にもなるだろう。そう思っていた。その時までは

はじめのウチは話も弾んでいた。

「どのような感じでパーマかけましょう?」
「僕、ボリューム少ないのでなるべく頭のてっぺんがふわっとなるようにしてください」
「わかりました!サイドはどのようにしましょっか~」
「こう、ちょっとくるっとなるように。あ、でもひぐち君までいかないようにお願いします」
「あはは、ルネッサーンス!の人ですよね(笑)」
「そうですそうです(笑)」
「ご職業はなにをされてるんですかぁ~?」
「イラストレーターしてるんですよ」
「へえ~、じゃあお笑いの絵を描いたりします?」
「え、お笑いの絵・・?(なんだろうそれは)」
「いや、お笑い好きそうだから、ひぐち君とか言ってたし(笑)」
「ああ、いえ、お笑いは好きですけどね。仕事で似顔絵描いたりしますよ」
「へえ~」

ここでなぜか僕がお笑いについて熱く語る。

「お笑いの人はすごいと思うんですよ。だって、生活の保障がなにも無いのに、若手の時は貧乏して、きっと親とかにも反対されることも多いだろうし、それでも「人を笑わせたい、楽しませたい」っていう想いを持ってがんばってると思うんですよね。その生き方を選んだ意思の強さもすごいと思うし、実際話術だけで活躍してる彼らのエネルギーもすごいと思うんです」

「あはは、そうですねーお笑いの人って、若い頃は家なかったりするみたいですもんねー(笑)」

ん?家が無い?それは誰のことだろう。ホームレス中学生の田村は少年時代のことだし、メッセンジャーの黒田あたりの話だろうか。いくら貧乏してても家が無いって、相当なことだと思うが。そんなことを考えていると彼女がこう言った。

「イラストレーターさんも駆け出しのころは家なかったりしましたぁ~?(笑)」




・・・は?

えーと、今僕馬鹿にされた?そう思い気の短い僕は反射的に、

「え、今のどういう意味ですか。確かにイラストレーターもフリーランスですとお笑い芸人と同じく生活の保障はなにもありませんが、だからといって家が無いような状態にはなりませんよ。そうならないために努力しますし、志を持ってやってるんです。馬鹿にしないでください。そもそもあなたには僕が野外で生活していたように見えましたか?仮に見えたとしても美容師として客にそういうことを言うのは如何なものかと思いますが?」

と、言いたくなったが、昨今、自分の気の短さによる人生への弊害、デメリットを痛感する出来事が続き、反省に継ぐ反省の日々を送っていた矢先だったので、なんとか堪え、「いや、そうならないように頑張ってました」と答えた。

美容師Kさんは、パーマをかけてから、全体の髪の量や前髪の長さを調整したいという。ずいぶん丁寧にカールしてくれているのだが、何がどうなっているのか、ロッドを輪ゴムで止めるときに、やたら頭皮が痛い。それを正直に言うと、「すみません」とより丁寧に作業をしてくれるようになったのだが、素人目に見ても作業が遅々として進まない。パーマって、こんなに時間掛かるっけ?と時計を見て驚愕した。入店してから二時間は経過していたのである。

「じゃあ、あとはコレやって、終わったらはずしますからもうちょっと辛抱しててくださいね~」

と、ジュピターと呼ばれる遠赤外線装置をあててKさんは去っていった。熱を発して温かいというよりはやや熱い。パーマをかけるのも久しぶりだったから以前こんな熱さに耐えたかは定かでない。雑誌をあてがわれたが、「イケメン」、「流行り、「モテ系」」の文字が中央に躍る時点で読む気になれなかった。こういう単語は思考をネガティブにさせる。少なくとも僕には。

「はーい、時間です。榎本さん、はずしますね~」

ずいぶん長かった。巻くときと同じくらい時間をかけて丁寧にロッドをはずすKさん。やっと露になった自分の頭髪を見て驚いた。あれ?ずいぶんカール甘くない?Kさんもなにか感じているらしく、表情が少し堅い。「それじゃ、髪を洗いますのでコチラへどうぞ~」と鏡の無い席へとエスコートする。洗髪したあと、ドライヤーで乾燥させた頭髪をみて、疑惑が確信に変わった。



あっれー!?これストレートのまんまなんですけど?!



この2時間半は一体なんだったのか。あの青白い光を放つ遠赤外線装置は長いこと僕の頭を無意味にライトアップしていただけなのか。Kさんは「こういうふうに自然な感じに見えるように今回はセッティングさせていただきましてぇー」というが、ウソだろそれ。あきらかにキョドり始めているのが手に取るようにわかった。少々かわいそうな気持ちになったので、「はは・・・僕、パーマかかりにくい髪質なんですよね」と言ったら、「じゃあこの長さにあわせて調整していきますね」と話題を変えた。

「前髪はどのくらいの長さにしましょう?」
パーマのかかり具合によっては前髪は切らないつもりでいたが、全くかかってないのでは仕方ない。
「じゃあ・・・1cmくらいカットしてくださ」
ジャキン

Kさんは一気に4cmくらい切った。某掲示板風に言うならば「ちょwwwwおまwwww」である。

「このくらいでいいですかぁ~?」
「いやだから1cmって・・・いや、伸びるからいいですけど」
「あは、ちょっときりすぎちゃいましたかネェ?」

はい、ホントそう思います。けれどもそれを言ったらすぐ伸びるものでもないので言わないよう勤めます。
その後も、長さ調節は続く。実は以前短い状態でパーマをかけて失敗したことがあったので、この日のために年末もカットせずに伸ばしていたのだったが、その髪が「調整」の名の下に床にちらばっていく。

「はい、長いことお疲れ様でしたぁ~」

所要時間、3時間。確かに長かった。長時間座るのは慣れてるので疲れてはいないけど、心が少し。彼女は軽く僕の肩をマッサージしてくれたが、その時、こう言い放ったのであった。

「うーん、前髪、もうちょっと長いほうがよかったですねぇ」


み、みとめちゃったよこの人!


いろいろ言いたいことが喉元に込み上げてきたが、口にした台詞は「いやぁ、このほうが目に入らなくていいですよ」だった。実にヘタレである。
しかし、仕上がった髪型は意外に悪くない。たしかに前髪が目にかからなくなったことでストレスの軽減になりそうな気はした。それに、彼女の最後の一言が本心から出た素直な言葉だったことが、僕の心に走る一陣のさわやかな風となった。彼女はまだ修行中の身で、これから伸びていく人材なのだ。今後この店に通い、この素直な彼女の成長を見守りたくさえ思った。

会計の時、「今日のスタイリストのパーマにもしお気に召さない部分がありましたら、7日以内にきていただければ再調整させていただくこともできますので云々」と言われた。

7日後の明日、再調整をお願いしに足を運ぼうと思う。



もちろんKさん以外の人で。

■はじめての売り込み。


「こんにちは!お世話になっております。イラストレーターの榎本よしたかと申します!」
自分でも有り得ないと思うくらい元気良く声が出た。妙に高い声だった。僕は生来、声が低く、ぼそぼそとしゃべる悪癖があり、会社員時代は電話で「え?!すみません今なんて?!」とよく聞き返されていた。しかし、イラストレーターになってからは電話での対応時にはなるべく元気良く声を高くしてしゃべるよう心がけていた。石の上にも三年というのか、高くしゃべりつづけていれば次第に生の声も高くなり、以前はカラオケで尾崎豊の歌を歌うのに2つほどキーをさげなければならなかったのが、現在では原曲キーでOKである。一オクターブも高くなったのだ。それを自覚していた僕でも、この声は高いぞ、というような挨拶だった。
「ああ、遠路はるばるどうも」と笑顔でおっしゃられたのは、一度取引したときの担当D氏だった。ブースに案内され、名刺交換をする。初めて会う人が2人ほどこられ、1対3という図式になる。「こちら榎本さん。今日は和歌山から来てくださったんだ」「へえ~それはそれは」「あ、こういう絵を描かれてるんですね!かわいい~~」といった具合に話が進み、予想だにしないフレンドリーさに機嫌をよくした僕は、やたら饒舌になったのを覚えている。自分の絵と、アポイントメントを取ったとはいえ、忙しい仕事を中断させてしまっている僕に、これほどまでに肯定的に接してくれるとは正直思って居なかったので、本当に嬉しく思った。想像していたワーストな対応は、「あ?榎本?知らないなぁ。あ、前にウチの雑誌の絵描いてくれてた人?ああ、カットね。そんなの描く人たくさんいるから。こんなファイルわざわざ持ってこなくても、郵送でいいんだよ郵送で」というような態度で玄関で門前払い、くらいは覚悟していたのである。今ならなんというネガティブシンキングなんだと笑い飛ばせるが、経験が無い者がみせる想像力とは得てしてすさまじい。
終始やわらかい空気の中、30分ほどの談笑を終えたあと、「また来月分もたのみますよ」とD氏に言ってもらって出版社を後にした。心地よかった。こんな経験ができるのなら、もっとはやく東京にきて出版社めぐりをするべきだったと思った。心地よい疲労感を胸に、僕は次のクライアント先へと向かう。この日は3社回った。足が棒になったが、どこも反応がよく、歓迎ムードで接してくれた。技術的にも未熟な田舎者の都会進出に戦々恐々としていた僕は、とにかく安堵のため息をついた。その日も友人宅に泊まって、翌日帰郷した。和歌山に着いたら、またバイトの日々の始まりである。けれども、どこに住もうが、僕の絵は東京で通用する!とういう自信めいたものが身体に満ちて、バイト後のイラスト描きがますます楽しくなった。


それから本屋に出かけることが多くなった。このところ和歌山には大型の書店が新しく二つもできて喜んでいた。が、それは趣味で欲しい本が見つかりやすくなったから、という理由ではなく、さまざまな種類の雑誌や書籍をゆっくり見れるようになったからだ。僕はイラストが使われた雑誌を手にとっては、そのタッチ、用途、イラストの点数などを把握し、出版社の名前と連絡先(住所と電話番号)をメモに控えた。店員さんに見つかると怪しまれるので、隠れてコッソリとメモを取った。どんな雑誌にどんなイラストが使われているのか。逆にどんなイラストにどんなニーズがあるのか、という市場調査を僕は本屋で行った。普段ならば手に取らないような児童書などにも食指を伸ばす。それらは楽しい作業だった。なぜなら、ひょっとしたら、今僕が手にした本の出版社が、近い将来僕のクライアントになるかもしれない。今この行為は一期一会への第一歩なのかもしれないのだ。


そうして、調べた企業名を検索し、ホームページを見て会社の方針などを調べ、電話をする時は相変わらず緊張したけれど、「じゃあ、○○日ならOKです。遠いところ恐縮ですが是非来てください」と、大抵は好意的な返事がもらえる。売り込みに対する抵抗感や恐怖感は次第に薄れていき、今では全く無い。全然知らない企業にもどんどん入っていけるし、初対面の人たちを前にしても半時間くらい談笑できる。第一歩を踏み出さなければいつまでたっても「僕、人見知りで・・・」とか「電話苦手なんですよね・・・」なんて泣き言を言っていただろう。まだまだトークは未熟だけれど、それもこれから磨いていこうと思う。なんにしても経験に勝るものは無いと思う。


その後、渋谷、五反田など、会場は23区内を転々としたけれど、都度地図を片手にドリルに向かった。友人H宅に2泊して一日目はドリル参加、二日目は売り込みというカタチで活動した。少しずつ手ごたえを得て、売り込み先から仕事が舞い込むようになってきた。にわかに日常が忙しくなってきた。一日5時間は寝るように心がけていたが、それもだんだん少なくなってきた。身体が壊れては元も子も無いので、フルタイムで働く派遣の仕事をやめることにした。今、イラストだけで生活するのはかなり困難だが、もっとイラストに人生の時間を割きたいと思った。減った収入はその新しい活動によってすぐ補えるはずだ。このころには会社を辞めることを決意した25歳のころより、自信がついていたためか、戸惑いはなかった。きっとできる。もっと上に進めるはず。

ここまで書いて、まるで順風満帆のような書き方だなぁと自身失笑するところがあったので、失敗談というか、こんなこともありましたという話を少ししたいと思う。なかなかのトラウマものの話である。


「大抵は好意的な返事がもらえる」と書いた。そう、大抵は好意的なのだ。しかし中にはこういう人もいる。ある有名出版社S社に電話したときのことである。多数雑誌を出版されているし、イラストもたくさん使われている。書店でみかけて連絡先を知った企業のひとつだ。
電話をかけて自己紹介する。何度も繰り返しているのでもうカンニングペーパーは必要ない。先方は若い女性の声でこういう。
「あぁ・・・でしたら○日の○○時でしたら大丈夫ですよ。私が対応しますので是非おこしください・・・」
「はい!お忙しい中ありがとうございます!それでは○日の○○時に伺いますのでよろしくお願いいたします」
ドリルを終え、約束の日時に伺う。大きなビルだ。デカデカと表示された社名は遠目にも分かる。受付に「○○編集部の○○さんに○○時からアポイントメントを取っているイラストレーターの榎本と申します」とつげると、「あちらのロビーでお待ちください」と案内されたのは高級ホテルのようなロビーだ。


待たされること一時間。


やっと現れた若い女性は、電話の主と同一人物であることは一声でわかった。
「あぁ・・・・私が○○ですけど・・・」
20代前半と思しき、スタイルのいい美人だった。
「はじめまして。イラストレーターの榎本と申します」と名刺を差し出す。
「はい・・・」
ファイルをかばんから出してプレゼンを始めると、相槌のひとつも無いので不安になる。
「こういったタッチのイラストも手がけておりまして、御社の雑誌○○にもお使いいただけるのではないかと・・・」
「あぁー・・・はい・・・」目がうごいていない。
イラストファイルの最後のページにはプロフィールを掲載している。こうするとイラストの説明を終えた後で自分の話に持って行きやすいし、いくつかネタもあるから僕自身に興味をもってもらいやすいのだ。
「普段はこういった雑誌にもイラストを掲載させていただいておりまして・・・」
「あー、この雑誌・・・・」
「あ、ご存知ですか?」
「これ、ウチの○○って雑誌のライバル誌なんですよねー」
知ってる。だが、この情報はアポイントを取る電話で既に伝えてある。
「あのですねぇー・・・ウチ、ライバル誌で仕事してる人には仕事ふらないんですよねぇー・・・だって、アレじゃないですかぁー・・・そんなことしたらライバル誌と似たような雑誌になっちゃうっていうかぁー・・・」
髪をいじりながら話す女性。
僕はその当時、同じ系列の雑誌で、ライバル関係にある雑誌でも仕事をしてきた。もちろん若干タッチを変えたりもしているし、同じキャラクターを使ったりはしない。先方もそれを了承しているし、僕はどことも専属契約していないフリーランスだ。バッティングするからという理由で断っていたら、仕事の間口がせまくなってしまう。無論、その雑誌の表紙を描いていたなら、他のライバル誌の仕事は受けない、というようなモラルの観念は心得ている。が、イラストカットにそれほどライバル関係を意識している企業もあるのか・・・と僕は驚いた。
「そうですか・・・すみません」
「だからぁー・・・これ以上話してても無駄っていうかぁー・・・」
「わかりました。それでは失礼します」
「はぁ・・・」
女性は振り向くことなくエレベーターの方角へと歩いていった。
なんのためにファイルを見せて、タッチの違いなどを説明したのだろう。こちらの意図がまったく伝わらなかった。その日はガックリと肩をおとして帰った。事前に僕の活動内容については伝えていたのだが、彼女は注意深く聞いていなかったのだろう。ライバル誌の仕事をしている人間を採用しない、というのはおそらく彼女個人の意見ではなく、社の方針なのだろうが、それは理解できるとしても、彼女のあの人を食った態度がどうにも腹立たしくて、そうして何一つ反論することなくおめおめと帰ってきた自分が情けなかった。
「だから私はこういう仕事をしているものです、と事前に説明したじゃないですか。そもそも待ち合わせに一時間も遅れてきて、なんの説明もないのはいくらなんでも失礼でしょう。社会人同士の会話とは思えないあなたの口調や態度も大変不愉快です。時間を作っていただいてこんなことを言うのは恐縮ですが、そのような態度の方とは私こそ取引したくありませんよ。では、さようなら」
どうせ「あなたとは取引しません」と名言されたのだから、このくらい言って帰ってきたらよかった、などとその日は鬱々と独りで考え込んでいた。今となれば「そういう人もいる」という記憶の一部だが。


こんなことが三度ほどあった。ライバル誌云々ではなくて、「ええい、忙しいのにこんなときに来るなよ」という態度がありありと伝わってくる人だ。そんなときは空気を読んでプレゼンは手短にしておみやげファイルを残して帰る。まあ、なんにしても「いろんな人がいて、いろんな企業があるなぁ」と思う。これが理屈だけでなく、心で分かるためにはやはり経験が必要だったのだし、無駄なことではない。そうポジティブに捕らえることにしている。


後に、東京で知り合ったイラストレーターのMさんとお酒を飲む機会があって、売り込みの体験談などをお互い話していると、こんな話が出た。
「僕ぁねえ~今は完全にデジタルになっちゃったけど、昔はアナログだったでしょ?それで売り込みには原画を持ち歩いてたんですよ。そりゃあいろんなこと言われましたよ最初は。ヘタだったしねぇー。悲しかったのは『Mくん、ここはもっともうしたほうがいいと思うよ』なんていいながら原画に赤えんぴつでガーッて!勝手に添削しちゃうオッサンがいてさあ。アクリル絵の具で描いた原画の上にだよ?!信じられないよね~。あれには参ったよ」


Mさんはおもしろおかしく話していたが、僕だったらその瞬間にキレてるだろうな、と思った。
まあ、時間がたてば笑い話にもなる。失敗は恐れてはならない。
しつこいようだが、経験は、大切だ。




「終章・そして現在。」へ進む。 (執筆中)

「第四章・東京へ。」へ戻る 。

「あのさ・・・」


「なによ」


「いや・・・なんでもない」


「コラ、言いかけたんなら喋れ」


「いや・・・あのね。俺、ブログ書いてんじゃんか」


「ああ、あの意味ねーブログな」


「だいぶ前だけど、『M』って人からコメントついてたの覚えてる?」


「知らね。つーかコメントまで見てねぇよ」


「その娘からメールが来てさあ・・・」


「その娘ってことは、女か」


「うん、みゆきって言うらしい。で、なんか住んでるとこ近いらしいのよ」


「へー・・・。で、なんて?」


「いや、それだけなんだけど、俺、あんま女子からメールとか貰わねぇからさ、なんて返事したもんかなぁと迷った

んだけど、一応「奇遇ですね~」みたいな当たり障りないメール送ったのよ」


「ふーん」


「ふーんて。相変わらず冷たいな。あのポストの写真アップした日記あったじゃん。あれに「私も見たことがありま

す」っていう内容だったんだけど」


「ああ、あの変なポストな。お前んちの近くの。あのカタチありえねぇよな」


「そうそう、あんまり日記に書くネタがなかったからあれネタにアップしたんだけどさ、まさかそれにコメントくれて、

それが縁でメールくれるなんてなぁ」


「で?早く続き言えよ」


「おう・・・で、返信したら、またメール来たのよ。『よかったらメル友になってください!』だって」


「よかったじゃん。人生初の女友達か。メル友だけど」


「うん、で「こちらこそよろしく」なんてメール返したんだけど」


「なんかお前、メール堅てぇな」


「そしたら写メ送ってきてさあ」


「見せろ」


「うーんどうしよっかなぁ」


「アホか、早く見せろ」


「はい、これ」


「うお!」


「な?」


「おおお・・・これはイケる」


「だろ!?」


「お前・・・けどこれはアレだ。残念だが罠だ。出会い系勧誘とかの」


「いや、俺も馬鹿じゃないから、そう思ったのよ。けど、それからメールしてるとそうでも無いらしくて・・・」


「最近の迷惑メールは凝ってるらしいぞ」


「それも知ってる。けど、この写メみろよ」


「あ、これあそこの公園じゃん」


「だろ?この公園をバックに写真撮ってるくらいだから、これは信用していいんじゃないかと」


「この公園の半径5kmの範囲の男限定に勧誘するのも非効率な話だしな・・・いやしかしCG合成かもしれんぞ。目

的にあわせて数十種類の背景を用意して手際よく合成し、信用を勝ち取る罠かもしれん」


「お前、どんだけ人間不信なんだよ!で、お前に話があるってのは、ギター教えてくれ」


「は?話つながらないんだけど」


「いや、繋がってるよ。俺さあ、この・・・みゆきさん・・・ちゃん?年下だからちゃん・・・いや今時らしく、たん・・・」


「たんはやめとけ。100パー引かれる」


「このみゆきさんに俺言っちゃったのよ。ギター弾けるって」


「お前・・・たしか高校んとき俺の真似して中古のモーリス買ってたよな。三ヶ月でやめたけど」


「うん、そう。まだあるよアレ。弦もサビサビ。何度か再チャレンジしたけど、阿部元総理の言うようにウマくはいか

なかったよ・・・」


「だろうね。しかしまたなんでそんな嘘を」


「(阿部元総理はスルーか・・・)いや、だって俺なんも特技ねえじゃん。ギターとか弾けたらカッケーと思ってさあ」


「お前・・・みゆきのことが好きなの?」


「ゴルァァァ!みゆきさん呼び捨てにすんなゴルァァァ!!殺すぞ!」


「(怖。)まあ、好きっていうか、とりあえず気になるから気を引こうとしてるわけね。しかし楽器ができるヤツがモテ

るっていうのは都市伝説だぞ。俺がそうだ。10年以上弾いてるけど、モテた試しがない」


「お前、Sと付き合うようになったキッカケはなによ?」


「(またSの話か・・)いや、あれはアイツがギター聴きたいって言って部屋に来たときに・・・」


「ほらみろギター関係あるじゃねえか!矛盾したこと言うなゴルァァァ!!」


「わかったわかった。つまり童貞のお前が頭絞って考えたプランはこうだ。みゆきさんの好きな曲なに?あっその

曲だったら僕、ギターで弾けるよ!今度ウチに聴きにこない?で、OKだったらお前は家に帰って猛練習」


「お前は預言者か」


「いや、予言っていうか・・・魂胆がミエミエなのよ。しかしお前・・・ひとつ忘れてることがあるぞ」


「なによ」


「みゆきに男が居ないという確証は得たのか?」


「!?そ、それは考えてもみなかった・・・!」


「アホかお前。俺なら真っ先にそこ探るわ。話はそれからだろうが」


「みゆきさんに彼氏・・・そんな馬鹿な!」


「馬鹿なのはお前。つーかこんだけべっぴんだったら居ないほうがおかしいわ」


「けど、彼氏いんなら俺にメール送ったりしないと思わね?男のメル友募集したりしないと思わね?」


「それはわからん。単に彼氏とウマくいってないから、しがらみの無い男の相談相手が欲しかっただけなのかもし

れん。お前あたりが手ごろだと踏んだのかもな」


「お前のネガティブシンキングには付き合いきれんわ・・・」


「まあ、居たら居たで奪えばいいだけの話。で、お前は写メおくったのかよ」


「うん・・・一応送った」


「どれ」


「これ」


「うお!?誰これ?」


「誰って・・・俺よ」


「別人じゃねーか!詐欺だなこりゃ」


「そうか?普段の俺そのものだと思うが」


「お前・・・どんな目ぇしてんのよ。男前率80%はアップしてるよこれ。ていうかお前は普段自分の顔がこんな風に

みえてるのか?幸せなやつだな・・・」


「うーんどっから見ても俺だけどなぁ」


「お前ね、鏡に映る自分の姿っていうのは無意識にカッコ付けてるもんなんだぜ。新しい服とか買ってさ、鏡の前

で『今日の俺、最強』とか思って外でてさ、何気なく街のショーウィンドウに移る自分の姿みて愕然としたこととか

ないか?残念だが、それが真実の姿だ」


「ああ・・・あるある・・・」


「だろ」


「じゃあなによ、ちょっとよさげな写メ撮って送った俺は詐欺師ってかい」


「いやいや、間違ってはないよ。それでいいじゃん。ただ、彼女も写メもまたそうだと思っといたほうがいいんじゃ

ね?って話」


「いや、彼女は360度どっから見ても美しいだろこれは」


「さあなー、女の写メなんかアテにならんぞ。男もそうだけど。お前みたいに」


「ううー・・・」


「まあ、それはさておき、ギター教えて欲しいってか?」


「うん。まずはGコードから」


「そっからかよ。簡単だろがよ。人指し指がここで、中指がここ、小指がここで・・・」


「こ・・・これで・・・いいか・・・?」


「おいおい・・・Gでそんな手ぇプルプルさせてるようじゃ・・・」


「GとCとDだけ覚えたら弾ける曲があんだよ・・・」


「簡単な曲だなー。で、これがC、この指をここに移動してこの指を・・・」


「くおおー!痛い痛い!」


「あのなぁ・・・CでこんなんじゃFとか絶対無理だぞお前」


「だからFの無い曲選んでんじゃねぇか」


「やれやれ・・・曲のリクエストは不可か・・・」


「Dは?こ、こうか?・・・痛ぇ・・・指つるー!」


----20分後


「俺、ギター無理」


「早ッ!」


「だって無理だもん」


「みゆき諦めるのも早ッ!」


「あほか。みゆきさんは諦めてねぇよ。別の手段を講じるしかないってことが今日わかった」


「まあ、それだけでも収穫か」


「なあ・・・べっぴんさんにどうやったら好きになってもらえるん?」


「そんな方法あったら俺が教えてほしいわ」


「そうだよな」


「うん」


「だよな」


「うん」