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今―ここ、あの時―あっこ、どこーここ?

      よく問われる。会社のおっさんたちに、頻繁に。なぜ車を買わないのか?なぜゴルフをしないのか?なぜ夜の街に繰り出さないのか?否定的な返答を唱えると、私を若者代表に選出してくださり、若者=宇宙人論を唱えたがる。お前らは人生の本当の楽しみを知らない。と、言う人までいる。あんたらバブリーなあんぽんたんほどおれたちゃ浮かれた世代じゃないぜ!なんて、思ったことも無いし、若者をそもそも人括りになんてするつもりも無い。ただ、おっさんたちは、さも発散消費型の快楽が人生の真理だと言わんばかりだが、それはおっさんらの青春あの時のあの日本、きっかり一回きり、だからなのだよ。ボクたちにはボクたちの素晴らしい青春があったのだよ、ご心配なく。というホンネを、わかってほしい。もっと言えば、80年代から急激に速度をました資本の加速、西側の不可視的で隠蔽的で管理主義的な自由の押し売り戦略などのその時期特有の文脈があって、乗客であるおっさんたちは豪奢して乱酔してしまうあまり、いつ船に乗ったのかわかっていない(落ちた(降りたのではなく)ときもわかっておらずに、いまだに溺れている。)状態を自覚してほしい。そして、成長という状態が常態ではなく、それもその時代背景はあればこその事象だということを考えてほしい。生活の保障を担保して、経済成長・企業社会の拡大に寄与する必然性は前提ではなかったはずだ。

これを社会構築/構成主義的な立場と呼べるのかどうかはわからないけれど、世代間でヘゲモニーを争う一つの言説空間ではあると思う。昨今の世の中には活力が無い、と言われ、それは大方、労働市場における各個人のプレゼンスや雇用状況にフォーカスして語られる。活力とは経済とは切り離せない言葉であるのだ。それは確認不要の自然なディスクールのように思われる。しかし、それはイデオロギーだ。利益や資本の蓄積の他でも活力と呼べるものはいくらでもありそうではないか。NGOやNPOで積極的に何らかのパフォーマンスを示そうとするのだってアリだし、芸術家を目指してパリへ留学する日本人が増えてたってOKだし、農業をやりたくて会社をやめて元気に自給自足することだって、やろうと思えばできて、そこには、生の迸る閃光が見えることだってあるだろう。でもそれは変数化されないので、活力の定式では計算のうちに入れられないのだ。このともすれば、ふらふらした考え(断じてボクはふらふらしてると思わないが、)を苦虫をつぶす顔で聞くような人も居るだろう。そのような人はボクとは違う位相の人間であるが、おそらく、違ったジェネレーションの人が多いのではないだろうかと推定する。間違ってるような気もするけど。


それで、場所が違えば、前提も違う、時代が違えば、思想も違う。といったところで、じゃあ、何も定まったものがない、議論する共通項が無いなら、何も語ることができないじゃないか?そういう意見は真っ当です。それに多分、わざわざこんなん言わなくても、わかってるってみんな、そんなことは、でしょうし。ただ、場所って本当にあったのかね?ここって言ったときに、ここを、どこなのか。今って言ったときに、今を、いつなのか。わかることなんてあるのかな?って考える。今は先に遡定的に措定されるなんて、言う。それは意識レベルの決定論的問題で、現象は、現在進行形で、流動的に、多軸的に、無意識的に自律的に形成されるリゾーム。入り口から入ったようで、そこが出口になるような、ねじれ。じゃあ、何をどう語ればいいのか?解体不能のイデオローグを解体する、複雑な知恵の輪。ねじれたの普遍性を肯定できる公共圏をどう形成するか。今はまだまだ答えが出ず、問い続ける必要。集中力が切れちったTO BE CONTINUED 

私の今日から語ることにしよう

私の今日から語ることにしよう。と話しはじめようとする刹那、あらゆる経験が捨象されてしまう。語りは経験の抽象であるが、生とは抽象された物事の累積というよりかは、抽象の客観性の背後に隠れている忘れ去られた歴史、精神と記憶の瓦礫に他ならないとベンヤミンLIKEに言うとすれば、もはや生を語ることはできない。つまり経験を語ることを通じて、あるいは、過去性から状態を照射することを通じて、生とは何かを考えることはできない。それは常にパフォーマティヴな試みで、現在進行形の中で、体現していくしかない。

しかし、私の今日から語ることにしよう。それ自体がとりもなおさず、私の行為に他ならないのだから。


教授が辞めた。朝という憧憬は、太陽が昇りゆくにつれて翳を差す。天空から虚空への凋落。教授が辞めた。私が意識するところに論陣をはっていた教授が堕ちて、辞めた。知とは何だったのか?主体の一部ではなかったのか。あるいは単なるゲームで、意味もなく取り交わされる言葉遊びなのか?社会学の意見表明に、どれだけの意味があるのかということを問い直さなければならない。その契機となった。よりベターな社会は?よりベターな社会を構築するのに、知、言葉、概念がどのように形成される?社会的集団のうちにどうそれらが湧出され装備されていけばよく、さらにどう行為の経絡系が成り立つのか。それを上から目線方法論を回覧する/させるのではなく、各個人の自由意思における生の貫徹を相互呼び水的に相乗りさせ、継続してカオス的秩序を世界することができるのか。そうは言うけど、それがホントに良いのか?

それを語るものが、事件をおこした。社会学は行為なのか?ホントに?


子どもが笑った。秋の空色に白球の放物線が描かれるのを見て。ヤンママに抱かれた子どもは首を上下させて青空の白点を追う。往復の度、笑った。子どもは自己空間からの逸脱と想定外を好むようだ。こちらから手を振るといつまでも手を振っていた。遠くだってけれど、私は彼と何かを相互確認した。

昼下がりに、左手にグローブ、右手にボールを持って、教え子2人と近所のグラウンドで遊んできたのだ。キャッチボールをしながら進路相談を受けるという名目で。それだけ聞くと青春ドラマの鼻白んで、風邪をひく。実際は、日ごろの運動不足とストレスからかムショウに動きたくなったので、無理やりキャッチボーっ子たちを呼び出したまでのことだけれども。本題の進路相談は実はついでだったりする。教え子は無類の子ども好きで、一人女の子が遊んでいるのを見て、一緒に遊んでやろうとするのだった。女の子はお兄ちゃんが遊んでくれないから一人で遊んでいるのだという。お兄ちゃんを呼んできなよ。一緒にサッカーでもやったげよう。と私たちが言うと、嬉しそうにお兄ちゃんを呼んできた。お兄ちゃんとは、ゴルフキックベースや、私が空高く投げたボールが落ちてきたところ打つ遊び、おにごっこ野球などをやった。

子どものタフネスはここでいまさら取り上げる必要はないだろう。けど、ちょいと言う。彼らのすごいところは、自分ルールを作る創造性とそれを続ける持続力だ。彼らは飽きない。日常がデコボコで、あらゆる経験がアプリオリなノートに書き込まれる。そのスペースと自由さが超大であるために、彼らはずっとそれを探求し続ける。しかも、そこに利害関係や因果関係などない。あのスキゾフレニックな創発性を去勢するワルイヤツはどいつだ?


教え子は笑った。元気なく笑った。わからないんです、何のために生きているのか?事務職で就職するために資格を取るのだという。なぜ資格の勉強をしているのかを聞くとそういった返答が帰ってきた。事務職になりたいの?と聞いた。そうではない、安定してそうだから。そんなになりたいわけではない。という。やりたいことで、安定できたらいいんではない?と聞くと、でも失敗するじゃないですか?と答える。金銭と安定を求めること。失敗をしないこと。それ自体を否定するつもりはない。が、自分の生を貫徹することを犠牲にしてしか、生活を保障されないのこの強迫的な社会構造を私は肯定する気には到底なれない。中空状態で利益を原動力に回転するホイールは、多くの若者たちを内部に轢きこみながらペシャンコにしている。空無化している。気づいていても、その吸引力は強大で抗えない。

パラノ。自由の抑圧。私たちの人生の選択は往々にして結局骨になる。いかなる自由も、抜き取られているように見えない。骸ゆえにその中身が見えずに、自分がその中で骨になっているかもわからないからだ。しかも、幻想の利益共同体の骸はとても綺麗にかざられていて、そこに吸い込まれていくことに違和感を覚えることを厭わない人も多い。しかし、骸の中にいることも大切だ。文字通りの換骨奪胎は骨であるからできることなのかもしれない。  (continued)