日常生活で、「なんで」「なんで」と質問されるのは、あまり愉快なものではありませんが、その一方で、まわりの出来事に対しては、「なんで」「なんで」と質問したくなってしまうことがあります。はてなマークDASH!


「なんで?」と問うことは、単に理由を問うているだけでなく、その背景にある意味を問うているゆえに、答えを要求される側としては、それこそ、なんで答えなければならないのかということで、うざく感じるのかもしれませんが、問う側としては、それゆえに、「なんで?」と問いたいものかもしれません。!?ダウン


例えば近所のパン屋が急に廃業した場合、貼り紙一枚の挨拶さえもなければ、なんで、なんの予告もなく、貼り紙一枚の報告すらなかったのだろうとかと不思議に思いますし、なんで急にパン屋を辞めたのだろうとずっと疑問がつきまとうように思います。食パンはてなマークDASH!


店主が病気で廃業したのだろうかとか、それとも
売り上げ不振で倒産したのだろうかとか、人には言えないような理由によって、どこかに夜逃げしていったのだろうかと、色々勘ぐってしまいますし、近所で色々な推測を噂したり、パン屋の主人を見かければ、なんでパン屋を辞めたのかと尋ねるかと思います。ハンバーガーサーチむかっ


これは、人間に備わる「知りたいという欲求」にもとづいたごく自然な行動であり、偏執的であるとか、ストーカーであるとか、とやかく批判されることではないと思われます。この「知りたいという欲求」は、それが低次なものであるとされる場合ならば、野次馬根性と非難される場合もありますが、高次なものであるとされる場合は、探求心・学究心として賞賛される場合もあるかと思います。叫びあせる


人間には、食欲や性欲など生命維持のために必要な生理的な欲求があると同時に、この「知りたいという欲求」の存在は大きく、Scienceの語源がラテン語のscientia(知識=知ること)であり、Philosophyの語源がギリシャ語の知(sophia)を愛する(philo)ことであることを見ても明らかであり、知りたいという欲求はごくごく自然な行為であると言えるのだろうと思われます。目アップ


「なんで、風俗に・・・?」とか、「なんで、急に連絡がとれなくなったのか?」とか・・・、いちいち聞かれるのは、うざいと言う声はよく聞きますし、当ブログに対しても、なんで、そんなに執着するのかと、ご批判もあるのですが、単なる客とサービス提供者という関係であったとしても、やはり、そんな関係性においてすら、知りたいと思うことはごくごく自然なことであるのだろうと思えてならない感じでいます。ニコニコ音譜