月が替わりました。


10月は、自分の誕生月でした。
また1つ歳を取りました。叫び


ここ数年は、
歳を重ねるというより、
カウントダウンドクロしている気がして、
あまり嬉しくもありませんが……。


しかし、朝起きて、
このツイートを見た時は驚きましたね。


嬉しいより先に
え? なんで? って感じでしたね。。


書かれている通り、
最近、predia 行ってないし。


先日のFCイベントでも
そんな話、全然しなかったしね。


いつも不思議に思ってました。
何故、誕生日にお祝いメッセージを
貰える人と
そうじゃない人がいるのか?


直前の握手会とかで、
お祝いメッセージ欲しいビックリマーク
頼んでるのだろうかはてなマークって。


こういう不公平感の生じることは、
あまりすべきじゃない。と、
思ってきましたが……。


今年、自分が貰ってみて、
「なるほど。そういうことか。」
と分かりました。


よく
「気に入られてるヲタ」とか、
「推されてるヲタ」とか、
おっしゃる方がいらっしゃいますが、
決してそういうことではないと思います。


彼女の中で決められた
「一定の基準」があって、
今回、自分が
その「一定の基準」を越えたから。


その「一定の基準」は、
個別握手のループ数かも知れないし、
他の基準かも知れない。


それは彼女のみ知ること。


ただ、ひとつ感じたのは、
「一定の基準」を越えたら、
その時は「もれなく」であって、
好きとか嫌いとか、
そういった恣意的な要素は、
一切存在しなくて、
一律なのだと思います。


○○さんだから送るとか、
××さんだから送らないとか、
そういうことではないのだと思います。


もちろん贈られた言葉は、
嘘偽りない彼女の気持ちだと思うし、
それについては、疑いの余地なく、
喜んで良いものだと思うし、
送られなかったファンに対しても
同様の気持ちは持ってると思います。


ただ、送るか?送らないか?に関しては、
凄く、ある意味、ビジネスライクに
決めているんではないのかな?
と感じました。


だから、
貰えなかったからといって、
嫌われてる訳でも、
干されてる訳でもないのだと思います。


逆に言えば、
嫌われてても、干されていても、
「一定の基準」をクリアすれば、
誕生日にお祝いメッセージが
来るかも知れない。


だからもう
凹んだり、嫉妬したりするのは、
止めにしようと思いました。


でも貰えると嬉しいですよね。
今回のこのメッセージは、
素直に受け取っておきます。ニコニコウインクラブ