タイトル 大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス

公開年

1967年

監督

湯浅憲明

脚本

高橋二三

主演

本郷功次郎

制作国

日本

 

本作は、前作のヒットを受けて制作された昭和ガメラシリーズ第3作。前作は大人向きの演出が撮られ、子供が一切絡まなかったが、本作で「ガメラは子供の味方」という設定が明確となった。その一方で開発に伴う人間の欲望が描写されるなど、大人の鑑賞にも耐えうる物語となっている。また中盤にガメラがいない間の自衛隊との攻防戦が大きな見どころとなっているのも前作を踏襲している。

脚本の高橋によると、円谷英二とともに、初期の特撮映画を支えた名監督・本多猪四郎が、公開当時本作品を観て高橋に、「素晴らしい内容だった、ぜひ一度一緒に仕事がしたい」と絶賛する年賀状を送ってくれたという。それまでゴジラの亜流というコンプレックスに捕らわれていた高橋は、「これで長年の痞えがとれた思いだった」と後に語っている。

ただ、前作はヒットしたものの予算を掛け過ぎた事から赤字となったので、かなり予算が削られた事から、本編監督も湯浅憲明が担当することになった。また予算がかかる大規模な都市のミニチュアは削られ、都市破壊も中盤のガメラとギャオスの名古屋の戦いのみとなる。それでもA級予算をかけた大作扱いだったが、それは本作までで次回作からは更に予算が削られることになる。

東京モーターショーに展示してあったトヨタのモデルを借用して撮影されたもの。

 

明神礁・三宅島雄山が噴火に端を発し、富士山も噴火を起こす。その炎に惹かれるようにガメラが飛来し、二子山山中に消えた。その調査隊が派遣されるが、ヘリコプターが謎の光線で真っ二つにされ墜落する。その頃二子山は高速道路の建設をめぐり、公団と反対する村民とが激しく対立して、ガメラ騒動もあって工事が遅々として進んでいなかった。

村長の息子の英一は新聞記者を案内して山中に入ったが、そこで怪獣と遭遇し、あわやとなるがそこにガメラが出現して助けられるのだった。

ギャオスと名付けられた怪獣は、口から強力な超音波を発し、何でも切断できた。その為、自衛隊の戦闘機も近づく事が出来ず、地上攻撃に切り替えるが翼で吹き飛ばされてしまう。打つ手がない対策本部だったが、英一の言葉からギャオスが夜行性であることが判明。強力な照明弾を使いギャオスを封じようとするが、明るさを嫌ったギャオスは名古屋市に飛んでくると、市街地に大きな損害をもたらす。そこへガメラが出現。空中では俊敏なギャオスに分があったが、海上に移ると首が動かないギャオスは次第と不利になり、からくも足に噛みつくガメラを自分の足を切断することで振り切って逃走する。

しかし切られた足が、日光に当てると小さくなることから、ギャオスは紫外線に弱い事が判明。人造血液でギャオスをおびき寄せ、これも英一の発案でホテルの屋上の回転ラウンジを使い、遠心力でギャオスを夜明けまで釘付けにして、日の出を待つ作戦を立てるのだった。というのが粗筋。

本格的に子供向き作品として作られた本作だが、物語の骨幹にあるのは高速道路の建設をめぐり、土地開発を進める公団とそれに抵抗する山村住民の争いがある。ただ、社会派の監督が撮れば反対派=善。公団=悪とするところが、本作の反対派も、結局金に目がくらんでいる事にしているのが特徴。この人間の性悪説に沿っている描写が面白いが、実際の反対運動には一部の本気の反対派と活動家が結びつきややこしくなる。その意味で本作は社会批判というより、人間のどうしようもない性を描いているといえる。

また「大怪獣ガメラ」以来、子供が物語に深くかかわる様になるが、その一方で本作の英一少年はあまりでしゃばることなく、作戦を妨害する事もない。子供らしい純粋な着眼点で、有粋な情報を提供して対策に役立てるというのは、子供を活躍させるという点で非常にうまく行っている。この辺り「大怪獣ガメラ」での反省を生かしたのかもしれない。

本作の敵怪獣ギャオスは、吸血鬼をイメージして作られた。当時、東宝は「世界四大モンスター」のうち、「フランケンシュタイン」、「キングコング」の二大モンスターを自社で制作していたが、大映はこれに対抗して、「ドラキュラ伯爵」を題材に選び、その怪獣翻案として創作されたのがギャオス。ドラキュラの使い魔として描かれることが多い、コウモリを題材とした。三白眼の鋭い眼光や活動が夜間に限定されるなど、不気味さを醸し出している。その為昭和ガメラシリーズの中でも特に人気が高く、「ガメラ対大悪獣ギロン」に亜種が登場したほか、後に平成にリメイクされると敵怪獣として選ばれることになる。

後に平成ガメラシリーズでもリメイクされた秀逸な特撮カット

 

本作をきっかけに、現代にいたるまでのガメラのスタイルが確立され、その後に大きな影響を与える事になった。前述の通り次回から予算が大幅に削られ、作品自体こじんまりとしたものになったが、それを逆手にとって子供の味方というガメラのキャラクターを作り上げたのは、湯浅監督らスタッフの転んでもただでは起きない精神に敬服する。同時期のゴジラも次第に予算が削減され苦労する事になるが、それに比べるとガメラは子供の味方というキャラクターでうまく乗り切ったといえる。

英一少年を助けるガメラとギャオスの最初の戦いから、中盤での名古屋での空中戦。ここでは空は飛べるが俊敏に動けないガメラと、機動性に富んだ動きが出来るギャオス。そして地上に移ると長距離戦は得意だが、接近戦は苦手なギャオスに対し、堅い甲羅でギャオスの攻撃を跳ね返して接近戦を挑むガメラと、2頭の怪獣の違いが表現できている。最終決戦では冒頭の富士山の噴火の伏線が回収されている等、無駄が無い構成になっている。その事を含めて、本作は昭和ガメラシリーズの最高傑作と言って差し支えないだろう。

 

 

ガメラの歌と言えば「ガメラマーチ」が有名だが、その前に本作のエンディングとして作られたのがこの曲。なかなか味がある曲だが、「強いぞガメラ!強いぞガメラ!強いぞガ・メ・ラ」には勝てず、本作でお役御免になった。完成度は「ガメラマーチ」より高いから再評価されてもいいと思うが