タイトル 不思議の国のアリス

公開年

1951年

監督

クライド・ジェロニミ ハミルトン・ラスク ウィルフレッド・ジャクソン

脚本

ウィンストン・ヒブラー他

声優

キャサリン・ボーモント

制作国

アメリカ

 

ウォルト・ディズニー・プロダクションがイギリスの作家ルイス・キャロルの小説を原作として制作した、ミュージカル・ファンタジー・コメディ・アニメーション映画である。

前作が王道プリンセスファンタジー「シンデレラ」だったことから、そうした映画を好む観客からの評判は悪く、批評家からも酷評された。

ただ、当時の評価も決して間違ってはいないと思う。本作が公開された1951年と言えば、まだ第2次大戦の記憶が鮮明に残っていた頃。アンディー・ウォーホルがポップアートを引っ提げ本格的に活動を始めるのは1960年代になってからで、本作が評価される余地は全くなかった。しかし1970年代のリバイバル上映された際に、そのシュールレアリスム的な映像やカルトな作風から再評価され、現在ではディズニー・クラシックの傑作と評価されている。だから「早すぎた名作」に入るだろう。

ある日の昼下がり。静かな川辺で姉のロリーナとアリスは一緒に本を読んでいたが、挿絵のない本にすっかり退屈しており、飼い猫のダイナと一緒に川のほとりで休んでいたが、そこに大きな海中時計を持ったチョッキを着た白いうさぎが「急がないと遅れてしまう」と言いながら走り去るのを見て、必死で白ウサギを追いかけた。白ウサギがトンネルに入るのを見たアリスは後を追うが、大きな穴に落ちてしまう。アリスは奇妙な小部屋にたどり着く。そこには小さいドアがあったが、取っ手が喋って「大きすぎて入れないから無理」と言われた。その時に不意に瓶が乗ったガラスのテーブルが出てきた。アリスがそれを飲むと、身長が約3cmに縮んだ。しかしカギがテーブルの上にあるから取れない。今度はクッキーが入った箱が不意に出てきた。アリスがそれを食べると部屋いっぱいになるくらい大きくなる。困ったアリスは泣き出し、部屋は涙で水浸しになり、彼女はとっさにさっきの瓶の中身の残りを飲んだ。そして、瓶の中に入り込み、喋った取っ手の鍵穴を通り抜ける。

それからアリスの不思議な冒険の旅が始まる。コーカス・レースをしているドードー鳥達や、トゥイードルディーとトゥイードルダムに聞かされた「セイウチと大工さんの話や(この話はディズニーにしては本当にシュールで残酷)、ようやくたどり着いた白兎の家で、またもやクッキーを食べて大きくなったり(学習能力皆無)イモムシから体の大きさを変える方法を教えてもらったり、ニヤニヤ笑うチェシャ猫に揶揄われたり、マッド・ハッター&三月ウサギのクレイジーなお茶会に参加したり、いろんな体験をしつつも、女王のクリケット大会に参加。そこで女王を怒ら褪せて裁判にかけられる。というのが大まから粗筋。

本作の欠点を挙げるとすれば、ディズニーにしてはキャラが可愛くない事だろう。ヒロインのアリスも金髪で青と白のエプロンドレス姿は、その後のアリス増に多大な影響を与えたものの、本作のアリスは「可愛いか?」と尋ね得られれば微妙と言わざるを得ない。白ウサギに始まりチェシャ猫。マッド・ハッターに三月うさぎとヤマネ。トゥイードルダムとトゥイードルディー。そしてイモ虫等など、個性的でキャラも立っているが、可愛く魅力的とは言い難いキャラばかり。現代ならともかく、当時こうしたキャラは受け入れられる余地はなかった。実際今日でも、本作に登場したキャラはディズニーが生み出したキャラの中で人気があるかと言えば、ないと断言できる。ただ、つまらないかと言えばそうではなく、全編ハイテンションで突っ走り、シュールな作風で鮮やかな彩色で彩られ、現代の目で見れば非常に面白い。特に色遣いはポップアートの先駆けと言えるほど。それでも原作に比べると、健全だし多少穏やかな表現にとどめている。

本作は現在では禁じ手とされる“夢落ち”なのだが、原作がそうなのだからそこを批判するのはお門違い。物語は終始アクセル全開で進み、それを支える技術の凄さも垣間見える。終盤のトランプ兵とアリスの追いかけっこなど、当時のディズニー社の作画能力のチート差がよくわかる。本作が名作なのに異論はないが、それは本作が孤高の作品だから。数多くのウォルトが手掛けた作品の中に、1本ぐらい本作みたいなのが混じっていてもいいという意味でだが。