タイトル ジャングル・ブック

公開年

1967年

監督

ウォルフガング・ライザーマン

脚本

ラリー・クレモンズ ラルフ・ライト

声優

フィル・ハリス

制作国

アメリカ

 

イギリスの作家ラドヤード・キップリングの原作を基に、ディズニーが制作したアニメーション映画。ウォルトが直接かかわった最後の長編アニメで、彼の死後最初に公開された長編である。個人的な事だが、私が最初に劇場で見たディズニー映画でもある。当時は小学1~2年生ぐらいだったが、今回見直してはっきりと覚えているシーンがあったのが驚きだった。やはり、この頃のディズニー映画は偉大だ。

映画は、インドのジャングルの中にある川河辺に人間の赤ん坊を入れた籠を黒ヒョーのバギーラが発見。いったんは見捨てようとするが、子供が生まれたばかりの狼の一家に預けるところから始まる。モーグリと名づけられたその子はすくすくと成長し、10年の月日が流れジャングルの動物たちとすっかりなかよくなっていた。

そんな時、人食い虎のシア・カーンがジャングルに戻る。危険を感じた狼たちは、モーグリを人間の村に帰すことを決め。バギーラが村まで送ることになる。モーグリはジャングルの仲間たちと離れることを嫌がったが、バキーラに説得され渋々行く事に。

その夜、バギーラとモーグリが高い木の上で休んでいると、ニシキヘビのカアが現れ催眠術を駆使して、モーグリを飲み込もうとするが、バギーラの気転であやうく助かった。

あくまでも村へ帰そうとするバキーラから離れ、ジャングルをさまよっていると、熊のバルーと仲良くなり楽しく遊んで暮らしている。

ところが突然猿の大群がやってきて、モーグリをさらっていった。人間が作った廃墟の城に住む、猿の王さまキング・ルイは、火の作り方を知りたいと思ってモーグリをさらったのだった。キング・ルイが踊り始めると他の猿たちも合わせて踊りだす。その隙に、バルーとバギーラはモーグリを救い出すことに成功する。

本作は現代の目で盛ると、やばいところが多いがいちばんはこのシーン。キング・ルイの歌といいしゃべり方といい、黒人をイメージしていると言われ、そんな彼が「人間になりたい」と、妖怪人間ベムばりの事を言うから大炎上することになる。ただ、これは声と歌を担当したルイ・プリマをイメージしたもので、特に黒人をイメージしたものではなかったようだが、当時公民権運動真っ盛りの時だけに、慎重にすべきだった。ただ、ウォルトは読書をほとんどせず、世相に対して鈍感だったようなので、そうした政治的な運動にも疎かったと言われる。ウォルトが白人至上主義者だったことは間違いないが、果たして彼の思想が当時の平均的な白人層と比べて、過激だったのかどうかは分からない。

バギーラとバルーは、やはり村に帰した方がいいと思っていたが、帰りたくないモーグリはひとりでジャングルの中に入っていくと、ハゲタカの巣にまよいこんでいた。

この4羽のハゲタカだが、当初はビートルズに声をやってもらうつもりだったが、断られたという逸話がある。最初からやってもらうつもりだったので、4羽のキャラはビートルズに寄せている。

そんな時、ジャングルにシア・カーンが帰ると。モーグリの行方を捜していた。というのが大まかな粗筋。

原作はいったい人間の村に戻ったモーグリだが、そこでの馴染めずにジャングルに戻り、その後再び人間界に戻り結婚したことになっているが、そのあたりはややこしくなるせいか、割愛されすっきりとして爽やかな終わり方にまとめられている。

また、原作だと少々残酷な部分もあるが、そこはディズニー。終始明るく楽しいタッチのミュージカルとなっている。

散々駄々をこねて、人間の村に戻ることを拒んでいたモーグリだが、ラストは結構あっさりしている。なんやかんや言っても、色恋には勝てないという事か。原作だと、モーグリはその後結婚したと明示されているので、それが…というわけなのか。最後にバギーラとバルーの楽しいダンスで終わるが、「やってられねえぜ」と言っている様に感じたのは、気にし過ぎだろうか。

 

本作はディズニー以外でも何度が映画化されている。下の画像は1967年にソ連で制作されたアニメーション映画。それぞれ約 20 分程度の 短編アニメーション、5本として公開された。後にまとめて100分程度の長編とされた。

 

 

1994年にはジェイソン・スコット・リー主演で実写化されている。