超人ロック(1984年) 監督:福富博 声の出演  難波圭一

 

エスパーたちが支配する千年王国を築こうと企てるレディ・カーン。連邦軍情報局長官ヤマキは、その調査のため、超戦士ロックに協力を依頼する。一方でロックを倒すためカーンはコーネリアスに命じジェシカという少女を特殊なエスパーキラーに育て上げ、記憶を失わせてヤマキに接近させる。ジェシカには、超能力を中和してエスパーを分解する能力が潜んでいたのだった。そしてヤマキとジェシカは操られていることを知らぬまま、互いに惹かれあっていく。そしてついにロックとジェシカの2人が出会いの時を迎える。

宇宙制覇を企む悪者を阻止しようと戦う超人エスパーの姿を描く。当時『少年KING』に連載中だった聖悠紀原作の同名漫画の中から「魔女の世紀」のアニメ化で、脚本は「ルパン三世 ルパンVS複製人間」の大和屋竺、監督は「怪物くん デーモンの剣」の福富博がそれぞれ担当。聖悠紀がキャラクターデザインと監修を担当。当時最新技術だったCGが駆使されていて迫力のある映像を実現している。

「超人ロック」シリーズは聖悠紀が1967年10月に漫画同人グループ、作画グループの同人誌で発表したものが初出とされ、商業誌への進出は1977年。その後も聖が生涯にわたって書き続けた長寿漫画。なお、作画グループの活動は1962年に始まり、代表のばばよしあきの死去により2016年に終えるまで長期にわたり、みなもと太郎らも参加していたことがある。

主要人物はロックとリュウの二人。孤高でクールなロックに対し、情報局長官の要職にありながら熱血漢のリュウ。初登場時ロックはリュウに冷たい態度を示すが、前任長官のバレンシュタインと対立していたことが原因だろう。一方ヒロインもジェシカとコーネリアスの二人いる。ちなみに二人ともサービスシーンが用意されていて、ジェシカのシャワーシーンでは“B地区”が描かれているし、コーネリアスに至っては“地球”がくっきり。いい時代だったんだな。作画レベルは可もなく不可もなしと言ったところ。同じ年には「風の谷のナウシカ」が公開されているが、あれと比べるのは酷と言うもの。

劇中でリュウが、「闘魂」と刺繍されたガウンを部屋着として着ているのは笑った。壁にはスタンハンセンのポスターが張ってあり、この辺りの80年代らしさは今見ると微笑ましい。

ジェシカは、ロックと因縁を抱えつつも、リュウといい関係になる。一方コーネリアスは、カーンに命じられるままロック打倒に執念を燃やすが、次第に疑問を抱くようになる。クローゼットのドレスと戦闘服を見て、思わずドレスを手に取るあたり、彼女も普通の人間だと示している。この二人に恋愛感情があったかは定かでないが、エスパー同士心を通わせたのは確か。ラストで見舞いに行ったロックの事を政府から記憶を消され、全く覚えていないシーンは切ない。この事からわかるとおり、ロックは孤独なヒーロー。エスパーも人間だという信念にブレが無いから、エスパーを迫害する人間ばかりか、人間を支配しようとするエスパーにも激しい怒りを見せる。誰よりも戦いを憎み平和を愛し、エスパーと人間の共存を願っているが、それ故戦いに身を投じなければならない。この辺りは石ノ森章太郎の「サイボーグ009」と共通点を感じる。

本作はストーリーの軸がしっかりしていてブレがない。それだけにヒーローものとしてシンプルに楽しめる作品に仕上がっている。

結局、聖の死去により「超人ロック」シリーズは未完となったが、それだけにファンが勝手に想像できるいいのではないか。某有名ヒーローシリーズのように、原作者のメモを基に「完結編」を描くなどはやめてほしい。多くのファンに、長年愛された作品を終わらせることができるのは、原作者だけだから。

余談だが、「超人ロック」には、掲載誌が廃刊になるという呪われた噂がある。コアなファンに支えられ、誰もが知っているというわけでないから、マイナーな雑誌に掲載されることが多いのが原因だろうし、2000年以降は出版不況も影響していると思われる。それに雑誌としては、いよいよ危なくなってきて、最後の切り札として熱狂的なファンがいる「超人ロック」の掲載に踏み切ったなどの、大人の事情もあるだろう。ただ一部のファンには、掲載誌を廃刊する能力こそが、ロック最大の超能力だと揶揄する向きもあるとか。