国松長官が撃たれた、アノ銃です。近くの古物商にモデルガンが売っていました。ムムッと、しましたが、ガキじゃないので、買うのを諦めました。・・・でも・・・欲しい!!



コルトバイソン

日本の官僚もやるけどギリシャの官僚もやるね~、


良いね、国民の税金は「俺のもの」!!

【速報】東京に舞い降りたハスキービューティRyu Mihoの新作「Because the Night...」が完成まで秒読み段階!

昨日マスタリングを終えて、来週関係者の確認を取ってCDは完成
です。
そして今回はなんとDVD付き(PV1曲+LIVE3曲)で、映
像部分も今月中にオーサリングという作業を行って完成となります
。映像自体は完パケていて、これが美しい。
今作は秋谷銀四郎プロデューサーの元に、現在の国内ジャズシーン
のトップランナー達が多数集結。音はもちろん、映像、写真、デザ
インも、一流のクリエイターさんたちを起用して、考え得る最高の
布陣でRyu Mihoのクリエイティビティも炸裂。...
その繊細で美しく、ため息にも近いハスキーヴォイスで、ジャジー
&ポップな世界が描かれています。
10/
9CD発売後のリリースツアーやインストアライブも、次々とブッキ
ングが進んでいるので、彼女に直接会えることを是非お楽しみに。
今は、既に公開されたCDジャケットをご覧頂き、様々な妄想をお
膨らませ下さい…

http://www.kingrecords.co.jp/


キングレコードより

人は、いったい何を見て、何を感じて生きているのか?


文明は、はたして人生を、より良くするものだろうか?


膨大な人生という、時間を注ぎ込む価値があるのか?


人生を輝かせるのも、幸せにするのも、自分が感じとらなければ


解らないし、他人から見ても解らない。



すべては無我、すべては、縁によって他から生じたもの、

縁起の現象だから。


あらゆる現象は、縁起により、他の現象により条件づけられ、

生み出され、変わり、いつか終息する。


あなたたちだけでなく、私も、この蝶も、犬も、雲も、空も、

石も、山も、あの町並みも、

すべてが縁によって生じ、縁によって変化し、縁によって世界を変え、いつか縁によって解消される。
一切は重なり合い、互いに縁起しあって、変化する世界をつくっている。

あなたが右に行くか、左に行くかによって、世界の一切が今あるものすべてを変え、今あるものすべてがそれぞれの仕方で世界を変え、

世界の一切が今あるものすべてを消散させ、世界の一切が新しいものを生み出す。


 すべては無我であり、縁起する。なぜなら、すべては縁起し、無我であるから。


世界の変化は、芋虫一匹の動きに、応じて縁によって散る。

あなたたちという現象の場所は、世界の中に広がり、世界はあなたたちという場所を満たし、あなたたちは、世界とともに縁起する現象だ。


『善男善女よ。

 風が現われ、そして消えた。

しかし、なにも増えたものはなく、減ったものもない。

空気が動いただけで、その量に変わりはない。

はたして風という「もの」が存在したのだろうか?』



男が答えた。

「いいえ。そうではありません。風は起こっただけで、「もの」として存在したのではありません。」



『よろしい、よろしい。まさにそのとおりだ。
しかし、風がまったくの幻だったという訳でもない。

これだけの枝を折ったのだから。』

釈迦はかたわらに落ちた大きな枝を拾い上げられた。


『あなたたちも同じだ。あなたたちが生まれた時も、増えたものはなにもなく、あなたたちが死んでも、減るものはなにもない。

あなたたちは、起こっているだけで、存在しているわけではない。』



人々は、意味が分からなかった。しかし誰もなにも言わなかった。

釈迦は人々の疑念を察知して、再び比喩をもって説明された。



『あなたたちは、どこそこに川があるという。しかし、川という「もの」は存在しない。

溢れでる川の水は、流れさって留まることはない。

あなたたちも、川と同様に、ものが通り抜けていく場所なのだ。

あなたたちが生きている間、多くのものがあなたたちを通り抜けていく。その間ずっとあなたたちの中に留まるものはなにひとつない。

 あなたたちの体を通ったものは世界へ散っていく。


あるものは、ある時、土となり、あるものは、ある時、別の動物となり、あるものは、ある時、草になり、あるものは、ある時、鳥となる。

今<あなた>となっているものも、かつては風であり、土であり、草であり、魚であり、別の人であり、虫であった。

そのようにして今のあなたたちは今のようにあるのだ。』


あるものは噂に聞き、あるいは夢に見て、また不思議な偶然に導かれ、近くの村から、遠くの町から、さらには山脈のかなたから、途切れることなく人々が集まってきた。


 その日集まった人々は、あるものは人の悩みを聞いてその苦しみを減じることに長け、あるものは経典の知識が豊富で、あるものは自分の幸福より他人の幸せを優先し、あるものは貧しい人々に多くの援助をしてきた。


このように、この日集まった人々はみなよき人々で、悪行によって心を濁すことを注意深く避けてきたが、長らく今の状態にあり、さらに一歩解脱に向けて踏み出すことができずにいた。

釈迦は合掌し、ゆっくりと半眼 注から視線を上げて人々を見渡し、静かに語りはじめられた。

 「善男善女よ。
 私の話すことに、新しいものは何もない。なにもかもあなたたちの誰もが分かっていることばかりだ。

しかし、あなたたちはそれを忘れている。


幻に惑わされてはいけない。目を開き、見えるとおりに世界を見なさい。

そうすれば、いつも新しい光の雫として、世界の中で世界とともに歌い踊ることができる。

その時あなたたちは、けして苦に転じることのない喜び、すきとおった悲しみの混じった大いなる喜びを知るだろう。」


「私たちは目を開けています。私たちが見ているのとは違う別の見方があるのでしょうか? 私たちが忘れている別の見方とは何でしょうか? けして苦に転じることのない、すきとおった悲しみの混じった大いなる喜びとは何でしょうか?」


 「見なさい。

太い腕を伸ばし、眩しく日に照らされた一隅をさした。するとそこに砂が舞い、つむじ風が起こり、瞬く間に強くなった風は、大きく梢をゆるがせて台地を一巡りした。人々は、首をすくめ、持ち物や髪を押さえたが、風は起こったときと同様、すぐにおさまった。






シュバイツアーは、

人間尊重・人間平等の姿勢を表現するのに、「生命への畏敬」という言葉を使った。だが、


マザー・テレサは、

これと同じことを言うのに

「すべての人間が、神に望まれてこの世に生まれてきた」という言い方をする。


私は無神論者だが、マザーの言い方の方が心にしみ入るように思われる。


人は神と一体化しようとするとき、「常識的な宗教家」は上へ上へ、高く高く、天国へ天国へと上昇するイメージを描き高い教会、仏塔、モスクなどを建てる。


しかし、マザー・テレサたちの活動は、

神と一体化するには、貧しい人びとのなかへ、さらに貧しい人のなかへと無限に下降し、貧しき人びとのなかにあるキリストそのものを見ていた。


貧しい人のなかの、もっとも貧しい人こそキリストだ、という信念から出発している。