35年前に撮った写真が送られてくるという体験をしました。
長文で恐縮です。
吉村隆様
はじめまして、わたくし埼玉県○○市に在住する○○と申します。
突然のメールで、大変失礼いたします。
間違いがございましたら申しわけないのですが、添付ファイルにした写真は吉村さんに撮って頂いた写真でしょうか?
先週、亡くなったオジのお気に入りの写真で35年程前新宿であるカメラマンに撮って頂き会社(○○造園)宛てに郵送頂いた写真なんだととても大事にしていたものです。
突然のメール並びに、ご質問、大変失礼ですが、ご確認いただけたら幸いに存じます。
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○○様
初めまして。カメラマンの吉村隆です。
お問い合わせの写真の件
確かに私が撮影したものです。
35年前の1987年には日本写真学園(現在閉校)という
写真学校に通っておりました。
その時の作品制作の課題の中の一枚です。
人物写真を勉強するために街を歩いては
知らない方に声をかけて撮らせていただきました。
断られることも多いなか
おじ様は快く応じてくださったと記憶しております。
吉村 隆
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吉村様
突然のメール失礼しました。
また、ご返信ありがとうございます。
写真は封筒と供に大切に保管してありました。
お名前を写真家で検索したところ、吉村様にたどり着いた次第です。
この写真は、自分に何かあった時、葬儀の写真として使用して欲しいと常々言っておりました。
本日、葬儀があり祭壇に遺影と供に飾らせていただきました。
オジとお伝えしましたが、実は私と血縁関係はなく○○○○と申します。(享年83才、愛称てっちゃん)。
私は現在56才、今は亡き私の祖父が戦後世田谷で魚屋を営んでいる時、新潟県から東京に出稼ぎに出てきた中学校を卒業したばかりのてっちゃんと縁がありお手伝いさんとして雇いいれました。
その後、私の家族は○○市に移り住み造園業に転職しました。
その際、既に身寄りがほぼ無くなっていたてっちゃんも
一緒に○○市に移り住み、その後は家族同様にウチで生活をしておりました。
私は実父を6年程前に亡くしておりますが、
てっちゃんもまた私の父親といえる大切な存在でした。
本当に元気で今も植木の手入れ等をしていたのですが、
患っていた心臓の関係もあり10/14に急逝してしまいました。
祭壇の左手に吉村さんからの写真を置き、
本日私が喪主となり無事葬儀を終えました、
そして○○家のお墓に眠ります。
てっちゃんは何時もこの写真を自慢しておりました。
吉村さんに撮って頂いたこの写真は私がてっちゃんの想い出と供にこれからも大切に保管したいと思っています。
このような素晴らしい写真を撮って頂き、本当に感謝申し上げます。ありがとうございました。
故人になり代わり、ご挨拶申し上げます。
墓前に報告させて頂きますが、
乱文、乱筆並びに突然のメール、本当に失礼は承知の上と知りながらご連絡差し上げてしまったことお許しください。
ありがとうございました。
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○○様
ご連絡ありがとうございました。
写真をお送りした封筒の消印が昭和62年9月になっています。
この年の春に写真学校を修了して会社員を辞め
写真スタジオに入ったばかりのころです。
一番下のアシスタントだったはずですが
街で写真を撮るときはカメラマンを名乗っていたのでしょう。
1日も早く一人前のカメラマンになりたいという気持ちで撮った写真です。
○○○○様が撮影に応じてくださったことで
この日も一歩進めたことは間違いありません。
それにしても当時の私は、
この写真をこんなにも長く大切にしていただけるとは
想像できなかったと思います。
今、本当に写真家として生きる道を選んでよかったと思っています。
故人のご冥福をお祈り申し上げますとともに
お知らせいただいたことに心から感謝いたします。
吉村 隆