國家の改造」NO10
<日本國の再生・蘇りの方向性>
(世界に誇れる武士道の國)
「武士道」とは、何か?
それがどうして「日本の國」なのか?
世界の人々と話していると「日本はさむらいの民族」だと言われる。
宮司は、恥ずかしくなり「戦後は武士は少なくなりました」と言う。
海外の人は、日本に来る前に事前に「日本を勉強」して来られる。
だから「日本人はいつも「潔く」「さわやか」で「死ぬことも恐れない国民」ばかりだと思っている。
宮司は、今・・・ふと考える?
戦後に日本人が失ったものは「武士道の魂」ではなかろうか?
日本人は、世界から見てアジアの中で、すごく格好いい「武士(もののふ)の國家」なのだ。
さいきんそんな、素敵な「さむらい」は日本から消えて来た。
だから若い女性が、結婚する相手を見つけにくいのである。
現代でも「威風堂々」とした「武士道」を貫く男性がいたら
すぐにでも女性はデートを申し込むだろう。
しかしながら「葉隠武士」はもうどこを探しても皆無である。
そこらでうろうろしているのは「鰹節」にも慣れないなまくらばかりになった。
「自分の国を愛する」ことも「自分の国を誇る」こともしない。
愛する国も、愛する家族も、愛する恋人も敵から守れそうもない男ばかりが、外見だけいきり立ってうごめいている。
どうしたことか「葉隠武士道」と言う言葉さえ「死語」になった。
このまんまいくと、日本は滅ぶしかあるまい!
無念だがこのまんま行くと、この地球から「武士道の国」日本は消え去る運命なのだろうか?
今こそ、「武士道の国」誇りある国よ、蘇れ!
※参考
[葉隠四誓願]
一、武士道におくれをとらぬこと。
一、主君のお役に立つべきこと。
一、親に孝行をつくすこと。
一、大慈悲の心をおこし、人のために尽くすこと。
武士道というものは「死ぬこと」だ、
だが死ぬ前に、
「死ぬべき条件」がある。
「自分のためだけに死んではならん!」
「愛する人・愛する國のために死なねばならん!」
最近の多くの「自殺」は武士道に反する
何故なら「私憤」で死んで逝くからだ
武士道の死は「公憤」でなければならない
何がいじめた相手を恨みながら死ぬのか?
いつか・・いじめた相手より「立派な人間」になれば済む事ではないのか?
先生に殴られたら「私を強い人間にするため喝を入れてくれて」
感謝すれば済む事ではないのか?
愛する家族を守り
愛する恋人を守り
愛する日本を守るために死んでも許されるのだ
たとえば
「憲法を破棄・無効」にするためとか
「国賊や売国奴」に天誅を加えるために死をもって諌めることは武士道の死に方だ!
損得は関係ない
まさに
武士道の死に物狂いなのだ。
いいか間違っても
一度の恋に破れたぐらいで死んではならぬ
また・・・・次があるのだ
「去る者は追うな・・来る者は拒むな」
人生色々だ・・・あきらめるな
失敗しても次がある
金は天下の回りもの
あの世に金など持って行けないのなら
「今日を楽しく生きようぜ!」
「この世は楽しむためにあるのだから」
「昨日の事は済んだ事。明日の事はわからない」
何をくよくよめそめそするな
朝が来ない夜もない
山より大きな猪は出ない・・
所詮は人間も「宇宙の塵」だ。
明日があるさその次もあるさ
「武士道とは死ぬこととみつけたり」という言葉は
軽はずみに死んではいけないという逆説なのです。
「断じて死ぬことを許されない事例」
いじめられたから、失恋したから、離婚したから、破産したから、失業したから、進学できなかったから、人から殴られたから、夢を失ったから、株で失敗したから、懲戒処分を受けたから・・・

「葉隠聞書第一」
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。
図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにすることは、及ばざることなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。
若し図に外れて生きたらば、腰抜けなり。この境危うき
なり。図に外れて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。
毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。
武士道とは、死ぬことである。
生か死かいずれか一つを選ぶとき、まず死をとることである。
それ以上の意味はない。
覚悟してただ突き進むのみである。
「当てが外れて死ぬのは犬死だ」などと言うのは、上方風の軽薄な武士道である。
生か死か二つに一つの場所では、計画どおりに行くかどうかは分からない。
人間誰しも生を望む。
生きる方に理屈をつける。
このとき、もし当てが外れて生き長らえるならばその侍は腰抜けだ。
その境目が難しい。また、当てが外れて死ねば犬死であり気違い沙汰である。
しかしこれは恥にはならない。これが武士道においてもっとも大切なことだ。
毎朝毎夕、心を正しては、死を思い死を決し、いつも死に身になっているときは、武士道とわが身は一つになり、一生失敗を犯すことなく職務を遂行することができるのだ。
 五、六十年以前までの武士は、毎朝、行水して身体を清め、髪を整え、髪には香の匂いをつけ、手足の爪を切って軽石ですり、こがね草で美しく磨き、少しも怠ることなく身なりをととのえたが、もちろん武具の類にいたっては少しも錆(さび)をつけず、埃(ほこり)も払って、磨きたてておいたものである。身なりについて格別な心づかいをするということは、いかにも外見を飾るようであるが、これは何も数寄者(すきもの)を気取っているのでない。今日は討死か今日は討死かと、いつ死んでもよい覚悟を決め、もしぶざまな身なりで討死するようなことがあれば、平素からの覚悟のほどが疑われ、敵からも軽蔑され、卑しめられるので、老人も若者も身だしなみをよくしたものだ。いかにも面倒で、時間もかかるようであるが、武士の仕事というものはこのようなことなのだ。ほかには忙しいことも時間のかかることもない。
 いつでも討死する覚悟に徹し、まったく死身になりきって、奉公も勤め、武道をも励んだならば、恥辱をうけるようなことはあるまい。このようなことに少しも気がつかず、欲得やわがままばかりで日を送り、何かにつけて恥をかき、しかもそれを恥とも思わないで自分さえ気持ちがよかったら他人はどうでもよいなどと言って、勝手気ままな行いをするようになってきたのは、いかにも残念なことである。平素から、いつ死んでも心残りはないという覚悟を決めていない者は、きっと死場所もよくないだろう。そして、平素から必死の覚悟でいるならば、どうして賤しい振舞ができよう。このことをよくよく胸にたたんでおくことだ。
われわれにとって、もっとも正しい死、われわれにとってみずから選びうる、正しい目的にそうた死というものは、はたしてあるのであろうか。
いま若い人たちに聞くと、ベトナム戦争のような誤った目的の戦争のためには死にたくないが、もし正しい国家目的と人類を救う正しい理念のもとに強いられた死ならば、喜んで死のうという人たちがたくさんいる。
これは戦後の教育のせいもあるが、戦争中誤った国家目的のために死んだあやまちを繰り返すまいという考え方が生まれて、今度こそはみずから正しいと認めた目的のため以外には死ぬまいという教育が普及したせいだと思われる。
しかし、人間が国家の中で生を営む以上、そのような正しい目的だけに向かって自分を限定することができるであろうか。またよし国家を前提にしなくても、まったく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の完全に正しい目的のための死というものが、選び取れる機会があるだろうか。
そこでは死という絶対の観念と、正義という地上の現実との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、また歴史によって十年後、数十年後、あるいは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
『葉隠』は、このような煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくということを考えている。なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ『葉隠』は、生きるか死ぬかというときに、死ぬことをすすめているのである。それはけっして死を選ぶことだとは言っていない。なぜならば、われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。
われわれが生きているということは、すでに何ものかに選ばれていたことかもしれないし、生がみずから選んだものでない以上、死もみずから最終的に選ぶことができないのかもしれない。

では、生きているものが死と直面するとは何であろうか。『葉隠』はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、情熱の高さとその力を肯定して、それによって生じた死はすべて肯定している。
図に当たるとは、現代のことばでいえば、正しい目的のために正しく死ぬということである。その正しい目的ということは、死ぬ場合にはけっしてわからないということを『葉隠』は言っている。
「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きている人間にいつも理屈がつくのである。そして生きている人間は、自分が生きているということのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。したがって『葉隠』は、図にはずれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはずれて死んだ方がまだいいという、相対的な考え方をしか示していない。『葉隠』は、けっして死ぬことがかならず図にはずれてないとは言っていないのである。ここに『葉隠』のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
われわれは、一つの思想や理想のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし『葉隠』が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくであろうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである
葉隠に生きる「大事の思案は、軽くすべし」
「大事の思案は軽くすべし。小事の思案は重くすべし」
これはなかなか言うは易く、行うは難しです。
平素からの心がけが大切です。

〇「大事の思案」の例
進学で学校や学部を選ぶ
就職で会社を選ぶ
結婚
離婚
家の買い替え
退職
死ぬか生きるか
大きな決断は、「一瞬で決める」ことが大切で、決めたら迷ったり後悔しないことである。
下手の考え休むに似たり
へたのかんがえやすむににたり
下手の考え休むに似たりとは、よい考えも浮かばないのに長く考え込むのは何の役にも立たず、時間の無駄だということ。
大事については平生から考え、準備し、行動の時には軽く成就されなければいけない。
  小事でも確固たる理念のもとに選択されなければいけない。
  小事をおろそかにすれば、大事もあやうくなる。
  そして武士道での大事といえば、死ぬ事である。
  決断の行為は自分で選べるが、時期は必ずしも選べない。
  生きるということは、やってくる運命に対して、自分が選択をする準備ともいえる。
四十六 直茂公壁書「大事の思案は輕く」とは平素思案を定め置く事
一、直茂公の御壁書に「大事の思案は輕くすべし。」とあり。一鼎の註には、「小事の思案は重くすべし。」と致され候。大事と云ふは、二三箇條ならではあるまじく候。これは、平生に詮議して見れば知れて居る也。これは前廉に思案し置きて、大事の時取出して輕くする事と思はるゝ也。兼ては不覺悟にして、其の場に臨んで輕く分別する事も成り難く、圖に當る事不定也。然れば兼て地盤をすゑて置くが、「大事の思案は輕くすべし。」と仰せられ候箇條の基と思はるゝ也

物事は速断即決せよ・・迷えば行動が鈍る
直茂公の遺訓に
「大事な思案は軽くすべし」というのがある。
逆に「小さな思案は重くすべし」である。
決断力というものは「平素」から養うものである
進むか?退くか?大きな問題は
迷うことなく進め
石橋を叩いて渡るほどなら渡るな
進むか退くか、買うか買わぬかなどは
大きなものほど迷ってはならない
「やるかやらないか迷った時は、やるだけだ」
「死ぬか生きるかな迷ったら死ねばいいだけだ」
平素からその覚悟で生きるべきである。
平素から覚悟が無ければ
人から笑われる
迷わずやれば後悔しない事だ
それが
ただ一度きりの人生を生きる覚悟である。
大事な思案は軽くすべし
覚悟というものは
長年にわたって日々確かめられなければならない。
常朝は大思想と小思想を分けているように思われる。
つまり大思想は平生から準備されて、
行動の決断の瞬間にあたっては、
おのずから軽々と成就されなければならない。
 常朝が言っている「小事の思案は重くすべし」というのは、
アリの穴から堤防が崩れるように、
日常坐臥の小さな理論、
小さな思想を重んじたことと考えられる。
〇武士の酒の飲み方
葉隠に生きる「酒の座の心得」
飲んだら「人や車」に乗るな!
乗るなら飲むな!
宮司は、今までに何度も大酒を飲み大失態をして来た人を見てきた。
平素は穏やかで本当に、虫も殺さないような人が酒に飲まれて暴れ
暴言や他人を傷つける姿をみるにつけ「酒さえ飲まなければ良い男なのにと残念である」
昨日も夕方突然電話のベルが鳴った。
「もしもし・・・酒を飲んでいたらそばにいた韓国人のお客と「竹島」問題で口論となり・・・喧嘩になりました・・・お店の人たちに押さえつけられました・・・・警官が来たので説明しました。・・・ところが警官は韓国人の言う事を聞いて・・ぼくの言う事は聞いてくれません・・・警察官で信用していいのは警察犬だけですね」・・・という。
宮司は、しばらく呆然として情けなくなった。
酒は飲んでもいいが楽しい酒を飲むべきだ
酒を飲んだらしょうもない議論などせぬことだ
酒は適量がいい・・・限度を越えて飲まぬことだ
酒を飲めば氣が大きくなるが、その時にこそ落とし穴があると思うべきだ
穏やかで誠実な人と思われていた人が
酒を飲みすぎて、暴れたり暴言を吐いたりすれば
生涯築いた信頼と実績を失うものである。
日本では、よく酒の上だから許されると、甘く考えるが
武士道では
酒の上だからこそ許されない不覚なのだ
大酒を飲んだから本性が出たと判断され
大事なお役目にはつけられなくなるのである。
まして、酒を飲めば
妻や子供を殴る蹴るするような男性こそ
獣にも劣る最低な人間である。
「今夜は無礼講で」なんていう言葉を真に受けて
無邪気に振る舞ってしまうと、
後で痛い目に遭います
酒の飲み方を上司は見ています。
酒に飲まれるような人間は
誰も信用しません 。
<葉隠聞書>
大酒にて後れを取りたる人 数多 ( あまた ) なり。
別して残念の事なり。(聞書第一)

まずわが丈け分をよく覚えその上は飲まぬようにありたきなり
その内にも、時により酔ひ過ごす事あり。
酒座にては就中氣を抜かず、不図事(はからずごと)出来ても間に合ふ様に料簡あるべき事なり。
また酒宴は公界(くがい)ものなり。
心得べき事なり。
(訳)
大酒で失敗した人は数限りなくいる。
取り立てて酒で失敗する物は残念だ
まずは自分お酒の飲める限界を知るべきだ
その酒の酒量を越えないことだ。
そうしていてもついつい酒量を超えて飲むことがある
酒の座ではいつも気を抜かないことである
思いもかけないトラブルや争いが起きる事もあるので油断できない。
充分に対処できるように考えるべきである。
酒の宴は、人の目の多いハレの場所だから
気をつけなければならない。

これは身につまされる訓戒である。
現代でも、何かことがあれば酒がでる。
そして無礼講などといって、いいたい放だいのことをいう習慣もある。
上下の区別なく好き勝手なことをいうのであるから、いっけん民主的にみえる。しかし、これは民主主義でも自由主義でも何でもない。
そこには面と向かってもののいえない泣きごとしかないのである。これは精神における弱者である。だからこそ、『葉隠』はそういう人間になってはいけないと戒めるのである。酒宴で気を抜かないように注意していれば、強じんな精神が養われる。
 悲惨な飲酒運転事故が後をたたない。被害者にとって悲劇であるばかりではなく、加害者である運転手にとっても悲劇である。それぞれの本人にとって残酷であるばかりではなく、身内にとっても残酷きわまりない。
酒の席は公の席であることの自覚がたりないから起きるのである。
今は、さらに酒のあとの席も公の席ということである。飲酒運転は本人の自覚さえあれば防げるものである。にもかかわらず後をたたないということは、甘えがあるからである。つまり「これくらいはいいだろう」という甘えである。
 酒席は公の席である、という定義は、『葉隠』の独壇場である。武士道とはかくも厳しいものであり、かくも麗しいものである。泰平にあぐらをかいて、自堕落となり、精神の弛緩が飲酒運転事故の原因である。
事故が起きてから反省しても遅い。賢い者は、事前に用心するものである。
〇男は寡黙であれ「政治屋のようにぺらぺら喋るな・・嘘が多くなる」
葉隠に生きる『威厳(いげん)と寡黙(かもく)』
宮司は、いつも「胆識の備わった風格のある人物」になりたいと思っています。
まず、「威厳がある人物」となるためには、
「威厳」は偉そうにふんぞり返る事が「威厳」ではないのです。
あまり「おしゃべり」ではいけないような気がしています。

何故なら・・良く喋る人は「軽薄」に思えるからです。
宮司が、今めざしているのは
「深沈厚重な人物」
「木鶏のような人物」をめざしています。

そのためには「寡黙」であることは大切です。
巧言令色少なきかな仁であります。
「空の缶は鳴る」のです(出来の悪い菅直人のように、べらべら喋りすぎるのです)
諺にも
「雉も鳴かずば撃たれまい」とか
「もの言えばくちびる寒し秋の風」の例えのように
喋りすぎは碌な事はないのです。
余分な事を言い過ぎるから
他人と争いになるのです。
いつも
「ハイ!ありがとう」以外は言わないようにすれば
争いなど無いのです。
〇子供の育て方
葉隠に生きる「子供の育て方」
親が「嘘をつかない、騙さない、脅かさない」
子供は言葉で育てない、後姿で育てること
子供の目の前では夫婦喧嘩は絶対にしない。
母親は父親の悪口を子供には絶対に話さない。
親が、毛虫やムカゼや蛇とか雷にびくびくしない・・・

子供の育て方は、
幼い頃から勇気を出すようにさせ
ものごとに動じない子供に育てることが大切です
まず
弱いものをまもる勇気をつけさせ
嘘をつく子にさせたり
人を騙したり
すぐのびくびくする子に育てないことです。
子供は大人の言葉には従いにくいのです。
子供は大人の行動を真似るのです。
だから
親が「弱い物いじめしない」
「嘘をつかない」
「騙さない(約束をやぶらない)」
「脅かさない」
ようにして子供を育てるべきである。
それより
大事なことは
親は夫婦仲が良いことが大切である。
親が子供の目の前で喧嘩をするようでは
子育てはなりません。
けだものでも
生まれてくる子を
大切に育てています。
母親が父親を尊敬しなければ
子供は父親の言う事は聞かない
母親は子供をべたべたと可愛がりすぎて
マザコンと陰で言われないようにしたいものである。
(原文)
一、武士の子共は育立様可レ有事也。
先幼稚の時より勇気をすゝめ、
仮初にもおどし、だます事など有まじく候。
幼少の時にても臆病気付ては一生の疵也。親の不覚にして、
雷鳴時もおぢ気を付、暗がりなどには不レ参様に仕なし、
泣やむやうにとておそろしがる事などいひ聞候ては、
不覚の儀也。又幼少にてつよく呵候へば、入気に成。又わる曲不2染入1様にすべし。
染入ては異見しても不レ止也。物言・礼義などそろ/\と気を付させ、欲気など不レ知様に、其外育立様にて大体の生付ならば能成べし。
夫婦中悪敷者の子は不孝なるよし、尤のこと也。鳥獣さへ生れ落てより、
見馴、聞馴る事移るもの也。又母親愚にして父子中悪敷成事、母親は何のわけもなく子を愛し、
父親異見有れば、子の贔屓をし、子と一味する故、其子は父に不和に成也。浅ましき心にて候。
行末を頼て子と一味すると見へたり。
(訳)
武士の子供を育てるためには、一定の方式がある。まず幼少の頃から
勇気を鼓舞し、仮にもおどしたり、だましたりすることなどあってはならない。
たとえ小さいころであっても、臆病心のあるのは一生の疵(きず)となるものである。
親たちの不注意から雷の音におじけづかせたり、暗がりなどに行かせないようにし、泣き止まそうとすると思って恐がることを話したりするのはいけないことだ。
また、小さい頃強く叱ったりすると内気な子供になる。
とにかく悪いくせが身に染まらないようにしなければならない。一旦染まってしまうと意見をしても直りはしない。
ものの言い方や礼儀作法は次第に気がつくように