原節子さん「永遠の処女」に逝く! 
日本のイングリッド・バ-グマンのような女優だった。
 
原節子さんは、吉永小百合の100倍も素敵だった!
 
原さんは謙虚さがあるが、吉永には思想的な傲慢さが出ている。
 
原節子さん 9月に死去していた 95歳「東京物語」「晩春」
内なる美追求 孤高の生涯半世紀
 
晩春」以降、小津監督の映画には欠かせない女優となり、「麦秋」「東京物語」などに出演した。

 小津監督は「原さんほど役柄に対する理解が深く、知性や教養があらわれる演技ができる人はいない。彼女が“大根”のような演技をしたとすれば、それは監督の方が悪いのだ」との言葉を残している。

 映画出演は37年の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」が最後で、翌年に死去した小津監督の通夜に訪れて以降、公の場には姿を現していなかった。引退宣言などもなかったため、引退の理由は定かではなく、諸説あった。その後は、取材要請があっても「私はもうおばあちゃんですから」と断り続け、鎌倉で親族と静かに暮らしていた。
 

原節子さん死去 伏せられた死の事実

デイリースポーツ 11月25日(水)23時53分配信    
 小津安二郎監督の「東京物語」や今井正監督の「青い山脈」に出演し、日本映画の黄金時代を支えた伝説の大女優、原節子=本名・会田昌江=さんが9月5日に肺炎のため、亡くなっていたことが25日、分かった。95歳。横浜市出身。生涯独身を通し、日本人離れしたたぐいまれな美貌で『永遠の処女』『日本のグレタ・ガルボ』と呼ばれた。
 
1963年、小津監督の葬儀以降、表舞台には一切立っていなかった
 
亡くなったことは、故人の意向を尊重し、伏せられていた。

 小津監督が亡くなった63年に女優を引退し、生涯、表には出ないというスタンスを貫いた原さん。映画界やファンとの交流も一切断ち、神奈川・鎌倉の自宅で静かに暮らしていた。女優・司葉子(81)は、原さんを「ほんとに素敵なお姉さま」と姉のように慕い、時々文通や電話をするなど、交流を続けていたという。

 自宅で原さんの身の回りの世話をしていた甥は昨年12月発売の週刊誌の取材に答え、「基本的に外出はせず、車でお寺に行ったり、月に何回か外に出るくらいです」と生活ぶりを説明。今年10月末に発売された週刊誌では「9月中旬ぐらい」に原さんが入院し、時々見舞っていること、体調については「前はかくしゃくとしていましたが、もう本人も歳なので」などと説明していた。

 しかし、入院時期と説明していた9月中旬にはすでに亡くなっていた。すべては、生涯表舞台には出ないと決めた原さんの意向を尊重し、静かに眠ることができるよう、親族が配慮していたと思われる。

 原さんは1935年、「ためらふ勿れ若人よ」(田口哲監督)で映画デビュー。36年、ドイツの巨匠アーノルド・ファンク監督の目にとまり、日本初の国際合作映画として制作された「新しき土」(37年)のヒロインに抜擢された。映画は日本、ドイツなどで大ヒットし、スターダムに躍り出た。

 小津監督と初めて組んだのは49年公開の「晩春」。小津作品には「小早川家の秋」(61年)まで6作品に出演し、日本映画界における最強コンビと言われた。最後の映画出演は62年公開の「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」となった。
  
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原節子さん死去、日本映画黄金期を代表する女優

[2015年11月25日22時52分]
 戦前から1960年代にかけて日本映画を代表する女優として活躍した原節子(はら・せつこ、本名会田昌江=あいだ・まさえ)さんが9月5日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去したことが25日分かった。95歳。横浜市出身。
 35年に映画デビュー。37年、日独合作映画「新しき土」でヒロインに抜てきされ、新進女優の地位を確立した。
 戦後、今井正監督「青い山脈」に主演。「晩春」「東京物語」など小津安二郎監督の代表作でヒロインを演じた。黒沢明監督「白痴」や成瀬巳喜男監督「めし」など、日本映画史を飾る名作に出演し、42歳で引退した。
 「永遠の処女」「不滅の大スター」と呼ばれたが、引退後は映画人やファンとの交流を絶つ“隠遁(いんとん)生活”を送った。 
    
 
昭和代表する映画女優、原節子さん死去 「お嬢さん乾杯!」
 
     
    http://www.sankei.com/images/news/151125/ent1511250011-n1.jpg
     「東京物語」など昭和20~30年代の数々の名画に出演し、日本を代表する映画女優だった原節子(はら・せつこ、本名・会田昌江=あいだ・まさえ)さんが9月5日に死去していたことがわかった。95歳。横浜市出身。
     原さんは大正9年生まれ。昭和10年、日活多摩川撮影所に入社し、「ためらふ勿(なか)れ若人よ」に女学生役で初主演。11年、山中貞雄監督の「河内山宗俊」に出演し、目が大きく、彫りの深い容貌(ようぼう)と初々しい演技で注目を集めた。12年には日独合作の「新しき土」(アーノルト・ファンク、伊丹万作共同監督)に日本側のヒロインとして出演した。
     戦後の1作目は21年、黒澤明監督「わが青春に悔なし」での反戦活動家の妻役。22年にフリーとなり、吉村公三郎監督「安城家の舞踏会」、24年に木下恵介監督「お嬢さん乾杯!」、今井正監督「青い山脈」前後編などに出演。敗戦によって人心が荒廃する中、清く正しく生きる勇気を持った女性を相次いで演じ、大人気を博した。同年の「晩春」で小津安二郎監督と出会い、演技の面でも開花
     
     
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