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徳性の教育を忘れた日本よ何処へ行く!
 
人間は「勉強が出来る」子供よりも、
それは「情のあるやさしさのある」子供ではなかろうか?
 
一流の学校を出ていても「冷たい人間」は嫌だ!
「イスラム国」処刑の真似をして人を殺す人間を
親や学校はいったい
今までに何を教えてきたのか?
 
<徳育のすすめ>
学校も親も「徳育」を忘れた
子供たちは、人を殺すことも
平気な時代が来ないだろうかと
憂うるのである。
 
徳性の大切さ!
 
人に備わるものとして、
本質的要素である徳性とそれに準ずる習性
いわゆるの存在と、
付属的要素である知性
いわゆる知識や技能の存在を挙げ、
明治以来の日本は人間教育をおろそかにしており、
もっぱら功利的・知識的な機械的人物、才人、
理論家ばかりが生まれたとして次のように論じる。

 人間教育もとんだ間違いをしていて、
学校に預けさえすればいいと思っている。

だが、やはり根本は家庭教育であり、
その家庭教育の基本は愛と敬である。

 ばかり強調されることが多いが、実際は愛だけでは育たない。
人間の人間たる所以は愛と同時に敬というものの存在である。

 敬という心によって、人は初めて進歩向上するのである。
そして人間は恥を知らなくてはいけない

 恥を知らなくなったら人間はどうなってしまうか分からない。

 呉子にはこうある。
「義を以てして恥あらしむるなり」と。

また、武士道の根底も「恥を知る」なのである。

 更には人の本質的要素とした徳性へと話は及ぶ。
近来、学校の学問では知識は教えるが見識を養う教師が少ない。

 大体、大学の秀才などは人間の修養をしていないから、知識は持っていてもそれは雑識でしかない。

 修養によって知識も見識となり、
その人独特の存在が意義づけられてくる。
常に倦まずたゆまざるところの探求的精神態度を持して努力しなければならない。

そのようにして人生百般、すべてが活きたものとなる。
もしも、地位だの身分だの、親子だの妻子だのというものを引いてしまうと何が残るだろうか。

 何も残らんということではいけない。

 一切を剥奪されても、奪うべからざる永遠なものが何かあるという人間にならなければいけない。

 根本精神から生まれ出る識見、器量、信念、徳望こそが大事なのである。

 心に一処に対すれば、事として通ぜざるなし。

 自己の心を尽くすことであらゆる事物は自己と一となる。
こうしてあらゆる事象が解決してゆく。
知識云々ではないのである。

 安岡正篤師父は言われる。

 真の教養は偉大な著作に親しむことによって得るものです。

これは専門の知識・技術の書物を調べることとは別であります。

 専門の内、外を超越した、人間としての修養の書であって、
自分の好きな本当に自分に響くような書物であれば何でも結構あります。

 別に学者になられる訳でもないのでありますから、
博学多識の必要はありません。

 常にそういった書物を一種類か二種類だけでも見ておられたら十分であります。

 何よりも絶えずこれを心掛けることが自らの人格を高め、
それのみならず、知らず知らずのうちに周りにまで影響を与えもするものなのです。

なぜ、偉大な著作なのか。

そこに描かれる人物・言行は、やはり敬するに足るほど魅力的なのである。

 目標とするに値する姿がそこにはある。

そして修養の要諦を次のように説く。

 心を養うには無欲がよい。

 無欲は何も欲しないということではない。

 何も欲しないなら死んでしまうのが一番てっとり早い。

 無欲とは我々の精神が向上の一路を精進する純一無雑の状態であって、
つまらぬことに気を散らさぬことである。

 精神は常に発刺として躍動していなければならない。
それは感激性であり、
人は常に、向上の大事に感激性をもたなければならない。
これを無心無欲という。

それには常に心のどこかに喜びをもち
感謝をもち、そして陰徳を志す

 「施して報いを願わず受けて恩を忘れず」である。

 人に謗られれば感情を害す、これは人情である。

だが、それさえも虚心坦懐に接して自らに抱懐できてこそ人物である。

 安岡正篤氏が自らを述懐した言葉が何とも感慨深い。

 暁は「さとる」とも訓ずる、悟るというのは心の闇が白んでくることだが
これにという字を充てた。

 何とも好い字である。

 何だか私もこの年になってようやく物がわかってきたような気がする。

やっと人生のに達したのかな、と。

すると、ふと、気が付くことがある。

 了という字も「さとる」と読む。

そして了はさとるのほかにまた、終わる、である。

 人間がどうやら、成程と悟る頃には人生が了る
そういうふうに人生はできている。

 

川崎中1殺害 大きなマスク、ポケットに手を入れ 川崎署は騒然

産経新聞 2月27日(金)12時12分配信
 
 川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)の遺体が見つかった殺人、死体遺棄事件は27日、少年3人に対する殺人容疑での逮捕状請求で重大局面を迎えた。この日で事件発生から1週間。捜査本部が置かれ、少年の事情聴取が行われている神奈川県警川崎署の周辺は騒然とした雰囲気に。遺体の遺棄現場では、朝から手を合わせに訪れる人の姿があった。

事件に関わった疑いのある少年の一人が、事情聴取を受けるために同市内の自宅から出てきたのは27日午前8時半ごろ。少年は白いジャンパーに白い大きなマスクを着用し、ポケットに手を入れ、弁護士とみられる男性らに付き添われてタクシーに乗り込んだ。

タクシーは約15分後に川崎署に到着。約200人の報道陣らが見つめる中、署内の駐車場でタクシーを降り、無言のまま、男性とともに署内へ入っていった。

近くに住む無職、小野寛之さん(77)は「まったくひどい話。少年事件だから慎重に捜査をしていたのだと思う」と話した。

一方、上村さんの遺体が遺棄されていた同市川崎区港町の多摩川河川敷では、上村さんの同級生や知人らが手向けた数十束の花束やお菓子、バスケットボールなどが置かれ、雨でぬれないようにと、傘も立てかけられていた。

東京都大田区の会社員、加藤由紀夫さん(52)は現場で線香を供えて合掌。「上村君の恐怖心を考えると心が痛む。こんな事件は二度と起きてほしくない」と語った。
 

<川崎・中1殺害>リーダー格の18歳少年を殺人容疑で逮捕

 ◇神奈川県警川崎署捜査本部、残る2人の逮捕状も請求

川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)の刺殺体が見つかった事件で、神奈川県警川崎署捜査本部は27日朝、上村さんの顔見知りの少年3人が事件に関与した疑いが強まったとして、殺人容疑で逮捕状を請求し、リーダーとみられる定時制の高校生(18)を逮捕した。残る2人についても同日内に逮捕する見通し。事件は発生から1週間を経て大きく動き出した。

【逮捕のリーダー格】「切れやすく」子分従え

捜査関係者によると、高校生ら3人は20日午前2時ごろ、上村さんを河川敷に連れ出し、ナイフで首を切るなどの集団暴行を加えて殺害し、数十メートル離れた草むら付近に遺棄した疑いが持たれている。捜査本部によると、逮捕された高校生は関与を否認しているとみられる。

高校生らが浮上するきっかけになったのは、現場付近の防犯カメラ。上村さんの死亡推定時刻とほぼ同じ時間帯に、3人が上村さんと連れ立って河川敷に向かい、3人だけで戻って来る映像が記録されていた。上村さんの複数の知人らも「高校生ら3人に暴行を受けていた」と証言したため、関与した疑いが強いと判断した。3人は事件後に一時行方が分からなくなっていたという。

また、約1時間後には近くの公園のトイレの個室でぼやが発生。これまでの調べで、上村さんのものとみられる衣類や靴の燃えかすが発見されていることから捜査本部は3人らによる証拠隠滅工作とみており、関与を追及する。

知人らの話によると、3人が所属する少年グループは昨秋から上村さんを夜間に呼び出し、万引きを強要するなどしていたとみられる。上村さんはグループとの付き合いをやめたがっていたとされ、高校生らは指示に従わないと殴るなど暴行。顔を腫らした上村さんの姿が周囲にたびたび目撃されていた。

上村さんの遺体は首や顔、両腕に多数の切り傷や刺し傷があり、捜査本部はこうした暴行がエスカレートした可能性もあるとみている。【大場弘行、松浦吉剛、水戸健一】
 

川崎中1殺害 逮捕した少年3人は容疑否認

産経新聞 2月27日(金)16時37分配信
 
 川崎市川崎区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)が遺体で見つかった殺人、死体遺棄事件で、神奈川県警川崎署捜査本部は27日、殺人容疑で逮捕した少年3人が、いずれも容疑を否認していると明らかにした。

殺人容疑で逮捕されたのは、リーダー格の少年(18)と17歳の少年2人の計3人。
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