宮司は「杉田智君」を忘れない!霙(みぞれ)降る中ただ一人「占領憲法」に体当りして「切腹」をしたこ | 安倍神像神社素心宮司の「夢と目標」
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    宮司は「杉田智君」を忘れない!
    霙(みぞれ)降る中ただ一人「占領憲法」に体当りして
    「切腹」をしたことを!
     
    日本人はいつから
     
    このような青年の魂の叫びを
     
    聞こうともしなくなったのか?
     
    自分さえよければいいという人間が
     
    多くなってしまったのか?
     
    このような純粋な青年に
     
    花を手向ける気持ちがなくなったのか?
     
    悲しい気がする
     
    他人のために涙を流し・汗を流し・血を流せる人が
    少なくなったことを宮司は寂しい
     
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    杉田 智(さとし)烈士
    憂国忌の齋行(案内)
     
    全国の「憂國の志士」は
    金沢に集結せよ!
    誰でも参加できます 。
     
    日 時
    平成26年 12月7日 午前10時30分~12時00分 
    場所
    石川県「護国神社」
     清水澄博士碑前
     
    祭礼者 
     
    祭主 
    吉水神社 
      宮司 佐藤 一彦(素心)
     
    齋行責任者 松田 晃平
     参加者・・杉田智大命の志を知る者 
     参列者 国士舘大学生他
     
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    マスコミが絶対に報道をしない
    「平成の割腹自決!」
     
    宮司は「杉田智君」を
    いつまでも忘れない!
     
    「今の占領憲法では、日本は骨抜きになり・・日本が滅びてしまう!」
     という・・・君の霊の叫びは聞こえてきた。
    今の占領憲法に自らの「切腹」で体当りした!
     
    霙(みぞれ)降る
    金沢の石川県護国神社の
    清水 澄博士の石碑の前で
    ただひとり
    「切腹」をした
    君の無念の声を・・・・
     
     
    日の丸を抱き霙(みぞれ)の中を
    ただひとり 
    自ら腹を切り、
    自らの頚動脈を切った
    凄まじい自決を!
     
    日本の全国民が、この金沢大学生の自決を忘れても
    宮司」は忘れる事はない!
     
    杉田 智烈士殿
     あなたの勇気に対し
     ひざまづく
     
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    式  次第
     
    杉田 智烈士御霊に拝礼
     
    皇居 天皇陛下に遥拝
    靖国神社に遥拝
    伊勢神宮遥拝
    杉田 智烈士御霊に黙祷
     
    修祓
    祭主祝詞奏上
    玉串奉奠
    来賓挨拶
     
    杉田 智烈士御霊に拝礼
     
    石川県 護国神社 清水澄(とおる)博士顕彰碑前で
     日本國の領土防衛と
     日本國民の安全を憂いて
     ただ一人
     霙(みぞれ)降る
     石川県 護国神社境内 
     清水澄(とおる)博士顕彰碑前で
    割腹自決した
     
    金沢大学4回生 杉田 智(さとし)大命に捧げる 
     
     
     「日本の行く末を憂いての自決」であることは、
     自決の状況からあきらかである。
     一人腹を切り、頚動脈を切る力はすさまじいばかりの、
     覚悟がいっただろう。
     寒かったでしょう苦しかったでしょう
     「今の占領憲法では、日本は骨抜きになり・・日本が滅びてしまう!」
     という・・・君の霊の叫びは聞こえてきた。
     
    だが・・・どうして生きて宮司と共に
     
    「日本再生」の為に力を貸してくれなかったのか
     
    自決するだけの勇気があるなら生きて日本国家の為に
     
    宮司達と闘ってくれなかったのか
      
    死んで訴えたい気持ちもわかる憂国の覚悟には頭が下がる
     
    だけど・・・生きて・・生きて占領憲法を無効にすることもできるはずだ!
     
    「無念・・・・無念どうして自決したのか?」
      
    宮司はあなたが自決したその同じ場所でひざまずき
     
    うめきながら鎮魂の祝詞を奏上する
     
    心が寒風に泣いている
     
    憂国の「殉死」であり「自決」なのに
     
    マスコミは単なる自殺として、黙殺した・・
     
    しかし・・この自決には場所といい12月8日に意味がある
      
    平成23年12月8日、大東亜聖戦開戦の日、
     
    國憂うる青年、杉田智(さとし)烈士(享年22才)
     
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    杉田智とは、憂士である。
    平成23年12月8日石川護国神社清水博士の碑の前で割自決した。

    概要

    金沢大学4年生の学生享年22歳。平成元年4月5日生まれ。
    北海道釧路出身。金沢大学人間社会学域法学類にて学ぶ。
    ゼミでは、「
    日本全保障」について研修。
    平成23年12月8日9時45分ころ発見・収容される。
    場所は
    金沢市石川護国神社内。
    装はスーツワイシャツ
    部を切り、自ら頚動脈を切った模様。
    内を汚さぬためか、地面にはビニールシートが敷かれていた。
    遺体の隣にはバッグ。その中に身分
    明書を入れ、
    その上に、
    に濡れないようにして日章旗が置かれていた。

    12月8日大東亜戦争の開戦の日であり、
    清水博士大日本帝国憲法に殉じて自決した人物である。
    清水博士の碑には移転問題があり、それに対する抗議かとの推測もある。
    アパート自殺をほのめかす両親あての文書が残されていたというが、
    檄文の有
    は発表されておらず、本人による内容は不明のままである。

    現状では
    警察により単なる自殺として処置され、闇に葬られる恐れがある。
    マスコミの動きもに等しい。
    本人の命を賭した
    は世に問われぬままである。
     

    神社で男性自殺か
    8日午前9時45分ごろ、金沢市石引4丁目の石川護国神社を訪れた男性が、境内の石碑前であおむけに倒れている男性を見つけ、近くにいた土木作業員を通じて110番した。金沢中署員が死亡を確認した。
    遺体のそばには日章旗が敷かれていた。金沢中署は状況などから自殺の可能性が高いとみて、身元の確認を進めている。同署によると、男性は黒っぽいスーツを着用、白いワイシャツのボタンを外し、腹など数カ所に刺し傷があった。ナイフが近くに落ちていた。(共同)


    石川護国神社で自決か

    8日朝、金沢市の石川護国神社で男性が血を流して死亡しているのが見つかりました。警察は自殺ではないかとみて調べています。8日午前9時45分ごろ、金沢市の石川護国神社の境内で「人が亡くなっている」と近くで工事をしていた作業員から通報がありました。警察がかけつけたところ、境内の石碑近くで20代とみられる男性が血を流して仰向けに倒れ、腹や首など数か所に刃物で刺したような傷が確認されました。男性はすでに死亡していて、7日夕方から8日未明にかけて死亡したとみられます。近くにはナイフのような刃物のほか、日の丸の国旗などが置かれていて、遺体の下にはビニールシートが敷かれていたということです。遺書は今のところ見つかっていませんが、警察は現場の状況などから男性が自殺を図ったのではないかとみて調べています。

    真珠湾攻撃の日に日章旗を傍らに置き、護国神社の清水澄博士顕彰之碑前で自殺。
    何らかのメッセージはあるのだと推察する。
    だが、遺書の有無、自殺の真意が明確でない以上、この件に関しての意見は控えさせていただく。
    ただ、ネットで見かけるスカした意見や、死者を軽んずる意見は許せることではない。
    こういったことを軽々しく扱うべきではない。
     
    開戦記念日の翌日、知己より「若者が8日、
     
    石川県護国神社にて意志ある割腹」との報を受けました。
     
     
    まだ大学4年生とのことで、余りにも早い死です。
     
    国旗をビニールにて包み持ち、
     
    遺書(檄文か)もしかと在る様で、知己は早々に各メディア及び当局に掘り下げて調査するよう依頼したとのことです。
    殊に驚くはその遂げた場所です。神社内の「清水澄博士顕彰之碑」の御前でありました。
    清水澄博士をご存じ無き方の為に敢えてご説明申し上げますと、氏は戦前の憲法学者であり、元枢密院議長。断固反対していた現行の日本国憲法発布の年、
    日本の未来を憂いて「幽界より国体護持と皇室安泰、今上陛下の御在位祈願を欲す」との書を遺し、自決された方です。
    現状憶測でしかありませんが、どう考えてもこれは憂国からの散華であります。経緯や遺書の内容如何によってはジャスミン革命の如き潮流の礎となる可能性を孕むと考えております。
    本件どうか各位注視の上、拡散頂ければ幸甚です。
     

    皆さんの前で開戦の日についてなどにつき話す。
    石川護国神社で割腹自決の青年がいたとネットに記載があり、新聞記者に問い合わせていただいているが、まだ状況は不明と報告。小生もこの夏、幹事の一人として慰霊に訪れた場所。
    金沢大学4年生の学生の自決については詳細は分からないが皆さん神妙な面持ち。場所は清水澄先生碑の前と聞く。
    自決された隣にはリュックがあり、その中には身分証明書もあったことを思えば覚悟の自決であることは間違いない。雨にぬれないようにビニールに包んだ日の丸もあったという。
    清水澄博士は大日本帝国憲法に殉死された愛国者。明治元年金沢市に生まれ、東京帝國大学法科を卒業後、 学習院大学教授となり、明治三十八年法学博士。枢密院議長の要職をになわれ,帝国憲法の否定に抗議され自決された方なので、その後追いであるやも知れない。
    遺書もあると言うことで記者に詳細を聞くが、不明。警察のガードが硬いようだ。新聞報道を期待したい。
    心より哀悼の意を表します
     
    清水澄博士のこと
    私の手元には昭和八年発行の『逐條帝國憲法講義』(松華堂)という文献がある。これは、法学博士清水澄(とおる)博士が著された名著であり、私が大日本帝國憲法を研究する際の基本文献の一つである。
    私は、青年期に石川県出身の弁護士表権七先生の書生をしながら司法試験をめざして合格したが、その合格祝いとして表先生の蔵書の中から戴いたものである。そのころから本格的に帝國憲法に関する研究をしていた私にとって、郷土の誇る偉人の書は、何よりも素晴らしい合格祝いとしての贈り物であった。
    しかし、この文献は、単に学術的に貴重であるという以上に、現行憲法無効論者として開眼した私にとって、その理論的出発点となった聖典とも言うべきものである。

    では、清水澄博士のことについて述べてみたい。
    清水澄博士は、明治元年金沢市に生まれ、東京帝國大学法科を卒業後、学習院大学教授となり、明治三十八年法学博士の学位取得され、宮内省、東宮御学問所の御用掛を拝命された。
    大正天皇、昭和天皇に御進講され、行政裁判所長官、枢密院顧問官を経て、敗戦後、最後の枢密院議長に任ぜられた憲法学者である。
    しかし、このような輝かしい経歴から隔絶するかのように、清水澄博士は、昭和二十二年九月二十五日、熱海の錦が浦で投身自決されている。なぜ自決されたのか。これについては、饒舌を尽くして博士の死を論うよりも、次に掲げる清水澄博士の遺書でご理解いただきたい。

    自決ノ辞

    新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ
    元枢密院議長  八十翁 清水澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム
    追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ
     
     
     
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