西行「月と恋と秋」
嘆けとて 月やはものを 思はする
かこち顔なる わが涙かな
西行法師(86番) 『千載集』恋・926
かこち顔なる わが涙かな
西行法師(86番) 『千載集』恋・926
佐藤義清(さとうのりきよ)・・・西行
待賢門院璋子
佐藤義清(西行)は、
白河上皇の妻の待賢門院璋子に
どうにもならぬ恋をした。
北面の武士の隊長である職責も
東北に残した妻や子供さえ忘れて
かなえられない恋に身を焦がし
遂に出家して
吉野の奥山で不自由な隠遁生活に入る
西行庵の秋
西行の面影残し 散るもみじ 燃える夕陽に はらはらと落つ
世の中を捨てて捨て得ぬ心地して都離れぬわが身なりけり
雲晴れて身にうれへなき人の身ぞさやかに月の影は見るべき
雲晴れて身にうれへなき人の身ぞさやかに月の影は見るべき
知らざりき雲居のよそに見し月のかげを袂に宿すべしとは
おもかげの忘らるまじき別れかな名残りを人の月にとどめて
月見れば契りおきてしふるさとのひともやこよひ袖ぬらすらむ
恋しさや思ひ弱るとながむればいとど心をくだく月影
身の憂さの思い知らるることわりにおさへられぬは涙なりけり
月にいかで昔のことを語らせてかげに添ひつつ立ちも離れじ
かかる世にかげも変わらずすむ月を見るわが身さへ恨めしきかな
今ぞ知る思い出でよと契りしは忘れんとての情けなりけり。
いとほしやさらに心のをさなびてたまぎらるる恋もするかな。
あわれあわれ此世はよしやさもあらばあれ来ん世もかくや苦しき
弓はりの月にはつれてみし影のやさしかりしはいつか忘れむ
<西行(本名 佐藤 義清(のりきよ)>
西行(1118~1190没72才)といえば
願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ
の有名な歌があります。
宮司は、西行の歌が大好きです。
切ない歌が多いですが・・しかし心に響くのです
佐藤義清(のりきよ)西行は、出家前は北面武士(ほくめんんぶし)でした。
京都御所の警備隊の隊長の西行と白河上皇の妻の待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ1101~1145没44才)との恋はあまりにも有名です。
上皇の妻に惚れた西行は、御所を引き下がり
家族とも別れて、吉野の奥山に逃げて隠遁しました。
それが吉野の「西行庵」です。
時々、待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)は人目を避けて
月に一度、京都からの差し入れを運んだり、
身の回りの事を村人に頼みに訪れました。
吉野の奥千本の西行庵を訪ねて、食事の世話をし2・3日宿泊し帰りました。
西行と待賢門院璋子とは、17才の年齢差がありました。
若い佐藤義清(西行)は、待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)に夢中になりました。
璋子に恋こがれ、想い叶わぬと知ると出家致しました。
西行は上皇の妻を死ぬまで慕い続けたからこそ、
素晴らしい歌が沢山出来たのです。
佐藤義清(西行)