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日本人のみんなが忘れちまった話
 
 
 
 
 
 1、「五字(ごじ)を正す」
 
滋賀県には、「近江聖人」として、その名も高い
「中江藤樹先生」がおられた。
 
中江藤樹先生は、日本陽明学の始祖とも言える
偉大なる人物であった。
村人に教え導くのに
わかり易い言葉で諭された。
 
その一つが
「五字を正す」なのです
宮司の、社務所の台所に貼り・・朝夕見つめて
反省の言霊にしています。

1「貌」を正す・・・和やかな顔つきで、人に接する。

2「言」を正す・・・思いやりのある言葉で話しかける。

3「視」を正す・・・澄んだ目で物事を見る。

4「聴」を正す・・・耳を傾けて真剣に聞く。

5「思」を正す・・・真心を込めて相手の事を思う。
 
 
 
 
 2、正直馬子の話し」
 
 
 


ある日、
 
河原市(現在の滋賀県新旭町安井川)に住む馬子の又左衞門は、
 
京都へのぼる加賀の飛脚を馬に乗せました。
 
そして、仕事を終えて河原市にもどり、馬を洗おうと鞍を取り外すと、
 
さいふのような袋が出てきました。
 
その中味を改めると、なんと金子200両もの大金が入っているのでした。

 驚いた馬子は、「これはもしかしたら、さっきの飛脚のものかも知れない。
 
今ごろは、あの飛脚きっと困り果てているに違いない」と思うと、ふたたび馬子は日暮れの道をとって返し、飛脚の泊まっている榎の宿(現在の滋賀県志賀町和邇)まで、30キロの道のりを走っていったのです。

 いっぽう、飛脚はというと、旅篭で旅の疲れをいやそうとしたところ、大金の入った袋が手元にないことにようやく気づき、必死であたりを捜したものの、どこにも見つかりませんでした。

 そうした折、馬子が旅篭に現われたのです。飛脚に会って、いろいろ仔細をたずねると、確かに飛脚の置き忘れ物であることがわかり、馬子は200両の入った袋をそっくりそのまま返してあげたのです。

「この金子は藩の公金で、京の屋敷へ送り届けるためのものです。もしも、この金子200両が見つからなかったときは、自分の命は申すまでもなく、親兄弟までもその累がおよんで、重い罪になるところでした」と、飛脚は涙ながしながら話すのでした。
 そこで飛脚は、行李より別の金子を取り出し、当座のお礼として馬子に15両を差し上げるのですが、馬子は一向それを受け取ろうとはしませんでした。
 
馬子は、「そなたの金を、そなたに返したただけなのに、なんでお礼などいりましょうや」と言うばかり。そこで、飛脚は10両と減らし、5両、3両と減らして馬子に受け取ってもらおうとするのですが、それも受け取ろうとはしません。
 
困りはてた飛脚の顔を見かねて、ようやく馬子は「それじゃ、ここまで歩いてきた駄賃として鳥目200文だけは頂戴いたしましょう」と。

 200文を受け取った馬子は、その金で酒を買ってきて、旅篭の人たちと一緒に酒を飲み交わしました。酒もなくなり、ほろ酔い機嫌で馬子が帰ろうとすると、飛脚は感激のあまり「あなたはどのような方か」と問うのです。

 馬子は、「自分はこのように名もない馬子に過ぎません。ただ、自分の在所の近所に小川村(現在の滋賀県安曇川町上小川)というところがあって、この村に住んでおられる中江与右衞門(藤樹)という先生が、毎晩のように講釈をしておられ、自分も時々は聞きにいくのです。
 
先生は、親には孝を尽くすこと、人の物を盗んではならないこと、人を傷つけたり、人に迷惑をかけてはならないことなど、いつも話されておられます。
 
今日の金子も、自分の物ではないので、取るべき理由がないと思ったまでのことです」と言って、夜遅くふけて河原市へもどりました。
 
 
 
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