葉隠に生きる
「毎朝、一回死ぬ練習をしておけ!」
 
「騎士道」と「武士道」は
どこが違うのか?
 
日本人の誇る「武士道」は、
「いかに美しく死ぬか?」と言う事です。
 
ヨーロッパの「騎士道」は
「いかに、美しく生きるか?」
 
日本人は「武士道精神」で生きてきた。
「潔くない日本人は、軽蔑された」
 
日本人のDNAには「武士道といふは、死ぬ事とみつけたり」という
覚悟が常に内在している。
 
それは、何でもよいから死に急げと言う事ではない。
いわゆる覚悟なのである、
 
「日本が危ない時とか、恥をかいたら、愛する人を守るためには死ぬ覚悟を持て」と言う覚悟である。
 
美しく人生を生きるという甘いものではないが、日本人の魂は
「いかに美しく死ぬか?」という覚悟を平素から培っていなければ
いざ鎌倉の時に、一旦緩急の切羽に役に立たない人間になる。
 
むやみやたらに「死ぬ」必要は無いけれど
死ぬ時が来たら微笑んで「死ねる覚悟」だけは、日本人として毎朝しておくべきである。
 
「葉隠聞書」
 
必死の観念、一日仕切りなるべし。
 
毎朝心身を鎮め、弓、鉄砲、鑓、太刀先にて
 
すたすたになり、大浪に打ち取られ
 
大火の中に飛び入り
 
雷電に打ちひしがれ
 
大地震にて揺り込まれ
 
数千丈のほきに飛び込み
 
病死、頓死等の死期の心を観念し
 
朝毎に懈怠(けたい)なく死しておくべし
 
古老曰(いわ)く
 
「軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る」となり
 
用心の事にあらず、前方死しておくことなり。
 
< 訳 >
 
必死の思いは、日に新たに日々新たにするように努むべきである。
 
朝ごとに心身をしずめて、弓、鉄砲、槍あるいは刀で切り裂かれ
 
大浪にまかれ、大火の中に飛び込み、雷に打たれ、大地震にあい
 
高い崖から落ちたり、病死、頓死などといった、さまざまな死にざま
 
末期の事を考え、毎朝ゆるみなく、死んでおくべきである。
 
古老の言葉に、
 
「軒先を離れれば死人のなか、門を出れば敵に会う」というのがある。
 
此れは用心のことではなく、前もって死んでおく心構えの事である。
 
 

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