男前な神(イケメン)
「毘沙門天」
(勝負神・・・正勝吾勝々速日天之忍穂耳命)
 
宮司は、数々の修羅場を越えて生きてきたので
 
「毘沙門天」や「不動明王」とか「蔵王権現像」に惹かれる。
 
颯爽と勇ましく凛として厳しい顔がいい。
 
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                   毘沙門天
 
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毘沙門天
 
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                     不動明王
 
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                                 蔵王権現像
 
 
 
毘沙門天(びしゃもんてん) (日本大百科全書)
 
仏教の護法神。
 
サンスクリット語バイシュラバナVaihttp://100.c.yimg.jp/lib/gaiji/gif/l/00363.gifravanaを吠室http://100.c.yimg.jp/lib/gaiji/gif/l/01418.gif末拏などと音写し、転じて毘沙門天となる。
 
多聞(たもん)天、遍聞(へんもん)天とも称する。
 
インドのベーダ時代からの神で、ヒンドゥー教ではクベーラkuberaの異名をもつ。もとは暗黒界の悪霊の主であったが、ヒンドゥー教では財宝、福徳をつかさどる神となり、夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)を率い、帝釈(たいしゃく)天に属して北方を守護する神とされていた。
 
仏教では四天王の一尊で須弥山(しゅみせん)の北方に住し、多数の夜叉を眷属(けんぞく)として閻浮提(えんぶだい)州の北方を守る護法の善神とされた。その形像は甲冑(かっちゅう)を身に着け、憤怒(ふんぬ)の相をし、左手に宝塔を捧(ささ)げ、右手に宝棒または鉾(ほこ)を執(と)り、二夜叉(鬼)の上に座る。また十二天の一とされるが、わが国では単独としても古来から信仰された。
 
信貴山(しぎさん)(朝護孫子寺(ちょうごそんしじ))では毘沙門天を本尊としており、楠木正成(くすのきまさしげ)はその申し子として幼名を多聞丸と称するなど、武将の信仰が厚かった。
 
また平安時代には、王城鎮護のため北方に建てられた鞍馬(くらま)寺に左手をかざした毘沙門天像を安置したり、さらに東寺(教王護国寺)の跋(とばつ)毘沙門天像のように密教において特別の彫像も現れるに至った。後世、武将形のまま七福神の一つに数えられ、福徳を授ける神として民間に信仰された。
 
毘沙門=多門天
毘沙門天は、仏教四天王の一仏で多聞天とも言われ、日本では毘沙門天と呼ばれ、智恵と勇気の守り神。
もとは古代インドの神話の神であり、インドの財宝福徳を司り、ヒマラヤの北方の山中に住んでインドの北を守る善神とされています。
 
毘沙門天は七福神の中でただ一人、甲冑に身を包んで厳しい顔をし、右手に槍、左手に宝塔を持っています。戦いの神で、悪霊を退散させ財宝をさずけるといわれ、鎮護国家の神と信仰され福を与える神様です。
毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされ、その中には無尽の福・長命の福・勝軍の福・愛敬の福などがあります。
 
仏教に取り入れられてからは、善根を積む人々に福を授け、仏法を守護する四天王の一人として北方防備の任を担い、四天王中、最強の力を誇るとされました。