学問は人も変え、顔も変える!
世間ではよく、40歳からの「顔」は自分で作る顔だと言われている。
40歳までの「顔」は、確かに親が与えてくださった顔だ
だが・・・40歳からは、
自分の顔に責任を持たねばならない。
果たしてどのような「顔」にしたいかである。
よい顔にしたかったら「人間学」をやるべきだ。
佐藤一斎先生の「言志四録」を読む事である
山本 常朝の「葉隠」を学ぶべきである
この二冊を読み終えたら
次第に顔が変わってくるのだと
わが師「安岡正篤先生」は教えられた
今・・・自分の顔を見るとああ・・あれから30年
まだまだ・・学問の道は日が暮れて道遠しである。
切実によい顔になりたいと思うので、
さらに王陽明の「伝習録」を
学びなおし聞きなおしたいと思う。
75才を過ぎたら「孟子」を
もう一度学びなおしたいと思う
「学問は人を変え、顔を変える」とつくづく思う
もしも・・・27歳の時に安岡師父の講話を
大神神社や春日大社で聞かなければ
今日の自分は、どんな人間になっていたのだろうか?
安岡師父・新井正明師・豊田良平師匠の恩を忘れないで
さらに
精進し「死ぬまで学門」をして
良い人生
よい顔
になりたい。
学問は人間を変える。
人間を変えるような
学問でなければ学問ではない。
その人間とは他人のことではなくて
自分のことである。
他人を変えようと思ったならば、
先ず自分を変えることである。
人間を変えるような
学問でなければ学問ではない。
その人間とは他人のことではなくて
自分のことである。
他人を変えようと思ったならば、
先ず自分を変えることである。
「老」という文字には三つの意味がある。
一つは年をとる。
二つは練れる。
三つは「考」と通用して、
思索が深まり、完成するという意味。
一つは年をとる。
二つは練れる。
三つは「考」と通用して、
思索が深まり、完成するという意味。