十字の詩

天勾践(てんこうせん)を

空(むな)しゅうすること莫(な)かれ

時に范蠡(はんれい)

無きにしも非ず


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元弘2年(1332)に後醍醐天皇が逆臣北条高時のために

隠岐に流される途中、

この館にお泊りになり児島高徳が大門の傍らの桜の幹を削って

詩をしるし、

天皇をお慰めした故事は、

後世の人びとを感動させました。

東山天皇の貞享5年(1688)

津山藩森家の執政(家老)長尾勝明が

建碑して高徳の忠誠を顕彰し

明治になってから作楽神社が創建される基を作りました。

碑の漢文は白文ですが、訓読すると次の通りです。

元弘の乱に、後醍醐帝隠州に狩し 翌華此の地に次りたまふの日 児島備後三郎高徳密かに宿営に来り 桜を削りて書して云ふ、

天勾践を空しうすること莫かれ時に范蠡無きにしも非ずと、

事、口碑に詳し。此を賛せず。今、邑民伝へ称すらく、往昔の桜、泯滅して既に旧し、厥の地曽て東大門と号す。

近ごろ其の遺蹤に困りて、新桜一株を栽ゑ、

又石に刊みて渠の忠誠を旌し、

且つ人をして行在の蹟を織らしめんと欲す。

銘に曰く、皇帝赫怒して、鳳駕西に翔けたまふ。

天神聖を翼け。爰に賢良を降す。

片言を桜に誌して。百世に芳を流す。

分を明らかにして賊を討ち。

忠をケイして王に勤む。

義気を石に刻めば。

烈日厳霜のごとし。

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