南朝の「三木一草(さんぼくいっそう)」
後醍醐天皇を護った「勤皇の忠臣」
延元元年「三木一草」は、味方だと信じた
国賊「足利尊氏」の裏切りで全てが討死した。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三木一草
 
1、楠木 正成
 
2、名和 長年 
 
3、結城 親光
 
4、千種 忠顕
 
 
南北朝時代初期における南朝側の有力武将四人を指す。
 
三木は
 
楠木正成の「木」、
 
名和長年が名乗っていた伯耆守の「耆」、
 
結城親光の「城」から由来しており、
 
一草は
 
千種忠顕の「種(くさ)」から由来する。
 
 
三木一草枯れ果てる
 
 湊川の敗戦の知らせは、花の都に恐慌を巻き起こした。
 
帰って来た新田軍の、憔悴しきった惨めな姿は、京童を恐怖させた。
 
 五月二十七日、後醍醐天皇は公家百官もろとも、阿蘇惟時や新田義貞らに護られて、三種の神器とともに比叡山に退去した。もちろん、その中には菊池勢の姿もあった。
 
 ところが、比叡山に向かう行列の中から密かに逃げ出す影があった。外ならぬ光厳院と、持明院統の公家たちである。
 
彼らを逃がしたことは、いかに慌てていたとはいえ、後醍醐帝の大きな手落ちであった。光厳院の一行は、数日後、京に入って来た足利軍に暖かく迎え入れられたのである。これが、事実上の南北朝時代の幕開けであった。
 
 足利尊氏は、東寺に本陣と仮の皇居を置き、六月までには京の治安を回復した。既に彼の軍勢は五万を越え、その意気は天を衝き、その喚声は比叡山にまで轟いた。
 
 菊池武重は、楠木正成と七郎武吉の死を東坂本の陣屋で知った。武吉は、その服装で身元が確認されたが、酷く面相が崩れていたため、さらし首は免れたという。
 
 「ぼっけもんがっ」武重は、脱いだばかりの兜を地面に叩きつけた。「七郎のぼっけもん、おいは、河内どのをお救いせよと言ったんだ。一緒に死ねとは言っとらんがっ」
 その傍らで、六郎武澄、八郎武豊も呆然と立ち尽くしていた。恩人と兄弟の相次いでの死は、彼らの心を悲しみで埋め尽くしていたのだった。
 悲しみは、しかし阿蘇惟時にとっても大きかった。彼は、長男と次男を初めとする一族郎党の討ち死にと、阿蘇大社が坂梨家に奪われたことを詳しく知って、強い衝撃を受けてから、なんとなく覇気を失い、呆然と考え込むことが多くなっていたのである。
 
 新田義貞は、意気が沈みがちの軍勢を必死に叱咤し、西坂本と東坂本に陣地を築いて敵の大軍を待ち受けた。しかしその総勢は、山門の僧兵や、和泉の港から駆けつけた土居、得能勢を合わせても二万程度。北畠軍を東国に帰したことが何と言っても悔やまれた。
 
 六月五日、西坂本に攻め寄せた足利直義軍との交戦で、千種忠顕勢が玉砕した。
 しかし義貞も泣き寝入りはしていない。六月二十日に、同じ西坂本で足利軍に逆襲を食らわせ、 高師 ( こうもろ ) ( ひで ) とその一族数十人を討ち取ったのであった。
 
 その間、楠木正行を中心とする南畿の宮方は、淀川を封鎖して足利勢の糧道を断ったため、兵糧に苦しむ足利軍の比叡山攻撃は捗々しく進まなかった。結局、亡き正成の作戦が実施されたわけだが、最初から正成の策を採用しておれば、正成も武吉も死なずに済んだだろうし、戦局はもっと有利に出来ただろうに。
 
 菊池勢は、脇屋義助を総大将とする東坂本に配備されていた。菊池兄弟とその千本槍隊は必死に奮闘し、波状攻撃を仕掛ける足利軍を寄せ付けなかったのである。
 「味方は優勢ぞ」
 「今こそ、総攻撃の時でおじゃる」
 例によって、公家たちが軍議に口を挟んだ。彼らは、いつでも武士の上に君臨していなければ気が済まないらしい。
 「お待ちください、総攻撃には時期尚早でございます。あと一月もすれば、敵の糧食は底をつき、脱落者も増えることでしょう。その時まで自重するのが肝要と考えます」
 
 新田義貞や名和長年が反論したが、公家たちは聞く耳を持たなかった。
 「義貞っ、そちがそのように臆病やから負けてばかりいるのだっ」
 「長年っ、そちは三木一草で一番年長のくせに、一人だけ最後まで生き残っておろう。恥とは思わぬのかっ。そんなに生が恋しいのかっ」
 ここまで言われては仕方ない。公家たちが、懐かしい京に早く帰りたい一心で理性が曇っていることを知りながら、義貞と長年は出陣の準備に取り掛かった。特に長年は、公家たちの言葉に死を決意した。
 
 「こんな世の中に、長く生き過ぎたようじゃ。結城判官や千種卿、それに河内どのが、あの世からわしを手招きしよるわい」
 六月三十日早朝、比叡山を駆け下った官軍は、一斉に京都市街に突入した。その顔触れは、新田義貞を先頭に、名和長年、菊池武重、宇都宮公綱、千葉貞胤、松浦定、土居道増、得能道綱ら、ほぼ比叡山の全軍であった。
 
 油断していた足利軍の防備は十分では無く、大軍ゆえにその展開は遅れた。官軍は各地で敵を突破。壮烈な市街戦が繰り広げられた。家は焼かれ、無辜の民は当てども無く逃げ惑う。新田義貞は、脇屋義助や菊池武重と共に敵の防衛戦を突破し、足利本陣のある東寺を包囲した。しかし東寺は既に頑強な城塞と化しており、突入は困難であった。
 
 「兄上、我らは深入りしすぎましたぞ。敵が態勢を整えたなら、たちまち逆包囲されてしまうでしょう」馬を寄り添わせ、脇屋義助が進言した。
 「義助、あそこに尊氏がいるのだぞっ」義貞は、東寺の大手門を指さした。「このままおめおめと引き下がれるものかよ」
 義貞は、ただ一騎大手門の前に進み出ると、門内に向けて咆哮した。
 
 「尊氏っ、尊氏っ、俺だ、義貞だっ。世間の者は、今度の戦を皇統の争いと呼んでいるらしいが、元はといえば、俺とお前の宿縁が元凶にある。どうじゃ、尊氏っ。これ以上万民を苦しめるよりは、いっそのこと俺とお前の一騎打ちで、全ての決着をつけようではないかっ。
 
勝負だっ、出て来い尊氏っ」
 義貞の絶叫を聞いて、菊池武重は義貞の覚悟を知った。義貞は、ここで尊氏を倒せるなら、自分の命と引き換えてもよい程の決意なのだ。しかし、義貞の怒号は空しく門内に吸い込まれ、返ってくるのは無限の静寂のみであった。
 
 「尊氏っ、貴様、それでも武士かあっ」
 足利尊氏は、東寺の境内の床几の上で宿敵の罵声を聞いていた。彼の周囲には高師直や弟の直義が立ち塞がり、将軍の軽挙妄動を押さえていた。
 「兄上、あなたの体は、新田などとは比べものにならないほど貴いのです。あのような雑言に耳を貸す必要はございませんぞ」
 「だが、直義。義貞の言い分にも一理あるぞ。これ以上万民を苦しめるくらいなら、一騎打ちで勝負をつけたほうが・・・」尊氏は憮然と言った。
 
 「それは違いますぞ、将軍。ここで義貞を討ち取っても決着はつきません。我らの敵は義貞ではなく、彼を操る帝なのです。ここで一騎打ちしたところで、万民の不幸には変わりありませんぞ」高師直の冷静な発言は、尊氏の興奮を冷ました。
 「うむ。・・・許せ、義貞」尊氏はうつむいた。
 この間、態勢を立て直した足利方の大軍は、一斉に反撃を開始した。そのため、東寺の新田軍は一転して窮地に陥ったのである。
 「尊氏っ、これでも、これでもくらえっ」義貞は、東寺の塀ごしに矢を放つと、騎首を東へ反した。その矢は、唸りをあげて境内の松の梢に突き立った。
 
 菊池武重は、千本槍隊を率いて主力の撤退を支援した。攻めかかる仁木、桃井、斯波勢を何度となく撃退したが、味方の死傷も大きかった。
 激戦の最中、逃げ惑う群衆の中に小夕梨の姿もあった。湊川での官軍勝利を疑わなかった彼女には疎開の暇がなく、やむなく京に残っていたのである。彼女は、武重の敵に抱かれる気はなくいつも暗い顔をしていたので、遊女としての人気は今一つであったが、そんなことはもはやどうでも良かった。さりとて、遊女の身で比叡山を訪れる勇気もない彼女は今、武重の姿を一目見ようと、髪を切って男装し、戦場に飛び出して来たのである。
 群衆に揉まれながら七条大路にたどり着いた彼女は、そこに並び鷹羽を見た。傷だらけの将兵たちが、それでも旗だけは大事に抱えて足早に東に向かって動いて行く。
 やがて、隊列の中に騎馬武者の姿が増え、その中に武重の姿を見たように思った小夕梨は、懸命に声を嗄らした。
 「肥後守さまっ、武重さまっ」
 しかしその声は、雑踏の中に無残にかき消された。
 この日の夕刻、名和長年が三条猪熊で討ち死にした。義貞の撤退命令を無視して遮二無二突撃し、ついに敵中に孤立し、一族郎党数十人とともに玉砕したのである。死に臨んでのその心境は、湊川の楠木正成と同様であったろう。
 三木一草は、かくして枯れ果てた
 
延元元年(1336年)
11月21日
後醍醐天皇吉野に行幸
 
京都の花山院から女装されて
 
神器を奉じて
 
蝉丸の琵琶と愛犬を抱きかかえられ
 
吉野の賀名生へ入られた
 
吉野に行幸された際には
 
お供は僅かに4名であった。
 
約110Kを36時間をかけて
 
後醍醐帝は大変難儀をしながら
 
吉野に行幸されたのです。
 
真っ先に駆けつけたのが
 
勤皇の忠臣「吉野の吉水院の吉水宗信法印公」だった
 
南朝が吉野にあるのも
 
この吉水宗信公の努力であった
 
吉野は修験宗の聖地であり
 
古来、勤皇派の本拠地であった
 
吉水院は太平記にも度々出てくるが
 
役小角が開山したという
 
吉水院は天台系の本山派の最大の勢力を誇っていた
 
宗信法印公は、吉水院の住職であり
 
後に
 
後醍醐帝の皇女と結ばれ妻とされた。
 
 
 
後醍醐帝の御製
 
○ みよしのの 山の山守こと問わん
 
    今いくか有りて 花は咲きなむ
 
○ 花咲かむ 頃はいつとも しら雲の
 
    いるを知るべに みよしのの山