七生報国
語り継ぐ「回天」(18歳の回天特攻隊員の遺書)
 
七度も生まれかわりて 撃つといふ
 
   わがうみのこは ほほ笑みて往く
 
 
 
 
 

 

語り継ぐ「回天」18歳の回天特攻隊員の遺書

先日、3月4日・・・義兄(小川宣)の一周忌の法事で山口県の周南に帰省した。

義兄は徳山市(周南市)回天記念館 館長であった。

義兄の遺影を見ていたら「回天」のことを「語り継がなければ」と・・・

しみじみ思った。

義兄が「回天記念館の館長」であり、弟が「吉野の南朝皇居の宮司」であリ、

共に『七生報国』の大楠公の志を継いでいるように思える。

戦争が良いとか悪いとかを議論する前に・・・

日本のために・・

日本を愛して純粋に回天に乗り込み敵艦に体当たりした若者のことを・・・

忘れてはいけないと思った・・ら

涙があふれた。

最近の若者は「回天」の事を知らない人が多い.

回天は、大東亜戦争の末期に「天を回(めぐらし)、

戦局を逆転させる」という願いを込めて

「人間魚雷の回天」は誕生した。

回天は海の底の特攻隊である。多量の爆薬を搭載した魚雷に「特攻隊員」は乗り込み自ら操縦して敵艦に体当たりした。

回転は行きの燃料だけを積み再び帰る事はなかった。

回天の訓練基地が山口県の徳山市(現周南市)に設置され

全国から「回天」搭乗志願兵が集められ

血の滲む訓練がなされたた。多くの若者達が祖国日本を守るため出撃して往った。

明日の日本を信じて・・・・「靖国神社で会おう!」と誓った。

「回天」は全長14・75メートル、直径1メートル、全重量8・3トンであった。

 

18歳の回天特攻隊員の遺書

お母さん、私は後3時間で祖国のために散っていきます。

胸は日本晴れ。本当ですよお母さん。少しも怖くない。

しかしね、時間があったので考えてみましたら、少し寂しくなってきました。
それは、今日私が戦死した通知が届く。お父さんは男だからわかっていただけると思います。
が、お母さん。

お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのでありませんか。
弟や妹たちも兄ちゃんが死んだといって寂しく思うでしょうね。


お母さん。

こんなことを考えてみましたら、私も人の子。やはり寂しい。
しかしお母さん。

考えて見てください。今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。
戦争はこの日本本土まで迫って、この世の中で一番好だった母さんが死なれるから私が行くのですよ。

 
母さん。
今日私が特攻隊で行かなければ、年をとられたお父さんまで、銃をとるようになりますよ。


だからね。お母さん。
今日私が戦死したからといってどうか涙だけは耐えてくださいね。

 
でもやっぱりだめだろうな。お母さんは優しい人だったから。
お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。

私が一番怖いのは、母さんの涙です。

ただ一人・・狭い回天に乗り込み人間魚雷として体当たりして
 
天国にめされ靖国神社の英霊として祀られておられる方々・・・
 
あなた達の死を無駄 にはしません・・・
 
必ず日本は世界に恥かしくない国になります。
 
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