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宇治橋の三代夫婦の渡り初めについて

宮司は、11月3日宇治橋渡始式の現地奉仕活動に従事します。

南朝皇居の宮司として、この御遷宮の一連の儀式の中でも非常に重い「宇治橋渡始式」の重要な任務に当たれることは幸せです。

第62回神宮式年遷宮の「宇治橋渡始式」の受付・整理・誘導・正式参拝

(11月2日より、伊勢入り、前日打ち合わせ等)

11月2日午後2時・・・皇學館大學にて「浅野温子さんの古事記語り」を聞きます。

◎11月3日(宇治橋渡始式典当日)

   午前5時30分 起床

   午前6時15分 朝食

   午前7時50分 内宮参集殿

   午前8時奉賛活動開始(白衣・白袴・白足袋・草履
   
   午後3時 解散
   
   午後4時  一般市民等の渡始、誰でも橋を渡れます(記念の木札授与)

≪宇治橋渡始式とは≫

内宮、外宮の正宮(しょうぐう)のほか14の別宮(べつぐう)で行われる神宮最大のお祭りですが、宇治橋もまた遷宮行事の一つとして架け替えられます。神宮にとっても大切な大切な橋なのです。

新しい橋の架け替え時は、宇治橋渡始式(わたりはじめしき) が行われます。木の香漂う橋を全国から選ばれた一家で3代揃った夫婦が晴れやかに渡る式は、平成21年11月3日に行われます。

式年遷宮は平成25年〔2013年〕ですが、宇治橋の架け替えはその4年前。

なぜなら今から50年ほど前、太平洋戦争の敗戦によって第59回式年遷宮が昭和28年〔1953年〕に延期された際、地元からの熱望によって本来の昭和24年に宇治橋の架け替えのみが行われました。

以来、4年前が恒例となっています。

式年遷宮に先がける宇治橋の架け替え。新しい橋は遷宮がまた一歩近づいたことを感じます。


 ※ ≪三代夫婦の渡り初めについて ≫

 橋供養が終わって、橋の渡り初めの儀式が行われるなかで、一家三代
に渡って健在する夫婦による渡り初めが伝統的に行われてきました。
 
 江戸時代の絵や書物などにも少なからず確認できます。

一家で3代の夫婦が健在するということは、大変珍しいことで、またお目出度いことであった(である)と思います。これに、あやかりたいという意味があるのではないでしょうか。

 これらの「3代夫婦のように、橋も永続して欲しい」という願いが込められているのではないかと思います。またお目出度い席に、相応しいお目出度いことではないかと思います。また、3代夫婦以外にも長寿の老人や長寿夫婦による渡り初めなどということもあったようです。これも、なにか関係があるのではないかと思いますが、、、。この他、橋の供養石の建立なども各地に見られます。

 現在では、渡り初めの儀式にも色々なことがされてます。3代夫婦の渡り初めは、地方(少なくとも岡山などでは)では必ず見られるといっていいものです。新聞の紙面やテレビでよく見かけます。他には、地元の幼稚園や小学校等の児童生徒による渡り初め・鼓笛隊、婦人会による地元の音頭の披露、消防団による河川敷からの色水の放水、神楽、餅投げ、自衛隊や警察の音楽隊の行列、色々なことが企画されたものとなっています。

その地元地元での特性のある行事が行われているようです。

 遡れば、往古の「橋供養」の儀式などに起源をもつものだと思います。

 それが時代の変化、その時代の流行廃り、新規発案、周辺事例や前例の模倣や修正、などなど色々な要因によって、変化し新規に加味されて現在に伝えられてきたものではないかと思います。


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