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弁慶の勧進帳と『白紙祝詞(はくしのりと)』


世界遺産 南朝皇居の秋季大例祭(後醍醐帝の命日)が9月27日に厳かに齋行された。

宮司の祝詞は、恒例により「白紙祝詞」である。

祝詞文を前もって書いてない白文の祝詞です。

まさに、弁慶の「勧進帳」である。

御祭神の後醍醐天皇の御前で坐り、頭を地に擦り付けて、白紙の祝詞を奏上するのである。

祭礼の前には、3枚も4枚も祝詞を墨で書きます・・しかし、何かが違うのです・・事前に作り上げた祝詞では、神さまに心根が通じないのです。

宮司は、その場で天から降りてくる「言霊」を随神(かんながら)の「みこともち」として、神憑り
宣るのである。

宮司は、白紙祝詞であるから、「宮司祝詞奏上」の時まで・・ここだけの話ですが、何が書かれているか知りません・・まさに「神のみぞ知る」のです。

≪吉水神社の宮司の白紙祝詞≫の起こり

ニューヨークのテロ現場・・グランドゼロから「白紙祝詞」は始まった。

白紙の祝詞に、死者からのメッセージが届き、泣き伏した。

日本神職ニューヨークに現れると・・珍しそうに人だかりがした。宮司の衣装を触った。

世界貿易センタ-ビルの崩壊現場で3日間 号泣しながら日本の宮司として,祈り死者の鎮魂をしてから・・・・

だから、毎年9月11日前後に体調を崩すのは、無念にも死んで行かれた人々の魂の叫びだろうか?・・・・身体が大きく揺れる・・わけもなく涙が溢れてくる。

日本の宮司が、狩衣の姿で、ニュ-ヨ-クを歩くと、アメリカ人もビッツクリでした。

まずその姿が異様であったのか、すぐに警官が飛んできた「・・・ノ-ノ-???」

・・でも、世界貿易センタ-のフエンス前で祈ることを許可してくれた。警官もいつの間にか、地面にひざまずき、祈り・・周りの人に「この人は、日本からわざわざ・・テロで亡くなった人の魂を鎮める為に来てくれたのだ」と説明して私の名刺を配ってくれた。

アメリカのポリスマンが、日の丸の旗をフエンスに掲げるのを手伝ってくれた。


私が、グランドゼロの現場のフエンス前で日の丸を掲げ、祭壇を組み神饌を供えて祝詞をあげていると、付近にいた外国人は、宮司の周りを取り囲んだ・・テ-プレコ-ダ-から雅楽が流れ修祓を始めると・・・初めてひざまずき始め多くの人が共に祈り始めた・・・・白紙の祝詞は、次々に言霊を発した・・・「世界平和の共存共栄を祈り、人が人を殺しあう愚かなことを無くし給へと祈る」

白紙の祝詞文には、次々に天から言霊が降って来た。3日間祈りに祈ったが、平和を願い、死者の無念を癒す「言の葉」は尽きなかった。

 殺せば殺され、力には力で、恨みには恨みでしかない

 人間と人間が、争うことの無意味さを叫ぶ!

白文の祝詞は涙に濡れた

持っている杓が、震え涙にぬれる。次々にニュ-ヨ-ク市民が訪れ感謝の握手を求めた。そして現場のビルの作業員達の作業服に「世界は、皆んな家族」と日本語で書くと、宮司を抱き締めてくれた・・・ああ、あの鎮魂式をしてから・・・毎年9月11日の前後が来ると・・・多くの死者の魂を身体に受けて・・・全身が震え、立つていることが出来なくなる。「どうか多くの無念に亡くなられた人々の魂よ鎮まりませと祈る。皆さんの魂がまだ浮遊していることを思い、今夕も蝋燭を立て静かに一人少し揺れを感じながら平和を願い祝詞を奉り、鎮魂の儀式をするのです。



弁慶の詠んだ勧進帳

それつらつらおもんみれ~ば~
大恩教主の秋の月は 涅槃の雲に隠れ
生死長夜の永き夢 驚かすべき人もなし

ここに中頃の帝おわします
御名を聖武天皇と申し上げ奉ります
最愛の夫人に別れ 恋慕やみがたく
涕泣眼にあらく 涙玉を貫く
思いを善路にひるがえし 上求菩提のため
廬遮那仏を建立す

しかるに去じ 治承の頃焼亡しおわんぬ
俊乗坊重源勅命ナこうむって 諸国に勧進す
一紙半銭奉財の輩は
現世にては無比の楽を誇り
当来にては数千蓮華の上に座せん

帰命稽首 敬って申す~


≪祝詞の力≫
祝詞とは、「のりと」と読み、神道において神徳を称え、崇敬の意を表する内容を神に奏上し、加護や利益を得んとする詞や文章のことである。通常は、神職によって独自の節まわしによる朗誦が行われ、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ。今日の神社祭祀における祝詞は、神人合一の最高潮の場において「語る儀礼」として、奉仕者である神職が祭神に祭祀の意義と目的を奏上する文章であるが、古くは祭祀の場に参集した人々に対して宣り下された神語でもあった。語源は、「のりとごと(宣之言・宣処言・宣呪言・詔之言)」とする説が有力で、「のり」は「宣言する」や「言う」を意味する動詞「宣る(のる)」の名詞形、「と」は「もの」や「所」あるいは「呪言」の意味と考えられている。尚、賀茂真淵は『延喜式祝詞考』で「詔賜言(のりたべごと)」、本居宣長は『古事記伝』で「詔説言(のりときごと)」が、それぞれ語源ではないかとしている。

祝詞は、古代に行われた原始的な祈祷の詞から発したものであり、その中には呪術を含んだものもあった。日本には古くから、言語に神秘的または霊的な働きがあるとする言霊信仰があり、祝福の言辞を述べれば幸福が訪れ、呪詛の言辞を述べれば災禍に見まわれると信じられていた。古くは『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』にも「のりと(ごと)」の用字例が見られ、『古事記』では「布刀詔刀言」、『日本書紀』では「太諄辞」や「祝詞」、『万葉集』では「敷刀能里等」などと記載されている。また平安時代以降の用例として、略語の「のと」や「のとごと」、音便の「のっと」が見られる。

祝詞の表記は、基本的には宣命書といわれる国文体の表記である。体言や用言などの自立語を大きく記し、助詞や助動詞、活用語尾などを万葉仮名で一字一音式に右に寄せるか、二行に割り書きにして小さく記す表記が採られる。神語を主体とした祝詞の古形を考えるならば、宣読される祝詞の内容は神語そのものであり、誤読は決して許されるものではなく、そのため祝詞を読み易くかつ読み誤らぬようにするための文書表記法として成立したものが宣命書といわれている。古代の人々の間では、ある言語を発するとその言葉に含まれる霊力の作用によって、その言葉の内容どおりの状態が実現されると考えられていた。




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