≪吉水神社境内の桃山様式の名庭園≫
中門を入ると左手に亀島があり、
右手に鶴島があります。
門のすぐ手前に舟石があり、石橋を越えると一番奥に蓬莱島があります。
この桃山様式の庭園が造られたのは、豊臣秀吉が5000人の家来を連れて吉野の花見をしたときに、ここ吉水院が、秀吉の花見の本陣となった際に、庭も秀吉好みに造られたものである。
吉野山八景の「吉水の月」は、この庭園の池に映る月の美しさを称えたものです。
≪吉水の桃山庭園の特徴≫
池泉廻遊 作庭(豊臣秀吉公)
吉水院での豊公「芳野の花見」に自ら指図して急造させたもの。
池泉には蓬莱島
鶴島、亀島を配した上
多数の岩島が変化あふれる景を生み出しています。
三尊石組の連続手法や立石を多用して石の力強い線を非常に強調した石組は桃山時代石組造形の特徴の一つと考えられます。
また、仙人の住むと言われる神聖な蓬莱島に橋を架けるということも、この時代以前にはなかったようです。
戦乱の世、明日の命も知らぬ時代だからこそ、後世の作庭に大きな影響を及ぼし続ける、インパクトの強い石組造形が生み出されたと思い馳せられます。
なお、桃山様式の池泉庭として秀逸で代表的なものです
有名な桃山様式の庭は、二条城の庭園や醍醐寺の庭園があります。
豊臣秀吉公は、吉野の「吉水院」での花見の次が「醍醐寺」の花見をしました。
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