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日本一「ダンディー(伊達者)」な『白洲次郎』

「日本は、戦争に負けただけで、アメリカの奴隷となった訳ではない!」
とマッカーサーを恫喝し、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた『白洲次郎』

白洲次郎・・そのすべてが並外れた日本人であった。180cmを越す長身、際立った美貌。1919年、17歳でケンブリッジ大学に留学した彼は勉学に励む一方車の虜になる。自由を満喫し「オイリー・ボーイ」の青春を送った。
英国紳士としての教養とマナーを身につけ。日本語よりも英語を得意とした。
いつどんな時も、誰に対しても毅然とした態度を貫いた。

昭和26年の講和会議の際に、外務省の書いた演説原稿に対し、全面的に書き直させた。
「いかに敗戦国の代表であるとはいえ、講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の演説原稿を、相手国と相談した上に相手側の言葉で書くバカがどこにいるか。ぼくは、外務省の役人らの体にすっかりしみついてしまった<植民地根性>に、ただただあきれ返るばかりだた」

「人類始って以来、弱い奴は強い奴におさえつけられるものなんだ。これは仕様がないさ。口惜しいけど・・・。だけど、おさえつけられても言いたいことだけは言いなさいって僕は言うんだ」

≪白洲次郎のプロフィール≫
1.吉田茂と親類。吉田により、表舞台に抜擢された人物。
2.マッカーサーに歯に衣着せず語った唯一の人。GHQより「反抗する唯一の日本人」であるといわれた。
3.通産省の設立者。統制経済に反対した。経済国日本の立役者。
4.イギリス留学により、徹底した「紳士教育」を学んだ。アメリカは所詮、イギリスの植民地であったと考え、
5.日本人ではじめてジーンズをはいた男といわれている。
6.型破り。触れた人間は説得させてしまう魅力を持った人。
7.戦後の植民地化に対し、屈辱感を持っていた。講和会議において、吉田の演説を前日、修正し、
日本語で行うことを支持した。対等であるというプライドを持っていた。

≪白洲次郎の生い立ち≫
兵庫県芦屋の富豪・白洲商店の御曹司。イギリス・ケンブリッジ大学を卒業し、イギリス流の紳士道を身につけた。身長180cmのハンサムボーイで、生涯スポーツカーを乗り回した。

 生まれも、育ちも、容姿も申し分ない。しかし、これだけでは「日本で一番カッコいい男」とは言えない。白洲次郎が、「カッコいい」真骨頂を発揮したのは、戦後占領下である。

 1945年8月の敗戦から、1951年9月のサンフランシスコ講和会議までの6年間、日本は独立国でなく、他国の占領下にあった。連合国軍総司令部(GHQ)が日本を支配し、最高司令官マッカーサーが、最高権力者だった。
 昭和20年9月29日、新聞の一面に、天皇陛下とマッカーサー司令官の二人が並んだ記念写真が掲載された。正装の天皇に対し、マッカーサーはノーネクタイの略装だった。

この写真は日本国民に衝撃を与えた。政府は直ちに新聞を発禁にしたが、GHQは発禁を解除した。国民のだれもが敗戦を痛感した。そして、支配者が誰であるのかも思い知らされた。

 日本人は自信を失い、GHQの顔色を見て右往左往した。

そのような時、白洲次郎は吉田茂外務大臣の要請で終戦連絡事務局参与となり、GHQとの交渉にあたった。
GHQに対して卑屈な官僚や政治家の中にあって、白州次郎は筋を通し、一歩も退かなかった。GHQは舌を巻き、「従順ならざる唯一の日本人」と、本国に連絡した。

 代表的なエピソードが二つある。
 昭和20年12月のクリスマス。マッカーサー司令長官に白州次郎は天皇陛下からのプレゼントを届けた。部屋のテーブルの上はプレゼントでいっぱいだった。マッカーサーは床のどこかに置いていけというという仕草をした。すると次郎は「いやしくも天皇陛下の贈り物である。床などにおけない」と怒りを爆発させた。驚いたマッカーサーは、急いで新しい机を運ばせた。

 GHQ民政局長ホイットニー将軍が「白洲さんの英語は大変立派な英語ですね」とお世辞を言った。そこには、勝者としての奢りが込められていた。これに対して、白洲次郎は「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と答えたという。

 日本人が歴史上最も自信を喪失し、卑屈になっていた時期、支配者に対し、日本人の気概を示した人物が白州次郎だった。この姿こそ、まさに「カッコいい」と言える。

ケンブリッジ大学に留学し、英国紳士の伝統を学び、英語はベラベラです。

太平洋戦争で敗れた日本。
吉田茂の片腕となり日本の復興に全力で取り組み、
旧通商産業省を設立し、サンフランシスコ講和会議にも同行します。

非常に気骨があって、日本人として誇り高き男、型破りな男、
マッカーサーを叱った男、白州次郎。
GHQの記録には「従順ならざる唯一の日本人」とあったそうです。

数々のエピソードがまたすごいんです・・・。

こんな男の晩年がまたシビレました。

畑を耕し・・農業を楽しむ・・・何と「心に余裕のある男」粋だねえ~

「武相荘」-ぶあいそうー と名づけたひなびた家で農作業をしながら
最後を迎ます。

次郎の遺言書は達筆な字で 

「葬式無用 戒名不要」。
これだけ。
かっこいい・・今、麻生さんの側近にこれくらいの男が欲しいね。

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