歌舞伎十八番『勧進帳』

宮司が選ぶ、歌舞伎の最高のだしもの


≪ 弁慶と富樫の掛け合いが最高です ≫

弁慶 承り候。これは南都東大寺建立の為に国々へ客僧を遣わさる。北陸道を此の客僧、承って罷り通り候。 

富樫 近頃殊勝には候えども、この新関は山伏たる者に限り、堅く通路なり難し。 

弁慶 コハ心得ぬどもかな。して、その趣意は。 

富樫 さん候。頼朝義経御仲不和にならせ給ふにより、判官どの主従秀衡を頼み給い、作り山伏となって下向ある由、鎌倉殿聞き召し及ばれ、国々へ斯くの如く新関を立てられ、それがし此の関を承る。 

番卒甲 山伏を詮議せよとの事にて我々番頭仕る。 

番卒乙 殊に見れば、大勢の山伏達 

番卒丙 一人も通す事 

三人 罷りならぬ。 

弁慶 委細承り候。そは、作り山伏をこそ留めよとの仰せなるべし。真の山伏を留めよとの仰せにてはよもあるまじ。 

番卒甲 イヤ、昨日も山伏を、三人まで斬りたる上は 

番卒乙 たとえ、真の山伏たりとて、容赦はならぬ。 

番卒丙 たって通れば、一命にも 

三人 及ぶべし。 

弁慶 さて、その斬ったる山伏は判官どのか。 

富樫 アラむづかしや、問答無益。一人も通す事 

三人 罷りならぬ。 

卜 上手へ来り、富樫、葛桶にかかり居る。
弁慶 言語道断、かかる不祥のあるべきや。この上は力及ばず。さらば最後の勤めをなし、尋常に誅せられうずるにて候。方々近く渡り候へ。 
四人 心得て候。 

弁慶 いでいで、最後の勤めをなさん。 

地 それ、山伏といッぱ、役の優婆塞(うばそく)の行儀を受け、即心即仏の本体を、爰にて打留め給はん事、明王の照覧はかり難う、熊野権現の御罰あたらん事、立所に於いて疑いあるべからず、■オン(ロ+奄)阿毘羅吽欠(おんあびらうんけつ)と数珠さらさらと押揉んだり。
卜 此うちノットにて、弁慶真中に、左右へ二人づつ別れ、祈りよろしくある。富樫思入れあって、

富樫 近頃殊勝の御覚悟。先に承り候へば、南都東大寺の勧進と仰せありしが、勧進帳の御所持なき事はよもあらじ。勧進帳を遊ばされ候へ。これにて聴聞仕らん。 

弁慶 なんと、勧進帳を読めと仰せ候な。 

富樫 如何にも。 

卜 弁慶思入れあって、
弁慶 心得て候。 
地 元より勧進帳のあらばこそ、笈の内より往来の巻物一巻取り出だし、勧進帳と名附けつつ、高らかにこそ読み上げけれ。 
卜 笈の内より一巻を出し押し開き

それつらつらおもんみれば 
卜 富樫立上り、勧進帳を差覗く。弁慶見せじと正面をむき、きっと思入れ、大恩今日主の秋の月は、涅槃の雲に隠れ、生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし。爰に中頃帝おはします。御名を聖武皇帝と申し奉る。最愛の夫人に別れ、恋慕の情やみ難く、涕泣眼に荒く、涙玉を貫ね乾くいとまなし。故に上求菩提の為、盧遮那仏を建立し給う。然るに、去んじ寿永の頃焼亡し畢(おわ)んぬ。かかる霊場の絶えなん事を欺き、俊乗坊重源勅令の蒙って、無情の観門に涙を落とし、上下の真俗を勧めて、かの霊場を再建せんと諸国に勧進す。一紙半銭報賽の輩は現世にては無比の楽に誇り、当来にては数千蓮華の上に坐せん。帰命稽首(きみやうけいしゅ)、敬って白(まお)す。 
地 天も響けと読みあげたり。


富樫 いかに候、勧進帳聴聞の上は、疑いはあるべからず、さりながら、事のついでに問い申さん。世に仏徒の姿さまざまあり。中にも山伏はいかめしき姿にて、仏門修行は訝しし、これにも謂れあるや如何に。 

弁慶 おおその来由いと易し。それ修験の法といッぱ、所謂胎蔵金剛の両部を旨とし、嶮山悪所を踏み開き、世に害をなす悪獣毒蛇を退治して、現世愛民の慈愍(じいん)を垂れ、或いは難行苦行の功を積み、悪霊亡魂を成仏得脱させ、日月清明、天下泰平の祈祷修(じゅ)す。かるが故に、内には忍辱慈悲(にんにくじひ)の徳を納め、表は降魔の相を顕し、悪鬼外道を威服せり。これ神仏の両部にして、百八の数珠に仏道の利益を顕す。 

富樫 シテ又、袈裟衣(けさごろも)を身にまとい、仏徒の姿にありながら、額に戴く兜巾(ときん)は如何に。 

弁慶 即ち、兜巾篠懸(ときんすずかけ)は、武士の甲冑に等しく、腰には弥陀の利剣を帯し、手には釈迦の金剛杖にて大地を突いて踏み開き、高山絶所を縦横せり。 

富樫 寺僧は錫杖を携うるに、山伏修験の金剛杖に、五体を固むる謂れはなんと。 

弁慶 事も愚かや、金剛杖は天竺檀特山(てんじくだんどくせん)の神人阿羅邏仙人(あららせんにん)の持ち給いし霊杖にして、胎蔵金剛の功徳を籠めり。釈尊いまだ瞿曇沙弥(ぐどんしゃみ)と申せし時、阿羅邏仙人に給仕して苦行したまい、やや功積もる。仙人その信力強勢を感じ、瞿曇沙弥を改めて、照普比丘(しょうふびく)と名付けたり。 

富樫 して又、修験に伝わりしは 

弁慶 阿羅邏仙人より照普比丘に授かる金剛杖は、かかる霊杖なれば、我が祖役の行者、これを持って山野を経歴し、それより世々にこれを伝う。 

富樫 仏門にありながら、帯せし太刀はただ物を嚇さん料なるや。誠に害せん料なるや。 

弁慶 これぞ案山子の弓に等しく嚇しに佩くの料なれど仏法王法の害をなす、悪獣毒蛇は言うに及ばず、たとえ人間なればとて、世を妨げ、仏法王法に敵する悪徒は一殺多生の理によって、忽ち切って捨つるなり。 

富樫 目に遮り、形あるものは切り給うべきが、モシ無形の陰鬼陽魔、仏法王法に障碍をなさば何を以て切り給うや。 

弁慶 無形の陰鬼陽魔亡霊は九字真言を以て、これを切断せんに、なんの難き事やあらん。 

富樫 して山伏の出立は 

弁慶 即ちその身を不動明王の尊容に象るなり。 

富樫 頭に戴く兜巾は如何に。 

弁慶 これぞ五智の宝冠にて、十二因縁の襞を取ってこれを戴く。 

富樫 掛けたる袈裟は 

弁慶 九会(くえ)曼茶羅の柿の篠懸(すずかけ)。 

富樫 足にまといしはばきは如何に。 

弁慶 胎蔵(たいぞう)黒色のはばきと称す。 

富樫 さて又、八つのわらんづは 

弁慶 八葉の蓮華を踏むの心なり。 

富樫 出で入る息は 

弁慶 阿吽(あうん)の二字。 

富樫 そもそも九字の真言とは、如何なる義にや、事のついでに問い申さん。ササ、なんとなんと。 

弁慶 九字は大事の神秘にして、語り難き事なれども、疑念の晴らさんその為に、説き聞かせ申すべし。それ九字真言といッぱ、所謂、臨兵闘者皆陳列在前(りんびょうとうしゃかいちんれつざいぜん)の九字なり。将(まさ)に切らんとする時は、正しく立って歯を叩く事三十六度。先ず右の大指を以て四縦(しじゅう)を書き、後に五横(ごおう)を書く。その時、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)と呪(じゅ)する時は、あらゆる五陰鬼煩悩鬼(ごおんきぼうのうき)、まった悪鬼外道死霊生霊立所に亡ぶる事霜に熱湯(にえゆ)を注ぐが如く、実に元品の無明を切るの大利剣、莫耶(ばくや)が剣もなんぞ如かん。(武門に取って呪を切らば、敵に勝つ事疑なし。)まだこの外にも修験の道、疑いあらば、尋ねに応じて答え申さん。その徳、広大無量なり。肝にえりつけ、人にな語りそ、穴賢穴賢(あなかしこあなこあしこ)。大日本の神祇諸仏菩薩も照覧あれ。百拝稽首(ひゃっぱいけいしゅ)、かしこみかしこみ謹んで申すと云々、斯くの通り。

臨兵闘者皆陳列在前(りんびょうとうしゃかいちんれつざいぜん)の九字なり。将(まさ)に切 りたり。