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魔除け・・・鬼瓦

屋根の瓦には寺紋・社紋、鬼・狛犬・獅子・シーザー・鍾馗などがある

≪鬼 ≫
古来「鬼」は恐ろしい悪者ではなかった。むしろ魔物から守ってくれるのが「鬼」であった。

それが、江戸時代に、「おとぎ草子」が出来て、鬼退治とかで鬼は悪いものだとされてしまいました。本当は魔除け悪霊払いの守りなのです。

役行者を守っているのも「前鬼」と「後鬼」です

日本の鬼の歴史は、奈良・飛鳥時代に寺院造営が盛んに行われた頃からのようです。寺院を妖気、魔物から守る目的で屋根に飾ったのが鬼瓦だったとしか考えられないそうですが、その頃から鬼が私たちの心に登場したのではないでしょうか。
百済から仏教の伝来とともに瓦づくりの技術が伝えられ、以来、千四百年もの長い間年月を経て、家の魔除けとしても今日に生きています。
鬼といえば酒がつきもので、大酒飲んでは退治されたり、失敗したりと昔話に出てくる程です。

悪運厄災を祓う魔よけとして古くから神社仏閣の屋根に取り付けられていた鬼瓦ですが、江戸時代に入り一般の屋敷にも使われるようになりました。
火災保険も無い時代ですから恐ろしい災いか免れられるよう、その思いを怖そうな鬼面に託したのでしょう。
鬼面瓦を玄関やお部屋にお飾りいただければ鬼神の一睨みが厄難を追い払い、素晴らしい幸運を招き入れることでしょう。

いぶし瓦とは? 寺院はもちろん、古い城下町などの町並みに続く家の屋根に「甍」は今もなお美しく残っています。瓦屋根の耐久性は歴史が証明しています。
そして「いぶし銀」の美しさをもつ、いぶし瓦は燻化、焼成の方法により瓦表面に炭素膜が形成され独特の優美な光沢と色彩を生み出すとともに堅牢性、耐熱性も備えることになります
丹後・大江山の鬼は、まさに酒呑童子。
源頼光に、『神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)』を飲まされて退治されます。
おにごっこ、鬼に金棒、仕事の鬼、鬼ころし・・・等、私たちの生活の中に鬼は溶け込んでいます。
鬼は、恐ろしい姿、パワー、超能力を持っているにもかかわらず敗者の哀しさを秘めています。
本来は、強くやさしく、悪霊を払い守ってくれる先祖神で祖霊の象徴であったようです。

なぜ屋根の上に「鬼瓦」をのせるのか。
怖い鬼を飾る理由は何なのか。
邪悪な鬼を退散させるために、いかめしい鬼の顔を彫った瓦を魔除けにすることは奇妙に感じられますが、鬼の中の二面の性格、「人間に危害を加える好ましくない側面」と、「人間の側に立って邪悪なものを追い払う好ましい側面」を見出せます。

鬼瓦(おにがわら)は和式建築物の棟(大棟、隅棟、降り棟など)の端などに設置される板状の瓦の総称。鬼と略して呼ばれることもある。魔よけと装飾を目的とした役瓦の一つ。鬼の顔を模したものが中心だが、鬼が造られていないものもあり、シンプルな造形の「州浜」と呼ばれるものや蓮の華をあらわしたものある。ルーツは中国に見られ、日本では唐文化を積極的に取り入れだした奈良時代に始まり、急速に全国に普及した。寺院は勿論、一般家屋など比較的古い和式建築に多く見られるが、平成期以降に建てられた建築物には見られることが少なくなった。また、家紋や福の神がついている鬼瓦も多い。 鬼瓦を作る職人は、鬼師と呼ばれる。

≪鬼瓦は魔除け≫
 悪運厄災を祓う魔よけとして古くから神社仏閣の屋根に取り付けられていた鬼瓦ですが、江戸時代に入り一般の屋敷にも使われるようになりました。

火災保険も無い時代ですから恐ろしい災いか免れられるよう、その思いを怖そうな鬼面に託したのでしょう。

いぶし瓦とは? 寺院はもちろん、古い城下町などの町並みに続く家の屋根に「甍」は今もなお美しく残っています。瓦屋根の耐久性は歴史が証明しています。
そして「いぶし銀」の美しさをもつ、いぶし瓦は燻化、焼成の方法により瓦表面に炭素膜が形成され独特の優美な光沢と色彩を生み出すとともに堅牢性、耐熱性も備えることになります

屋根の棟の端に置く鬼瓦は、その鬼面そのものが『魔除け」であり、「水」の字瓦は火難除けなのです。
民家の屋根にも「分銅紋」があるが、これも「魔除け」です。

魔除けとして鬼瓦に『五芒星』が鬼の額に施してあるものも、妙心寺・相国寺
東寺、唐招提寺・西大寺などの瓦に見られる。外界からの邪気侵入者を防ぐ魔除けなのです。

≪鍾馗の由来≫
伝承では、「玄宗皇帝は病に伏して夢をみた。」熱で苦しむ枕もとに「虚」、「耗」という小鬼が現れ、楊貴妃の香袋と笛を盗んで行こうとしていた。誰かいないのか!と大声で叫ぶと、どこからともなく破帽子をかぶり角帯をつけ革靴をはいたひげ面の大男が現れ、あっという間に鬼を食べてしまったという。
小鬼より怖い形相でたつその者の正体を問うと、「私は終南山の鐘馗と申します。科挙の試験に失敗し、国に帰るのを恥じて自らの命を絶ちましたが、帝に手厚く葬られました恩で鬼を退治するために参りました。」 夢から覚めた皇帝の病は不思議にもすっかり治っていた。そこで、絵師に命じて夢でみたままの鐘馗の姿を描かせ、災厄を祓う守り神とした。」とあります。

鐘馗はこうした伝承から人々の間で邪悪なものや疫病から家を守る魔除けの神として信じられるようになりました。こんな話があります。
江戸時代、京都の、ある家の奥方が原因不明の病で伏していた。手を尽くしても回復しないのに困り果てた医者は、ある日隣の屋根に鬼瓦が載っているのに気付く。もしかしたらこの病は鬼瓦で除けられた災いがこちらに降りかかっているためかもしれない。でもお向かいの鬼瓦を降ろしてくれとは言えない。あれこれ考えた末、深草の瓦職人に鐘馗像を作ってもらい鬼瓦と睨みあう位置に据えたところ、たちまち病は全快したという。

京都にはお寺が多い。それぞれに意匠をこらした見事な鬼瓦が載っている。それまで高嶺の花であった瓦が江戸時代になると安価で庶民も自由に使えるものになり、近所の人間関係を保ちつつも鬼瓦によって除けられた災いが我が家に降りかからないよう、屋根に鐘馗像を据え、また、「虚」「耗」という鬼をも負かしたという伝承から、鬼より更に強い魔除けとして考えられていったようです。
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