「顔は人を語る・・顔は、人生の道程を語る」
 吉野の桜を見るために、全国から膨大な人々が、ここ吉野山に押しかける。私は、この中で何が楽しみかといえば、「いい顔」を探すのが日々の楽しみである。40歳を過ぎたら、顔は自分で作るものと言われる。次々に、神社を訪れる人々の顔を見ている。暗い顔はまず駄目、賢そうに見える顔や、さも偉そうな顔もだめである・・・すぐに切れる顔もだめ・・・頑固そうで融通きかない顔も駄目・・・気が弱そうできょろきょろ落ち着きの無い顔もさらに駄目・・・端整か、ハンサムかではない・・では、いい顔の目安は何か・・・「深みが有るか?静かで涼やかであるか?やさしさの中に慈悲の目があるか?重々しく浮ついていないか?・・・威風堂々とした風貌があるか?・・知識や見識だけでなく胆識はあるか?」・・・えっ!そんな顔を持つ人などいないだろうと思っていた。しかし、今年は久々に出会えた・・・その人の顔はよかった・・名前を出していいかどうか解らないが、牛尾治朗氏(ウシオ電機の会長)に出会えた。しばし、うなった・・うむ!久々にいい顔を見た・・・今年の春が明るくなった・・・「木鶏」に近い人に会えて嬉しくなった。どんな人生を歩まれたのか・・どうしたらあれほどのいい顔ができるのか、教わりたくなった・・・これからも、いい顔を見て、少しでも「いい顔」になりたいと思う。